視察記録:世田谷のまちと暮らしのチカラ ―まちづくりの歩み50年―
私の所属研究室は 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 環境学研究系 社会文化環境学専攻 出口敦先生の空間計画研究室で(改めて書くとやっぱり長い…)、主に大都市圏など都市側の政策や空間計画を議論し社会実装を行っている研究室です。
農山村に住みながらリモートで自分の研究室会議に参加していると、今都市側で課題や取組みとして議論されていることは、結構農山村でも応用できるものが多いなと感じながら思考を巡らしていました。
今回視察させて頂いたのは、世田谷文化生活情報センター 世田谷工房(HP⇒https://www.setagaya-ldc.net/)の企画展「世田谷のまちと暮らしのチカラ ―まちづくりの歩み50年―」(HP⇒https://www.setagaya-ldc.net/program/564/)です。
一般財団法人 世田谷トラストまちづくり 常任理事 小柴直樹さまと、理事長の髙木加津子さまに企画展のご案内頂きながら沢山の示唆を頂きました。
そもそも、「まちとは何なのか?」ということを考えると、もともとは身を守るために集まって暮らし、集落が生まれていった…これが広がっていくことで、まちとなっていきました。農耕社会がベースとなる日本では、その後まちは物々交換の場となっていったところが都市となっていきました(小柴 2022)。
これまでの人々の暮らしの歴史の中で、こんなふうに有機的に育ったまち(主に農山村が多い)がある一方で、急激な人口増加に対応するために計画的に設計されたまち(主に都市が多い)もあり、私はどちらかというと主に都市の計画設計されたまちを研究対象としてきました。
都市のまちづくりは、これまでは人口増加や経済活動が活発化することに如何に対応するのか?という思考に従い土地利用計画や道路計画が作られてきました。しかし、今の日本のほとんどの地域では少子高齢化や人口減少が進み、今までの都市計画の想定とは真逆の現象をふまえながら、まちのあり方・続け方を考えているステージに私たちはいます。
なので、人口が減るから町をコンパクトにしようとか、空き家が増えてきたから対策しようとか、高齢者など車を運転できない人が増えてきたから公共交通をもっと使いやすくしようとか、都市でも農山村でも程度の差はあるけれど同じような課題に対して、みんなで知恵を出し合い考え、様々な取り組みがなされ、あちこちで知見の共有がされています。
これまでのまちづくりの歴史の中で、まちをつくる仕事は、計画に対して知見や経験がある専門家や行政が中心となって行ってきました。ですので、まちが大きくなっている時も小さくしなくてはいけない時も、リーダーシップをとるのは専門家や行政の人たちという認識がどこかにあったかと思います。でも、まちで暮らしている人たち自身がどんな暮らしをしていきたいのか聞いて、もっと意見を取り入れようという住民参加型のまちづくりが実施されていた時代があり、今はそれを経て、全国のあちこちで都市でも農山村でも住民自らがまちづくりの計画を描き行政が意見を出す「行政参加」の時代に入っているという指摘(小柴2022)が生まれてきていて、私も強くそれに共感します。
私は人口8千人ほどの秋田県五城目町と言うところで暮らしながら、主に東京のような大都市圏を対象に研究をしてきました。コンビニが町に2軒しかなく、一年でパトカーが出動したのを見たのは熊が出た時だけ!という場所に住みながら、大都市の利便性・快適性・安全性についてリモートワークで自分の研究室と議論しているという真逆の状況にありながら気づくことは、都市でも農山村でもまちが少子高齢化と人口減少が進む縮退というステージにある時、まちの暮らしに対する課題と取り組みの方向性はかなり共通するということでした。空き家の増加に対する対策、子供の減少に伴う学校の統廃合、単身世帯(特に一人暮らし高齢者)の増加によるコミュニティスペース創出の取組みとシームレスな地域交通開発の重要性など、ありとあらゆることが共通項として上がってきます。
また、人々の暮らしに焦点をあてたまちづくりとなった際、焦点となる空間のスケールはその人が日常の活動をするスケール=コミュニティサイズのスケール(徒歩10分圏内もしくは小学校学区あたりのスケール)で取り組みを考えるのが自然だなと視察を通して感じましたが、これは農山村でも同じだなと体感しているところです。ということは、その都市・市区町村の人口規模にはあまり左右されずに、都市でも農山村でも、結局は縮退するまちにおいてコミュニティサイズの空間のスケールの住みやすさはどうか・何が必要か考えることがポイントなのではないかと思っています。
修士課程にいた頃から都市を対象とした研究をしてきて、当然のごとく都市について書かれた論文や本を読むことが大事と思っていたのですが(というか、それすら読みたいものを時間的制約からじっくり読めていないのが実情…泣)、農山村に住んで生活環境がシンプルになったことで、まちづくりに対する議論の本筋が浮き上がるように自分の毎日の体験から見えてきた気がしています。改めて世田谷区のまちづくりの視察に行って感じたことは、50年のまちづくりの歴史の中からくるアイデアや事例の多さや取組みの多様さは、今住んでいる五城目町のまちづくりに参考になることばかりだということです。
