レポ86:能登観音埼灯台(2024/12/19)
石川県七尾市の北東に延びる崎山(さきやま)半島。その先端の鵜浦(うのうら)にあるのが能登観音埼灯台ですが、2024年1月に発生した「令和6年能登半島地震」のその後を見るために訪問しました。
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年々その数を減らしている灯台を護るため、灯台病の記者が灯台訪問の魅力などをお伝えする『全国の灯台巡礼レポ』。灯台マニアの方のみならず、灯台のある風景を通じて地域の魅力を再発掘したり、自身の原風景を護りたいと願う地元の方々にも参考にして頂ければ幸いです。
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◼️レポ86:能登観音埼灯台(2024/12/19)
北陸地方の石川県は日本海側に大きく突き出すように能登半島を有する地形をしています。
七尾市には能登半島で最大の島である能登島(のとじま)が含まれており、北東には能登島の入り口を塞ぐ形で地形が延びており崎山(さきやま)半島と呼ばれています。
七尾湾は能登島をぐるりと囲むように形成されており、日本海側で最大の内湾です。その入り口に小さな観音島と向き合う形で設置されているのが今回訪問する能登観音埼(のとかんのんさき)灯台です。
能登観音埼灯台は正直、交通の便が良い場所では無いため自動車で向かいましたが、途中、道路の復旧工事が所々で行われており、地震の影響を感じながら灯台に向かいました。
灯台に至る山道のふもとには駐車場やトイレ休憩できる施設がありました。ここで車を停めて徒歩で灯台まで向かいます。
駐車場から灯台まではほんの160mほど登ったところですし道も整備されていますので、あまり体力面を心配しなくても大丈夫だと思います。
能登観音埼灯台の初点灯記念日は1914年(大正3年)1月27日です。設置当初は七尾湾の入り口を指し示すため「七尾湾口灯台」と呼ばれました。
その後、1966年(昭和41年)に現在の名称に変わったとのこと(変更経緯は調べましたが不明)。
元々、崎山半島の先端は人気(ひとけ)の無い土地だったので、灯台職員の官舎が併設されていました。家族で住み込み、子どもは山道を歩いて学校まで通っていたとのこと。
1975年までは灯台職員が常駐しており、その後は巡回による管理へ切り替え、1986年(昭和61年)には自動化による建て替えされたことで現在の円筒型のデザインに変わりました。
官舎があったスペースには、現在ではちょっとした展望台とベンチが設置されています。
元々、この場所からは西側に七尾湾と能登島が臨むことが出来る眺望だったそうです。
しかし、2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」の影響もあってか、残念ながら管理の手が行き届いておらず雑草が伸びっぱなしになって展望台から全く海が見えません……
灯台の東側のアングル。東側も観光客向けに七尾湾・富山湾や立山連峰が眺められるように整備されていましたが、損壊し地震の影響で補修工事中の様子でした。
訪問日はあいにくの曇天で、海上に浮かぶ立山連峰を眺めることは出来ませんでしたが、天気が良ければさぞや絶景が拝めることでしょう。
灯台を一通り愛でた後は、ふもとの周辺散策です。駐車場から港に出た先に見える小さな島が、灯台名の由来にもなっている「観音島」。
現在では陸続きで歩いていける、とのことなのでせっかくなので渡ってみます。
崎山半島は、「令和6年能登半島地震」で最大震度7の影響を受け、能登観音埼灯台周辺の家屋も多くが被災している様子でした。
観音島にある観音様を祀った家屋も被災修復中で、ブルーシートが生々しく覆われています。
近くの鵜浦海水浴場も、地震の影響で砂浜に段差が出来てしまい、今年2024年夏の海開きを断念したそうです。
観音島から見た能登観音埼灯台。
こう見るとまるで灯台を建設するために山を削ったように見えますね。ただ能登半島は隆起により出来た地形なので恐らくこれは自然に形成されたものでしょう(※裏取りしてませんので想像です)
現地を訪れた様子から見ると、地震から1年経過してもまだまだ復旧・復興支援が必要な状況でした。
下記Webサイトからは震災前の様子が分かるので、参考までにリンクを貼っておきます。
1日でも早い復旧を願うばかりです。
<参考リンク>
能登の観光・グルメ情報などを、「のとルネ(のとルネッサンスプロジェクトの略)」アンバサダーののっちさんが、能登観音埼灯台をご紹介されている記事です。非常に分かりやすく、動画もついており、被災前の様子がよく分かります。※2021年6月10日公開、2023年5月28日更新
直木賞作家・安部龍太郎さんが石川県七尾市・能登観音崎灯台を訪れたレポートです(前後編あります)。※2022年11月2日公開
#3以降の禄剛埼灯台編も是非ご一読ください。
村上 記