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セントビンセントで多文化共生の行き届いた世界の一端を見た!#DAY80

ぼくの人生のテーマで多文化共生とか多様性というのがある。

それはこれからの日本社会で切実に求められていて足りないものだと思っているから。

2011年12月の神戸に話を戻そう

ぼくは当時大学3年生で、元町のチャイ屋によく入り浸っていた。

あるとき、サンジュという日本人の女性と結婚を機に日本に移住してきたインド人に出会った。たしか日本に着いて1週間とかそこらだったと思う。

神戸の人混みにビビっていて奥さんなしじゃ外を歩くのは億劫だと言っていた。インドの方が人間の量ははるかに多いと思うが…と感じたのを覚えている。

日本はチャンスがいっぱいあるからね。ぼくは日本でいろんなことに挑戦したいんだ。

大きな目を輝かせて話すその姿は朴訥としていて純粋で希望に満ちていた。現実はどうあれ、日本はそういう国に見られているんだなと、少しうれしかった。

ぼくにとって彼は、初めての日本語を話さない友人で彼の働くインドレストランによく顔をだした。

それまで神戸に住んでおきながらまったく意識したことはなかったんだけれど、神戸にはインド、イラン、パキスタン、ロシア、ペルー、中国、ベトナム、韓国、ブラジル、いくらかの欧米と多様な人々が住んでいた。

朝のカフェでは昨晩の阪神のふがいなさについてロシア人とインド人が関西弁で愚痴り合ったりしている不思議な光景に出くわすこともある。

グローバリズムってこういうことなのかとぼくは思ったりしていた。

一方で、サンジュは日々消耗していた。

昼間はカフェ営業もしている飲食店で勤務というと長時間労働だ。

オーナーはインド人なのに厳格な時間管理にもストレスを感じていた。

転職をしようにも、日本語ができないのがネックになっていた。インターナショナルホテルで顧客は英語話者でも、スタッフとコミュニケーション取れないのが先方に問題視されているようだった。

日本人基準でなんでも見られているから日本は難しいね

だんだん元気がなくなっていく彼の姿を見るのはいたたまれなかった。

グローバル人材とはなんだ

ぼくは就活をしたことがないからわからないけれど、周囲はみんな呪文のようにグローバル、グローバルと言っていた。ぼくも言ってた。意味はよくわかっていなかった。とりあえず英語ができれば良いみたいなことだったと思う。誰も具体的にはわかっていなかった。そんな時代だった。

当時、グローバル、グローバルと声高に叫んでいた意識高い系の学生で今でも日常的に英語を使っている人をぼくは知らない。

少し前に気づいたことだけれど、グローバル人材というか世界で通用する云々の類は、欧米人の振舞いができるか否かだと思う。

海外の大学で多様な人種が云々…というところも蓋を開ければ欧米文化を吸収しきった黄色い皮をかぶった白人だったりするわけだ。見た目こそ違うけど、考え方も価値観もいっしょ!みたいな。

レディーファーストができて、見た目は髪の毛は短く刈り込んで、適度に運動していて胸板は厚く笑うと白い歯が光る。

そういう典型的なのがグローバル人材なんだと思う。欧米というよりアメリカ人か。

なりたいかどうかは別にして、それが現実な気がする。

では、多様性とは?

それはぼくにもよくわからない。

だってロールモデルみたいなのもないから。どこにもないし、どこでもうまくいってるとは言えないように見える。

神戸でいろんな人種の人が混ざり合って仲良く嘆き合っているのを見て以来、そういうのはすごく良いなと思っていた。具体的にはわからないけれど、異民族同士仲良くしてるな、日本に、関西に染まっているなと思った。

それも多文化共生で多様性だと思うけれど、たぶんそれはぼくが日本人で、彼らが日本の生活をエンジョイしているように見えてうれしかっただけだと思う。

どういう社会がみんなにとって良いのか、みんながハッピーに暮らせるのか、その答えを探してぼくは旅をしているのかもしれない。

それはウソだ。かっこつけすぎた。

でも、そういう多様性を許容し得る社会とはどんなものだろうと興味は持ち続けている。

セントビンセントで見たもの

セントビンセントは人口の6割以上が黒人で占めれている。その他インド人、ラテン系、白人という構成で、マジョリティの黒人もいろんな人がいる。ほんとに黒い人から、少し薄めの人から茶系の人、豊潤な唇の人、ぼくのような平たい顔族の人。体系だってモデルのようなスラっとした人から、非常に丸みを帯びた人、背の高い人、低い人…実にバラエティーに富んでる。

で、気になるのはそういった社会ではどんな人がモテるのか

結論から言うと、人の好みもバラバラ。

はっきり言ってしまうと、すっごい太い人でも普通にデートしてるし、ビーチでイケメンの筋肉質の彼氏とイチャイチャしてる。一方でがりがりの人もイチャついている。

ぼくはその光景を見て、多様性ってこういうことかと納得感があった。

欧米受けのするモデル体型の人もモテるし、ラテンにウケするお尻の大きな人もモテる。

それは選ぶ側の自由といった感があるし、太っている人も自分のその体型を惨めに思ってる風でもなく、自撮りガンガンするし、インスタにもガンガンアップしてるし、自分に自信持ってるのかどうかはわからないけれど、少なくとも全く卑下していない。

たぶん、これは自分をセクシーだと思ってくれる人はいるという安心感があるんだろうなと思う。実際そういう体型が好きな人はたくさんいるし。なんというんだろう、自分の需要のあるマーケットを知っているから無理に他のマーケットに寄せに行く必要がないというか、隣の芝は青い現象が起きていないように見える。もちろん現実はしらないけれど。

これ、1つのゴールだなぁと思った。

どういう条件でそういうフラットな社会が生まれるのかわからないけれど、すごく良いなと思う。

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yuki oka
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