日記#1 モンハンNowと日本画
モンハンNow日和
7月20日、この日はモンハンNowの夏期イベント開催日。通常よりもモンスターがわんさか湧いて大変に狩りがいある。雲一つない晴れ。絶好のモンハンNow日和である。早速朝から外を歩き回りモンスターを狩りまくる。
イベントに合わせて新たに追加されたモンスター、パオウルムー亜種。このモンスターと私の相性がとても悪い。モンスターは攻撃を行う前に首を振るとか、足踏みをするとか攻撃前に予備動作を行う。そしてそれは繰り出す技の強さに応じて動作も大きくなる。例えば、いつもより大きく息を吸い込む動作を見たら「やばそうなのが来る!」と私たちハンターは身構える。
パオウルムー亜種の呼び動作は私にとってかなりギャップがある。小さな呼び動作に対してかなり大きい技が出されるのだ。だから「え?そんな大ぶりなの出すの!?」と驚いてしまう。
ちなみにこのモンスターは睡眠系、つまり当たるとハンターが眠ってしまう技を出す。だから、私が驚いた瞬間、私のアバターはその場に倒れこんでしっかり眠り込んでいる。これは許せない。こっちはかなり驚嘆しているのだ、お前も尻もちくらい付いてほしい。それに私は早起きして眠い目をこすって暑い中歩いているのだ。お前が狩りに出られるのは、そんな私の頑張りによるものなのだ。それに誠意をもって答えるつもりはないのか。
そう思っているとパオウルムー亜種はごっつい尻尾を眠ったアバターの脳天に思いっきり振り下ろした。HPが40ほど削れた。アバターは尻尾に吹っ飛ばされ、よろよろと起き上がった。この寝起きドッキリには、命がかかっていた。
「私もこいつも頑張っている。」そう思って汗をぬぐった。
日本画を見て
モンスターを狩り回って歩いていると美術館の看板を見つけた。それはかねてより訪れてみたかった美術館であった。以前通りがかったときは休館日で立ち寄れなかったから、この日が開館日で本当によかった。歩き疲れていたので一息つく意味も込めて立ち寄った。
現在は印象派展の会期中でマネ、モネ、ルノアール、ドガなどの著名な印象画家の作品が並んでいたが私が特に気になったのは日本画だった。
幸野楳嶺の「断崖観瀑図」、紙面の縦の長さが約140cmほどの掛け軸で画面右下に2人の男が小さく描かれている。彼らは左斜め上方向を指をさして見上げていて、その先には巨大な滝が落ちている。画面のほとんどを滝が占めているにも関わらず滝の全景は収まりきっていない。
勢いの強い流れの中にある水は空気の泡を含んで白く見える。川の急流やダムの放流を想像すると分かりやすい。この断崖観瀑図の滝も勢いが強く、水は白色で表現され、それはつまり画面を占めるほとんどが白色なのだ。
白色ばかりだとともすれば何が書かれているのか分からなくなりそうだが、全くそんなことはない。そこには滝が流れていた。滝の全体を収めず、しかもそのほとんどを白色で表現できているのは、滝を構成する要素の表現があまりに上手すぎるからだ。
空気を含んで白くなった水の塊、落下する水の影、滝壺の方向から立ち昇る細かい水の飛沫。水の態を墨の濃淡だけで表現している。
私は色々なことを想像した。滝を見上げる男たちが吸い込む空気が滝の水分を含んでひんやりしていること、滝壺に水が落ちる轟音が横隔膜を揺さぶる感覚、流れ落ちる「水」だったものが白い塊に触れて一瞬で「滝」に取り込まれる様。そんな想像がたった墨の濃淡で想起される、圧巻だった。
「スマホ的」掛け軸
私は掛け軸という形式が好きで、それは主題の配置が「スマホ的」で見やすいからだ。キャンバスに書かれた作品は迫力があって見ごたえがあるのだが、たまに目線が散る、つまりどこを見たらいいのか分からなくなることが私にはある。絵の内部に注視すべき場所が多くまた、その物理的距離が日常的な目線移動の範囲を超えているとき、それらを一挙に見ようとする意識がそれが実現できず、しかし注視目標の優先順位付けも明確にならないため目線を定めるのに迷ってしまい混乱してしまう。
あるとき、掛け軸だとそれが起こらないことに、というかむしろ見るべき場所に目線が集中することに気が付いた。これは掛け軸が「スマホ的」な主題配置になっているからではないかと私は推測した。掛け軸の縦長の紙面比率が、スマホの画面比率(約20:9)に似ていて、スマホのUXデザインによる目線運動が掛け軸における目線運動に類似する形で現れるので、目線の収まりがよいのだと。
時系列を追えばこれは全く逆だと思う。掛け軸の主題配置の技法が鑑賞者の目線を意識したものになっており、後世においスマホが現れた際に、ユーザの目線を意識して理論化されたUXデザインがたまたま掛け軸の技法に類似した。だから正確にはスマホのUXデザインが「掛け軸的」と表現される方が正しい。でも、「縦長の画面における目線が散らない主題配置」を感覚的に字引すればそれは身近な縦長画面のスマホになってしまう。
今の感覚でヒットするのはスマホだけど、スマホの前は何だったんだろう。
というか、掛け軸の前は何だったのか。掛け軸を見た当時の人が「見るべきとこがはっきりする」ということに気が付いて「これは○○的だ」と表現するとき、掛け軸の前にある縦長の画面って何なんだろう?木簡とか?でも木簡は文字を書くと思うので少し違うのだろうか。
いつの時代も事象を自分の経験から推測する心理的な動きはきっとあっただろうし、とても気になる。
人間の推測力
人間は推測力は動物の中でもかなり高く、人類の進化は物事の推測力の精度の高さによって実現されたといっても過言ではない。食べ物が腐っているかどうかを確かめるとき人は臭いを嗅ぐ。肉からすえた臭いがすれば、「これを食ったらやばい」と腐った肉を食べたことがない人でも理解する。その臭いをそれまでの嗅覚の経験と比較して危機な部類であることを推測するのだ。この卓越した推測力で人は危険を回避し、進歩してきた。
では、パオウルムー亜種呼び動作はどうだろうか。あれは人間の推測(少なくとも私の推測力)を超えている。「その動きでそんなことするのーー!」と私の推測を大きく超えて行動してくる。しかも当たったら寝てしまう。なんてやっかいなんだ。こんなモンスターがゲームの中だけの生物で本当によかった。こいつが現実世界に存在していたら人類は早々に滅亡し、パオウルムー亜種がこの地球の覇権を握っていたであろう。
覇権を握った世界でパオウルムー亜種がパオウルムーと連立政権建てたら面白いな。白黒内閣って呼ぼうよ。あるいはオセロ内閣。
答弁でうやむやな答えが返ってきたら「白黒はっきりしろよ!」「真っ黒なんだろ!」とヤジが飛んでちょっと笑うっていう。翌日の朝刊の見出しに「灰色の答弁!パオウルムー亜種に新種か!?」とか書かれたりしてね。
さて、いつの間にかパオウルムー亜種の討伐数はもうすぐ30体に届くところまで来ていた。パオウルムー亜種の武器だって作れるようになったのだ。推測が外れる中でもこうやって人類は道を切り開いてきたんだ、きっと。
いつものおしらせ
友人とゆるゆるポッドキャストをやっていますのでよかった聞いてね!
7月20日時点の最新話はこちら!
■ApplePodcast
■Spotify