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「匠とは誠実な心から生まれる」。石垣牛のブランド化に貢献した、ゆいまーる牧場の金城さんが目指すもの
「すべての職業というのは、とことん匠を目指さないといけないと思う」
優れた技術を持つ職人の意味を持つ「匠」。
この言葉を信念に、食肉のスペシャリストとして活躍するのは、ゆいまーる牧場の会長を務める金城利憲(きんじょう・としのり)さんだ。
「匠を目指していました」
牛や豚の生産から流通(小売・卸売)、精肉・食肉加工、レストラン経営と、食肉に関わること全般を一貫して手掛けている。2000年に開催された沖縄サミット晩餐会では食材提供者として、石垣牛のブランド化に大きく貢献しました。
食肉業界に入るまでのお話から、会社を設立した時の苦悩、沖縄サミット晩餐会に石垣牛が採用されるまでの裏側など、金城さんのこれまでの歴史をぎゅっと凝縮してお届けします。
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東京・大阪の精肉店でアルバイト。食肉の世界へ入ったきっかけは「料理を極めたかったから」
ーー沖縄で牧場を経営される前は、東京や大阪にいたそうですね。
金城さん(以下、敬称略):東京が4年ぐらいで、大阪には33年いました。飲食業と肉の卸売業を経験しました。はじめは料理を覚えようと思って、飲食店に入りました。
ーーはじめは飲食店だったんですね!ちなみに、この時から独立したい気持ちはあったんですか?
金城:あったかな。両親も商売人だからね。何かのプロフェッショナルになりたいって気持ちは、ずっとありましたよ。
ーー飲食店で働いた後、東京にある精肉店で働いたんですよね。きっかけは何ですか?
金城:一緒に働いていた先輩に、「料理をはやく覚えるなら、肉・魚・野菜とか、食材を扱う仕事を経験するのもいいよ」とアドバイスされてね。それで「お肉がいいなー」と思って、次は精肉店でバイトをしました。
ーー料理を極めようと思ってはじめた食肉業だったのが、極め続けて、現在に至るのですね。
金城:そうですね(笑)。バイトの先輩たちは、本当によく教えてくれました。おかげで、普通は何年もかかる牛の捌きも、半年では覚えたよ。教えてもらえるものは、全部覚えたかったですね。
覚えた覚えたらで、今度はそれをさらに活かしたいと思って、次は大阪の精肉店で働きました。
ーー大阪でのお仕事はどうでしたか?
金城:大阪は肉の本場だから、とにかく肉がよく売れる。入ったら入ったで、お店はどんどん増えるし、人手不足だから、どこの店でもすぐ色んな仕事をさせてもらえましたよ。逆に、やらざるをえないぐらい(笑)。色々なことを鍛えられましたね。
大阪で卸会社を設立。「昼も夜も毎日必死に営業しました」
ーー大阪で精肉店のバイトをした後に、自身で和牛の卸会社を設立したんですよね。
金城:ええ。はじめはすぐ潰れそうな状態で大変でしたよ。そのくせ売れないのに、神戸牛の1番良い肉を並べて、ただ飾っている状態だよね(笑)。それでも、良質なものしか取り扱いませんでした。
ーーその状況を想像しただけで胸がヒリヒリします……!
金城:新規の卸業者は大変です。取引先となるお店さんは、すでに長くお付き合いしている卸売店があるから、そう簡単には変えてくれない。新規の卸業者は、そういう中に入って行かないといけないわけですよ。
ーーたしかに扱う食材によって、店の味や価格なども変わってくると考えると、お店側は慎重になりますね。
金城:だから相手はよーくこっちを観察しますよね。「本当にこの人はうちに誠実に、対応して納品してくれるかな」と。昼も夜も毎日必死に営業して、肉を売りに回りましたよ。
料理人のみなさんが昼寝から起きる頃や、ランチタイムピーク後のお客さんの入りが落ち着く14時~15時。そして、夜は21時から。自分の店の営業の合間を縫って、休みなく営業回りをしていました。
ーー金城さんのアグレッシブさ!必死になって開拓されてきたのが、とても伝わってきます。
金城:店が軌道に乗ったある時、沖縄出身のお店20店舗ぐらいやってる社長もお店を見に来てくれたけれど、「よく和牛だけで、ここまでお店を繁盛させたね。よく我慢したね」と言われましたよ。自分でもよく頑張ったなと思います。笑
経営危機を救ったのは「コロッケ」でした
金城:暇な時期は支払いにも追われていたので、とにかく現金にしないといけないから、高い肉を破格で切り落として売っていて……。あ、あとはコロッケだね。
ーーえ?コロッケですか?
