自己紹介のようなもの
インターネット上であえて文章を公開することについて、自分の中にはもともと漠然とした方針のようなものがある。が、自分自身でもきっちりとそのルールを把握しているわけではなく、何となく記事を書いては載せ、載せた内容について差し支えなかったかどうか迷い、「いや、やはり不適切だったか」と消す、というようなことを近頃くり返した。
ころころと表明する主張を変えるのは自分の姿勢としてあまり好きでないので、ここらで少し、インターネット上に文章を公開することについて、自分の方針をまとめてみようと思う。
ここ1年ほどぼちぼちnoteに文章を公開してきたが、ふり返るに、まず私が文章を書く理由は大きく分けて3つある。
ひとつめは、書かずにいられないような気分になる場合、そのはけ口としてパソコン画面上への出力を好むから。
ふたつめは、自分のために記録しておくべきだと思うような考えがよぎった場合、文章化による推敲を好むから。
みっつめは、向き合うべきだと思った議題に遭遇した場合、価値判断に関するパラメータを列挙して思案するのに、口語的でざっくばらんな文章表現を紙面上に記録することを好むから。
さらに、インターネット上に公開しようと思う理由は主に2つ。
ひとつは、純粋に、文章を介して通りすがりの他者の気配を楽しみたいという欲求である。
もうひとつは、ひょっとすると、自分の考えたことや感じたことが誰かの何らかの役に立つかもしれないという思いである。
そして、公開して差し支えないかを考える基準はさらに2つ。
ひとつは、客観的な情報に関してできるだけ誤りの少ない文章であること。
もうひとつは、自分の主観的な考えを述べた文章について、それが誰かを強烈に懐柔したり手ひどく傷つけたりする可能性が、できる限り低く保たれていることだ。
私は他者に自分の主観的かつ具体的な考えの正当性を証明したいわけではない。誰かの感情の自明性を手ひどく否定してまで、一般的に証明すべきことではないと思うのだ(そもそも誰にもそんなことはできないし)。
……これらを総合した結果、私がnoteに公開する文章は、私にとって少し切実なテーマを中心に据えることが多く、それはときにはおそらく他の誰かにとってもその人の抱える切実さを想起させうるもので、「でも、このあたりまでぼかしておけば、あるいはこの条件を明記しておけば、致命的なひとことにはならないんじゃないか……?」と(自分なりに)ギリギリの線を攻めがちである。
根が大雑把なので、ギリギリを攻めたくなるわりには詰めの甘さでボロを出すという悪癖がある。近頃、文章を公開しては取り下げる、というのをくり返したのは、そういう理由からだ。ダッシュボードを見る限り、少なからず人の目には触れているようなので、なんだか申し訳なく思っている。気を付けたい。
おまじない程度の匿名性を盾に、多少大胆になっている自覚はある。
インターネットのよいところは、そこに示される言説が現実の特定の人物や具体的かつ客観的事象に結びつかない限り、可も不可も無い御伽噺で終わることだと思う。
だからこそ、私は、客観的な情報の周知というよりは、御伽噺としての主観性を重視して文章を書いている。
あまり真に受けないでほしい。
けれど、もし何か心地よく琴線に触れることがあったなら、それは少しだけ心に留めおいてほしい。おそらくあなたにとって重要で切実な何かがそこに息づいているのだろうから。私は自他の文章を挟んでそういうものとすれ違う気配を感じるときに、御伽噺の意義を感じる。
「誰にとっても正しいこと」は書けないが、あなたが大切にしているものにほんの少しだけ掠めるように。そして私の存在感が残らぬように。あなたの大切なものだけがその場に残るように。
近頃はそんなことを考えながら、文章を書いている。
以上、自己紹介に代えて。