「色彩を持たない浅香裕和と、彼の巡礼の年」 主将
いよいよこの新歓note企画も終わりを迎えてしまいました。恐らくこれを見ている新入生の多くは既に応援部に心を震わされた者たちであると思う。そんな君たちに捧げる最後の寄稿文となるが、主将だから良いことを言うなんてことは残念ながら無い。私の趣味全開の話である。
さて、申し遅れましたが本年度東京大学運動会応援部主将を務めます、浅香裕和と申します。以後どうぞよろしくお願い致します。副将がこの企画にて趣味全開も全開のことを書いていたので私もそれに負けじと趣味全開で行こうと思う。が、私が応援部を選んだ理由や自分の応援哲学についても語ろうと思う。
皆さんは読書が好きでしょうか。私は俗に読書家や本の虫と呼ばれるほど読むわけではありませんが、現代文の問題文を読むのは好きでしたし、活字本を電車内や喫茶店で読むことでインテリ感を出すのが好きなので現代の水準で言えば読んでいる方に入るのだと思います。
読書は良いです。今こうして確固たる信念を持ち応援部リーダーとして在るのも読書を通して得た知見や哲学によるものだと思います。そこで本日は「応援部に入ったら読んでおくべき本二選」を紹介していきたいと思います。
① 『MAJOR』(小学館)
一発目は言わずと知れた国民的野球漫画『MAJOR』である。存在自体は幼い頃から知っていましたが、読破したのは中学二、三年の時期でした。今でも鮮明に覚えていますが、中学生当時の浅香少年は部活はサボって帰宅することこそ美学、学校という檻に囚われず反抗することこそかっこいいと本気で思っていました。
そんな中で出会ったのが『MAJOR』でした。今までの生き方をキモイと一蹴し、それ以降の私の生き方を変えてくれたのがこの漫画でした。そして中でも一番影響を受けたのが当時の私と同じ中学生編ではなく、その次の高校生編(第三部)でした。
この第三部聖秀学院高校での話は、本当に心を震わせるものでした。あと数ヶ月経って同じ高校生になるけど、こんなに熱い奴には今のままではなれない、体裁だけ取り繕ったって本気で何かに打ち込んでる奴の美しさに勝るものはない、これが『青春』であると感じました。本当に言葉では説明しにくいことに自らの未熟さを感じますが、つまりこの『MAJOR』を読んで得た見解としては、「体裁だけ取り繕ったって本気で何かに打ち込んでる奴の美しさに勝るものはない」、まさにこの一言に尽きると思います。そしてそれに対する憧れは今でも自分の原動力となっています。
大学で部活・サークル選びをする中で、ずっとこの感覚が自分の中で残り続けました。それなりに安牌な道でも良いけど、険しい道を共に歩く仲間が欲しい、そいつらと四年間を一緒に過ごしたい。そこに『MAJOR』で見た『青春』があるのだと思い、この道を選びました。この選択に正解、不正解は設けたくないですが、正直正解と言わざるを得ないです。もちろんネガティブなこともありましたが、それを凌駕する位に良い人に出会えました。人は宝、まさに応援部を体現するにもってこいの言葉でしょう。
最後に第三部に出てくる好きな言葉を紹介したいと思います。
・「失せろ。最後まで闘う意志のない奴に用はねぇ。」
→いやぁ。痺れますね。このシーンは実際に見て頂きたいのですが、本当に勝負事をする人間の真理に迫った気がしました。では、「応援」と言う行為において「たたかう」とは何かと問われれば、まずは最後の瞬間までプレーする選手に勇気を届け、応援席の雰囲気を最後まで「俺らはプライドを賭けた勝負事をしているんだ」と言う状態に保つことでしょうか。それに基づくと応援の勝敗は明らかに存在することになり、負けの瞬間とは我々がプライドを捨て、諦めた瞬間でしょう。そんな奴は本当に「用はねぇ」。「失せろ」。
プライドを持つという行為、つまりぶれない自分を保つと言う点において、「〜の様になりたい、ありたい」と言った言葉は時として見失いやすい考えだと思います。それよりかは「こうはなりたくない」と言った、なりたくない自分とは常に対極にいることを心掛ける方が、一周回ってなりたい自分への近道だと思います。是非応援部の門をこの春叩いた諸君らは「どうなりたくないか」を考え、「どうありたいか」を模索し、このプライドを持つということの意味を考え続けて欲しいと思います。
・「悔いのない一球を投げ込んでこい!例えこれがラストボールになったとしても、俺達は今日のおまえの百八十四球を一生忘れねえ!!」