金城:そう。来店させるためにコロッケ作ったの。とある肉屋のおかみさんに、「コロッケやメンチカツを作っておきなさい」と言われたんです。「揚げ物の売り上げが家族の飯代になるから」と。
それで実際にコロッケを揚げてみると、店の前を通ったお客さんが香ばしいにおいに連れられて来店するんですよ。食べたお客さんが「美味しい」と言うから、夜なべしてコロッケを作りました。
ーー今でも「石垣牛コロッケ」を販売されていますが、それだけ金城さんにとってコロッケは、思い入れが強いのですね。
金城:本当にそうですね。このコロッケがなかったら、お店潰れていましたよ。あと営業に回った時は「うちで作ったコロッケ食べてください」と言って、まだ揚げていない冷凍のコロッケを、名刺代わりに置いて帰りました。
金城:玉ねぎと肉を香りが出るまでよく炒めて、醬油とお砂糖を入れたら、甘い香りが出てくるじゃないですか。あの匂いが良いんだよね。
あと当時の大阪では、コロッケだけで何千個売れる店が、結構あちこちにあったよ。もう夕方になると、コロッケのところに人が並んでるぐらい。どこの肉屋でも“お肉屋さんのコロッケ”と謳って、コロッケを揚げていました。
肉を追求したい想いの先に。石垣島ゆいまーる牧場をはじめる
ーー大阪で経験を積んだ金城さんはその後、石垣島でゆいまーる牧場をはじめましたね。卸業から次は生産。なぜ牧場をはじめようと思ったのですか?
金城:“自分の故郷でブランドになるような牧場を作りたい”という気持ちがありました。もっといいお肉を作りたいと思って。匠を目指していたんです。まだまだ匠の域には入ってないとうけど、それ位の気持ちでやっています。
大阪で稼いだ資金をゆいまーる牧場の開業資金にあてました。全部自己資金で賄いましたよ。
ーー全て自己資金はすごいですね!どうしてそこまで追求できるんでしょう……。原動力はどこから来るのですか?
金城:お客さんが本当に喜んでくれるものを、自分が納得できる形で提供したかったんです。「この生産者さんはどんな風に牛を育てているんだろう」「この方法で育てたらどういう肉質になるんだろう」と、寝る間も惜しんで研究していましたね。
すべての職業というのは、とことん匠を目指さないといけないと思う。匠を目指すっていうのは、誠実な心から生まれてくると思うから。
ーー今でこそ石垣牛は観光名物としてなじみあるものになりましたが、金城さんが牧場を始めた頃はまだ普及していませんよね?
金城:当時石垣島では、子牛を育てる文化はほとんどありませんでした。子牛を育てる環境に暑いところは適していないと、言われていたこともありますよ。はじめこそ僕もそういうイメージだったけど、実際はそうとは限りませんでしたね。
ーー例えばどんなことでしょうか?
金城:子牛は寒すぎても死んでしまうんです。石垣島でも、冬場は投光器をつけて温めるほどですよ。あと、石垣島は草が豊富なので、通年で子牛を育てやすいことも利点ですね。
石垣牛を有名にした「沖縄サミット晩餐会」の裏側
ーー2000年の沖縄サミット首脳晩餐会の食材に、石垣牛を提案したのが金城さんなんですよね!採用されるまでの話を教えていただけますか?
金城:沖縄サミットの料理を総合プロデュースしていた辻調理師専門学校の先生から、電話がかかってきたんです。辻調理師専門学校にも長年肉を卸していたので、その繋がりです。
ーーそこで先生に、石垣牛を提案したということですね。
金城:そうですね。はじめは半信半疑で「本当に石垣牛で大丈夫なのか?」と聞かれました。向こうも各国の首相・大統領を前にした一世一代の晴れ舞台に粗相できないからね。外務省主催の予行演習をやるから、その時に使用するサンプルを持ってくるように言われました。
ーー各首脳が集まる会ともあって、予行演習があるんですね。
金城:予行演習は4回やったよ。予行演習を経て、石垣牛を使ってもらえることになりました。安堵しましたね。
ーー沖縄サミット晩餐会の当日、各首脳が料理を口にした時はどんな気持ちでしたか?
