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なぜビジネス系、引き寄せ系、悟り系の本やブログ等を読んでも効果ないのか? その2

以前、「なぜビジネス系、引き寄せ系、悟り系の本やブログ等を読んでも効果ないのか?」なんて記事を書きましたが、今回はその続きみたいなものです。

上の記事では

  • ロクに実践しないから。

  • 情報自体がお粗末だから(ビジネス系&引き寄せ系のほぼ100%がこれ)。

  • 頭でしか考えていないから。

なんて理由を述べておりますが、今回はそれに加えてもう一つ、理由を追加いたします。

第四の理由:「私」というものを、身体と思考と記憶だと思い込んでいるから

今回取り上げる理由はこれ。
ビジネス系には関係ない話で、悟り系と引き寄せ系に限定された理由かもしれないけど、このnoteはチンケなビジネス本とは異なるので書いてまいります。

以前解説を書いたラマナ・マハルシの『私は誰か?』に載っていますが、
あの小冊子に書かれている通りに「私は誰か?」ときちんと自己探求をしてみると、大抵の場合、答えは「私は身体と思考と堆積した記憶です」になります。

  • 身体:おなじみの肉体や知覚機能。五蘊でいうところの「色」と「受」。

  • 思考:頭の中で色々考えたり判断しているいつもの声。感情は思考に対する身体の反応なのでこっちに入れる。五蘊でいうところの「想」と「行」。

  • 記憶:これまでの記憶の堆積物。「価値観」や「知識」や「トラウマ」、あと所謂「ペインボディ」なんてものも含む。五蘊でいうところの「識」。

五蘊云々は余計なオマケですが、「私は誰か?」と本当に正直に自身に問いかけてみると、大抵の人はこの「身体、思考、記憶」の3つから構成されたものが「私です」になることでしょう。

悟り系をちょっと齧っている人なんかは「そんなことはない!私は『真我』だ!」「私は『意識』だ!」「私は『愛そのもの』だ!」なんて言うかもしれませんが、

本当にそうならば、その人は既に苦しみから解放され幸せそのもので、最早外に何かを求めたりしない、つまり身体やら出来事やら金やら人間関係やらに自身の幸不幸を依存させないしこんな記事も読まないでしょうから、なお苦しみがあるならただの嘘つきということであります。

そもそもの話、思考でもって「私は○○だ!」なんてやっている時点で、『私は誰か?』の問9&問12にあった通り、既に「私」というものが出てきており、「真我」等と呼ばれる全体とは分離しているのであります。

いくら素晴らしい書物(ビジネス本や引き寄せ本にはそんなもの無いと思うが)を読んでも、自分を身体・思考・記憶の堆積だと信じて疑わないならば、効果がないのは当然ではないでしょうか。

解決方法

そんなわけで、自分を身体や思考や記憶だとみなしているから人生において色んな苦しみが湧き続けているということで、これは今まで散々書いてきた通りなのですが、じゃあどうすれば良いのかという話。

まずは折に触れて、「ああ、私は自分を身体と思考と記憶の堆積物だと信じているからこんなに苦しんでいるんだな」と気付き、正直に認めましょう。

「いや違う!この世は『私の真我』が投影された幻なんだ!だからこの出来事や苦しみも幻なんだ!」なんて思い込もうとしても、概念の上にさらなる概念を上塗りするだけ、クソみたいな堆積物が増えるだけで何の効果もないので止めましょう。

で、ちゃんと正直に認めた後は、自分が頭の中で一体どんな物語を語っているのかを観察したりとか、物語抜きでその苦しみと対峙してみたりとか、
「それは一体誰に起きているのか?」→「もろちん『私』にだ」→「じゃあその『私』って誰?」とやってみたりとか、自分に合うものをやれば良いと思います。

以上、やっぱり解決方法は「気付き」と「観察」だということで、なんか適当に書いている気がするけど今回はここまで。

気が向いたら『私は誰か?』の(私なりの)実践方法について書くかも。