農山村に住んでいると地域開発や農村計画の研究をしている方々が町を訪問して下さりお会いすることも多いのですが、農山村を研究対象としている方々は農山村のみ観察して研究していることが多いし、(私もそうだったように)都市の研究者は都市の事象のみをみて研究していることが多いです。もちろんRural urban linkageを研究対象としている研究者の方もいるけれど、それは都市と農村の「関係性」を研究対象としていることが主です。
もちろん都市の持続可能性を考えるとき、都市は圧倒的に抱える人口が多いので、規制や制度が農山村に比べて複雑化せざるを得なかったし、都市開発や規制に対する住民(反対)運動も多様なので、都市と農山村のまちづくりを同列に議論することはできないものの、それでも今回の世田谷区の視察で、縮退していく時期にある都市と農村は、双方の向き合う課題の共通項が多いので、双方を行き来しながらまちづくりについて検証していくことができるという視点を得ることができたのは大きな収穫でした。農山村は農山村の関係者や研究者同士、都市は都市の関係者や研究者同士で観察し合う場合が多いです。でもきっと、まちの将来を考えるには、それぞれのグループ内ではお互いの共通言語があるから理解しやすいけど、縮退期のまちづくりにおいてアイデアの多様性やブレイクスルーは農山村×都市で考察するもっと出てくるんじゃないかと感じて視察を終えました。また、このような考えは、私が都市を研究対象にしながら農山村に住まなければ体感できなかったことなので、ようやく私の研究者としてのアイデンティティもちょっと見えてきたところで嬉しい。今まで「何の研究をしているのですか?」という質問に対して、自信ないようなあるような回答をしていたのですが、恐らくこれからは「私は持続可能なまちづくりを研究対象としてます。まちのフェーズとしては縮退のタイミングを対象としていて、暮らしに焦点をあてると都市も農山村も抱える課題は共通するものが多いので、農山村に住み体感としてまちづくりを考えながら、都市も引き続き研究対象として考察しています。」という前よりも明確な言葉で説明できそうです。
そして更に、世田谷のまちづくりを視察して感じたことは、縮退していく状況でまちづくりをしていこうと思った時、必ず町の将来に思いを馳せます。人口規模や地域産業の将来の変化を考えながら、その時思い浮かべるのは町の次の世代もしくはもっと先の世代の「暮らし」です。その暮らしに見合う町をつくっていこうと思ったとき、なにが必要かということを考えるとその町の暮らしを支え発展させていく人材が大切で、だから人づくりが大事ということに気づき、最終的には(大人も子どもも含めた)教育が大事。ということに気づきます。
まちづくりを研究対象としていると様々な課題が上がってきて、色々な取り組みが必要と言われ、教育はその一つととらえられがちです。でも、そうなのではなく、まちの将来を考えた時、その暮らしを守るためにはそこに住んでいる人たちが創意工夫して暮らすことが大事で、様々な課題を解決するために、まちづくりの様々な事業をつなぐ横串のように教育が重要という考え方なのではと思っています。ですので、少子高齢化で子どもが少なくなってきているのに、どうして世田谷区も五城目町も教育に注力しようとしているのか?という問いに対して、クリアになる答えが見えてきた気がします。
また、今回の企画展は50年の世田谷のまちづくりを整理・総括したもので、まちの人たちの振り返りに役立つのはもちろん、我々のように外部から来た人たちが学ぶ上でも非常に有益でした。年表や模型での説明も分かりやすく、これは五城目町でも是非取り入れたい!と思ったりする具体的事例も多く見れたのが良かった!
世田谷区は90万人の人口がいますが大学生のような若者や長く住み続けている高齢者が多く子育て世代が極端に少ない人口構造となっています。家賃・土地が高いことからより郊外に引っ越してしまう人が多いことからこのような人口構造になっているのですが、この状況をふまえ、世田谷の次の世代をどう育てるか、そこにもしっかり焦点をあてて、まちづくりを行っているところをお伺いし、町の将来を真剣に捉えている様子を感じました。またコミュニティ活動にアクティブな層の活動内容や、町内会もありながら維持存続には工夫が必要なことも農山村地域と似ています。ご紹介頂いた小柴さんが「世田谷という『地域』は…」とか『世田谷の「関係人口」の…』という言葉を使っていることも印象的でした(こういう言葉はてっきり地方でしか使われないと思っていた)。
私にとって大きな気づきや思考の整理ができた世田谷区の視察で、かなり充実した時間を過ごすことができました。今回、視察を企画してくれた空間計画研究室の皆さまに心からの感謝です。また、視察のご説明を頂き、掲載に許可を頂いた小柴直樹様、高田様に心からお礼をお伝えしたいと思います。そして引き続き世田谷のまちづくり事例から多く学びを取り入れたいと思います。
参考文献:
小柴直樹(2022)「人をつなぐ 街を創る 東京・世田谷の街づくり報告」、花伝社