金城:肉を納品した後、僕は会場から離れたので見ていないんですよ。辻調理師専門学校の先生たちは、会場裏で控えて見ることになってたそうです。どうだったか聞いたら「緊張した」と言っていましたよ。「シラク元大統領がお肉を1口入れた後、ニコッとしてくれたからホッとした」とも話していました。
ーー今の石垣牛の知名度は、金城さんの働きあってこそだったんですね。
金城:あとね、クリントン元大統領はお肉を口に入れた後に「これは神戸牛か?」と聞いてくれたらしい。そしたら森総理が「石垣牛だよ!」と、強調して自慢げに言ってくれたそうで。だから石垣牛の立役者は森元総理とも言えますよ。
ーー石垣牛のストーリーを知ると、改めて食べたくなっちゃいました(笑)。ここで石垣牛専門店「焼肉金城」おすすめの商品を、教えていただければと思います。
ゆいまーる牧場直営店「焼肉金城」おすすめ商品2選をご紹介します
ーーオススメ商品を教えていただけますか?
金城:まずは、「『石垣牛KINJOBEEF』のすき焼きしゃぶしゃぶ肉」です。ゆいまーる牧場の石垣牛すき焼き肉は、脂が人肌で溶けるものを厳選しています。お肉を焼いた時に香ばしい香りが出て、そこで溶けだした脂が野菜によく絡まって、いい味が出てくるんですよ。絶品です。
あとは、肉色もピンク色できれいです。牛にストレスがかかると、肉色が黒くなっちゃうんですよ。だから肉色がピンク色できれいなものは、牛がストレスなく育った証拠です。
ーーどのように調理したらいいですか?
金城:少しずつ焼いた方がいいですよ。お肉が冷たいまま焼くと、鉄板の温度が下がっちゃうので。それだと、すき「焼き」じゃなくすき「煮」になっちゃうので、焼きで食べていただきたいですね。
焼くと和牛の脂が解けて香ばしい香りが出てきますが、この和牛の脂で焼いた玉ネギが、甘くなるんですよ。ぜひお試しください。
ーーあとはやっぱり……コロッケでしょうか?
金城:そうですね。「石垣牛コロッケ」は、和牛を大粒で挽いて作っています。なので食べていると、お肉の食感も感じられますよ。
じゃがいものホクホク感と大粒に挽いたの牛肉の食感が絶妙なバランスです。沖縄の産業まつりで13,000個を販売した、人気商品になります。
ーーコロッケはどれくらい日持ちするんですか?
金城:冷凍で長期保存できます。解凍して揚げるとバラけてしまうので、調理する時は冷凍のまま油で揚げてください。なので商品が届いたら、すぐに冷凍してくださいね。もし届いた時に緩んでいたら、一般冷凍庫で保管してください。
そして揚げる時の量ですが、少量でゆっくりと揚げてください。たくさんいれてしまうと、油の温度が下がってしまうので。家庭用の鍋なら1~2個ずつ揚げるといいでしょう。
ーーそれでは、最後に一言お願いします。
金城:お肉は最大の健康食品です。お肉はもちろん、カレーやハンバーグなど、さまざまなメニューをお手頃価格でご用意しています。是非お店にもお気軽に立ち寄りください。ありがとうございました。
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■記事でご紹介した商品は…
■ プロフィール
金城利憲(きんじょう・としのり)
農業生産法人 有限会社ゆいまーる牧場 会長
牛や豚の生産、精肉・食肉加工、レストランもてがける食肉のスペシャリスト。沖縄サミットへの食材提供など、石垣牛ブランドの確立に大きな貢献を果たした。食肉にかける熱い情熱とこだわりの姿勢から、業界内外に多くのファンがいる。
文/TODOQ 広報担当 黒島 ゆりえ(@YurieKuroshima)