→なんだろう。この言葉を調べるために該当ページの画像をググったら、それ見ただけで目頭が熱くなってしまったよ。マッタク。『MAJOR』好きです、と言ったら老若男女このシーンを取り上げなければならないと思います。
まさに『青春』が詰まっている
本気でぶつかり、本気で何かに一緒に取り組んできたものたちにしか出ない言葉でしょう。こんな言葉並みの高校生には頭に浮かびすらしないですよ。
スポーツ漫画ってこういうシーンが絶対あるから良いんですよね。自分らもこうなりたいと思うけど、いざ似たような場面になるとそんなキザな言葉言えないって。そういう「神話」として、一生我々の憧れとして、伝説としてあり続けるからこそ名場面なんですよね。こう言うシーン見ると明日も頑張ろうってなりますよね。辛い練習終わった後はこのシーンがある回を見て自分を奮い立たせていました。
② 『あおざくら 防衛大学校物語』(小学館)
こちらは打って変わってあまり知名度があるようには思っていないのですが、『THE 青春』と言う軸はぶれない好きな漫画です。余談ですがこちらも①の『MAJOR』と同じく、『週刊少年サンデー』(小学館)の作品です。意外とジャンプよりサンデー派なのかもしれませんね。
さて、こちらの作品は題名にもある通り実在する「防衛大学校」が舞台となり、(実際に入校した訳ではないので本当かどうかは知りませんが)そこでの生活をかなり忠実に再現していると話題の作品です。この作品は題材だけで注目を浴びているわけではなく、ちゃんと「友情、努力、勝利」の王道を行く物語であり、飽きない自分好みの作品となっています。
この作品は本当に読んで欲しいと思います。特に防大生に焦点が当たっているので、「理想のリーダーとか何か」を常々読者に問いかけてくる本作品であり、まさに「応援部リーダー」の門を叩いた諸君らに読んで欲しい作品です。ただし、安易にこの作品の中に書いてあるものを取り入れるのではなく、結局は自分で考え続け、答えをその都度出し続けることが大事である。作品中でもそれは語っているので見落とさずにいて欲しいです。また、自分より遥かに頑張っている防大生に思いを馳せつつ、彼らに比べて自分なんてまだまだだと前に進む活力をくれる作品でもあります。
そして、例に漏れず作中の名言と共に本作の魅力を紹介したいと思います。
・「なぜ彼らが応援のため運動部以上の厳しい練習をするか分かるか?それは彼らが応援するものは応援される者よりも、努力していないといけないと言う信念があるからだ。」
→まさに仰る通りです。ぐうの音も出ません。応援部の本質はここに詰まっています。代弁頂き誠にありがとうございます。皆さんも見習いましょう。
…。まぁ何点か付け加えさせて下さい。これはスコア上の勝ち負けが存在しない応援部が、「応援練習」と言う日々の練習に対して行う自己肯定のような文言として用いられる様に思います。若干マイナスイメージを伴うように書きましたが、やはりどこまで行っても理屈であり、これで万人を納得させようとは私自身は思ってないからです。
しかし、ここで大切なのは「応援をする」と言う行為において最も大切なことの一つは「自分に自信を持つこと」です。そして、この「自信」と呼ばれるものを身に付けるために日々の練習があるのです。中には意味が分からず、やたらと強度が高い練習がありますが、それをまず課されること自体が一握りの人間にのみ許されたことであり、それを乗り越えた人間はさらに一握りとなるでしょう。要はこの過程を踏み、最終的にはある種自分に特別意識を持って欲しいと言うことです。そしてこれが「自信」であると思います。
応援席において、最も情けないのは自信がなさそうに弱々しく「頑張りましょう…」と言う様な応援部員でしょう。「モテる男はここが違う!」などと銘打つ億と存在する様な動画やブログにおいても、「自信のある男性は魅力的!」という文言は必ず目にすると思いますが、原理は同じです。「応援」と言う行為は他人に影響を与える行為であり、だからこそ先導者には「自分に付いて来い。そうすれば上手くいく」と言った自信に満ちた態度、言葉が無いと説得力がなく、応援席に活気は生まれません。しかしあくまで応援部は黒子であり、華はプレイヤーである。驕りとは一線を画すこの考え、だからこそ「応援は難しい」と呼ばれる所以であると思います。私もまだまだこの境地には達していませんが、せいぜい最後の最後まで泥臭く足掻こうと思います。
