私はね、ずっと自分の居場所を探しているの
Farewell, My Lovely
次の水曜日、台湾人のジョアンが任期満了で帰国する。そのお別れパーティーが例によってファンの家で行われた。
台湾ボランティアの任期は1年。志願者が少ないのか、ここが終わったら他の国にも行かないかとお誘いを受けたらしい。
ジョアンは、ここでの物事の進まなさに疲れ切っていて多くの若者がそうであるように心を挫かれていた。「思ってたのと違う」言葉にはしなかったけれど、彼女の顔にははっきりとそう書かれていた。
とりあえずは台湾でゆっくりする。これからのことはそれから考える。
とだけ、まじめに答えた。
いつもの週末のように、みんなで料理をし、つまみ食いをしながら、パーティーを楽しんだ。
ジョアンと特に仲の良かったファンは心なしか寂しそうにみえた。
Yukiは日本は好き?
リビングでみんなで話してるとき、ふいにリー(台湾人ボランティア)が尋ねてきた。
「好きだよ、自分の生まれた国だから。君は自分の国が好きじゃないの?」ぼくは素直に答え、素直に尋ねた。
「そんなに。理由はわからない。なんとくそんなに好きじゃない。」リーは普段は真顔で冗談をかましたりするけれど、このときはほんとうに困った顔をしていた。今日提出の宿題を忘れてしまってどうしようと、あたふたしてるような焦りも見えた。
「わたしはね、ずっと自分の居場所を探しているの。日本はどう?日本語を習うのはどうかな?」
あぁ、アンニュイな目をしているのはそれかと思った。どこかずっと遠くを見ているような雰囲気がリーにはあった。
しかし、これはまた重い話になってきた。孤独感。ぼくの抱える多くの問題の内の1つでもある。ぼくだって、淡路島には自分の居場所がなかったから神戸にでた。
神戸はすごく好きで居心地も良かったけれど、残念ながら神戸の方は少なくとも当時のぼくを必要としていなかった。次の候補地、東京に行かざるを得なかった。
東京は良い会社に巡り合えたけれど、言いようのない焦りがずっとあった。このままで良いのか、ぼくはもっと自分に期待しても良いんじゃないか。
東京はぼくに居場所を与えてくれたけれど、その居場所はぼくには少し窮屈だった。
たぶん、こうやって協力隊やボランティアに来る多くの人が同じ悩みを抱えてるように思う。
けれど、リーのそれは切実に見えた。セントビンセントに何かきっかけになるようなことを期待していたのかもしれない。少し前に旅行したマイアミも彼女を満足させることはできなかったようだ。
日本語か。
何をどう伝えるべきだろう。うまく言葉がでてこなかった。大事なときに適切な言葉がでてこないというのも、ぼくの抱える問題の1つだ。いくら住む場所が変わっても、話す言葉が関西弁だろうが標準語だろうが、英語だろうが、こういう根本的な問題はなかなか解決しない。
It depends on what you want to do in Japan or between japan and Taiwan/China.(日本で何をするかにもよるね)
そう答える前に、横にいたAが「日本語は難しいし、人口も減ってるし景気も良くはならないだろうからおすすめはしない」と言った。
ぼくの嫌いな答えだ。主語が大きい。
例えば、イタリアは経済は終わってるし出生率も日本より低いけれどイタリア語を習うのはバカなことかと聞かれると、まずイタリアで何するの?という話になるだろう。観光の仕事か、アンティークの家具かワインかアパレルか…。全体でみれば、治安は悪いし良いところを探すのは難しいかもしれないけれど、個別で見れば魅力は多い。
それと同じことじゃないかと思う。
観光を仕事にするなら悪くないと思う。なんてたって今日本はアジアのイタリアになろうとしているのだから。中華圏からの観光客の多さは言うに及ばず、東南アジアからの観光客もガンガン来てる。日本人は言語ヘタクソだから英語と中国語が流暢なら、ほんの少しの日本語だけでも引く手数多ではないかと思う。
そうでなくても彼女ITはエンジニアだそうだから楽天あたりなら日本語なしで働けるだろうし台湾より給料は良い。その他もIT系はそもそもが人材不足に喘いでいるのだから需要は抜群にある。給料だって良い。
だいたい景気が良いところで働くって言葉は美しいけれど、それならアフリカへ行けという話になる。それが正しいかどうかは人による。そしてもちろん景気が良いからといってみんなに恩恵があるとは限らない。特に外国人とあっては。
10年ほど前、ぼくがまだセブにいた頃、似たような話があった。当時は東南アジアブームで、セブには閉塞的な日本を脱出して海外で一発当てようとする人たちが怪しい人も含めて結構いた。
彼らがどうなったかと言うと、ぼくの知る限り成功した人はほんとに少ない。海外駐在や現地企業に就職した人もいたけれど、仕事は現地の日本人を相手にした仕事が大半で給料はもちろん日本より少ない。キャリアアップも見えない。理想と現実のギャップに耐えきれず、数年でそういう人たちは日本に帰ってきていた。
結局、景気の波や成長の尻馬に乗ろうとするのはスキルのない人にはできないことなのかもしれない。
リーは結局自分が何をしたいのかも、よくわかっていないようだった。週末、統計の勉強をしているのも必要だからというわけではなく、流行りにのって取敢えずやってみるというニュアンスが大きいらしい。
彼女はこれらかもずっと悩むだろうなぁと思う。
だって彼女が求めるもの、自分の居場所って、つまりは経済的な成功でなく、自分の感じる孤独感をなくしたいということだろうし、それは現代ではなかなか厳しい。都市生活は基本的に孤独との戦いだし、田舎は閉塞的で逃げ場のない人間関係が待っている。
せめて彼女が、自分は何が好きで、どういったときに喜びを感じるのか、自分の人生で大事なもの、みたいなことが現時点で良いから自分でなるだけ正確に定義できれば良いのにと思う。
リーの帰国は9月。
それまでにせめて方向性だけでも見えると良いのだけど。