・「オレたちはオマエらに理不尽なことをしている。それは、オマエらが理不尽を知らねばならないからだ。」
「理不尽な状況を手伝ったら、沖田が理不尽に立ち向かうチャンスを奪うことになるんだよ!」
→安心して下さい。少なくとも私はこのように思っていたとしても諸君らに直接言うことはありません。あくまでこれから人生を生き抜く上で心の拠り所となるような言葉を厳選した次第です。
ここでのテーマは「理不尽とどう向き合うか」と言うこと。
まず作品中の理屈としては、国防を担う幹部自衛官を育成するのが防大→指揮官クラスになるものは刻一刻と変わる状況に対して最後まで責任持って向き合わなければならない→その過程で仲間が、部下が命を落とすなどの理不尽も当然付きまとう→しかし、その理不尽を放棄したり、それに屈服することは許されない立場の人間、それがお前らである
中々壮大なスケールですが、本当にそうなのだろうと脱帽する思いです。時は令和、今でこそ応援団・応援部=理不尽、といったことは内部としてもさせず、外部からのイメージとしても諸先輩方の血の滲むよう努力によって徐々に払拭されつつあると思いますが、一昔前まではこのような理屈で行われていたのでしょう。
これは流石に言い過ぎだとは思いますが、我々も多かれ少なかれ現場で理不尽に向き合うことは往々にしてあります。例えば一番小さいスケールで言うと、ステージ活動中に長い演目があり、まだ演目の半分も終わってないけど疲れた、けれども始まったら終わらない、最後までやるしか逃れる方法は無い。これも一種の理不尽ですよね。その時にパフォーマンスを落としたり、途中で抜けたりすることは許されるでしょうか。
ステージ活動というのは、応援部を応援してくれる方々への一種の恩返しイベントであったりするわけで、自分らに期待してくれている人達がいるわけです。そのためこの理不尽を放棄したり、これに屈服することはその方々からの期待を裏切ることと同義です。
このように見方を変えれば色々なところに理不尽は存在しますが、それに対する耐性をつける、というのは理屈として正しいと思う側面もあります。しかし、ここには理不尽を課す理屈はあるものの、正当性はないです。結局このテーマって難しいですよね。課す側、課される側に信頼関係がないと成り立たない、全てはここに行き着く様に思います。
さて、二つ目の言葉について。これも中々鋭い意見ですよね。仲間のために良かれと思ってやることが、時として仲間の成長を阻害する行為でしかないということです。差し伸べるその手はエゴに過ぎず、本当に他人を思うならその手を引っ込めなければならない。まさしく「青春」でしょうか。私もよく注意され、後輩にも言うこととして、優しくすることと甘やかすことは別である、という言葉がありますが、まさしくこういう意味なんだろうと思います。時には同期に、そして時には後輩に対する本当の思いやり、優しさとは何かを模索する日々はまだまだ続きそうです。
最後に余談ですが、この二つのセリフを言うのは主人公が入校した際の四年生である坂木竜也という人物で、主人公が最も恐れ、最も尊敬するリーダーです。奇しくも私がリーダー新人の際に最も恐れ、最も尊敬したリーダー長のお名前の中にも「さか(=阪)」、「りゅう(=龍)」があるため、どこか凄く自分を見ているようで親近感が湧くのもこの作品が好きな理由なのかもしれません。
さてさて、長々語ってしまいましたがここまでお読みいただきました皆様には厚く御礼申し上げます。お前冒頭で活字本を読むのがインテリ感出て良いんですよね、とか言いつつ推薦図書漫画かよと思うかもしれませんが、21世紀少年なんて大半が漫画を読んで人格形成するものですから、その点ご容赦頂きたく思います。
タイトルだけは村上春樹氏の作品からパクったのですが、本を読むという行為は自分に新しい色を与えてくれると言う可能性を持つ行為だと思います。程度の差こそあれ、最初は皆が「色彩を持たない」無垢な白色で生を受けるわけですが、その後は自分の行動次第で色々な色を見つけ、吸収していく旅に出るわけです。私の応援部での旅はそろそろ終わりを迎えようとしていますが、新入生、もとい新人諸君はこれから始まる応援部での旅を楽しんで欲しいと思っています。諸君らが本気でぶつかったらその分新たな色を与え、適当に流せば何もくれない素直な部活です。三年後みんながどんな色を持って幹部となっているか今から非常に楽しみだ。(※最後のメッセージと村上氏の作品とはなんら関係はない)