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特集「引き寄せの法則は人生を救うか」その1 注意点


これから何回かに渡り、「引き寄せの法則」について書いてまいります。

「何で今更引き寄せについて書くんだ」「気でも狂ったんじゃないのか」と思う人は思うでしょうが、一番思っているのは他ならぬこの私ですのでご安心ください(意味不明)

事の顛末

では何故、今更こんな引き寄せについて書くんだという話ですが、私の言葉で説明すると長くなるし説得力に欠けるので『覚醒の炎』から引用すると次の通り。

ある帰依者が「プンジャジの家族はパキスタンとインドの新しい国境の向こう側で身動きがとれずにいます」とマハルシに言った。このことを聞いたマハルシは、私に家に帰って彼らの面倒を見なさいと言ったのだった。
(中略)
私は言った。「あなたに会いに来る前、私には妻や、子供や、兄や、妹や、両親がいました。しかし今、あなたに会って、これらの人たちはすべて夢となったのです。私はもはやあなた以外の誰にも執着していません」
マハルシは答えた。「もしそれが夢だと言うなら、なぜ恐れているのか?夢の中に行き、あなたの妻や両親や親戚の面倒を見たほうがいい。なぜ夢を恐れるのかね?夢の息子を夢の国に行かせて、夢の中で夢の両親を救い出させるがいい」
私には彼の言うことが理解できた。だが、それでも私は去りたくなかった。なぜなら、それほど私は彼の姿と存在を愛していたからだ。
(中略)
彼は私を見ると言った、「あなたがどこにいようとも、私はあなたとともに在る」。これが私の覚えている彼の言葉だ。私は彼の言うことを即座に理解した。マハルシが言う「私は在る」は彼自身を示し、それは私自身の真我でもあったのだ。だとすれば、どうしてそれから去ることができよう?
もはや彼と議論することはできなかった。
(後略)

『覚醒の炎』最終章

引用しても長くなったけど、要するに
真我とは私から決して離れることのない不動のものなので、「私」というマインドが真我にとどまると消える世界、マインドが反映された世界、つまり「夢の中」でやりたいようにやればよい
ということであり、

もっと簡単に言えば「なんか引き寄せについて書きたくなったから」という身も蓋も無い理由からであります。

なので書く気がなくなったら途中でやめるかも。
何度も書いているけど引き寄せなんて一言でいえば、

よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。

『新約聖書』口語訳 マルコ福音書11章23&24

ですからな。

まあ、夢の中を夢の中とも気付かず、夢の中のあれこれで右往左往する大多数の一般人達が、果たしてイエスと同じことができるか甚だ疑問やけどなブへへ。

注意点

そんなわけで引き寄せについて書いてまいりますが、まずは本特集を読むにあたっての注意点を書きます。

注意1:あくまで個人の意見

これはあくまで「私個人」の意見です。本来は「私個人」なんてものは存在しないのですが、ここは夢の中なのでどうしようもございません。

なので、私の書いたことをそのまま鵜呑みにせずにちゃんと自身で確かめるようにしてください。
これは私の書いたことやインチキ引き寄せ本に限らず、世に溢れる文章全てに当てはまることだけど。

あとはこれまで通りの通常運転、おふざけを多分に交えて書いていきますのでマジメに読んで怒ったりしないでください。

注意2:言葉では絶対に伝わらない

加えてよくある話ですが、こういうものを言葉にすると途端に陳腐化し、ただの概念と化してしまいます。

沈黙こそが最上のものであるというのは分かる人には分かるだろうし、

上記の「真我」等に限らず、引き寄せにおいても「言葉は何も教えてくれない、あなたの人生経験が教えるのだ(エイブラハムとの対話)」とか言ってるし。

なので、何が「真我」で何が引き寄せなのか、自分の経験から学んでください。

注意3:効果があるかどうかは不明

そんな私個人の人生経験から学んだ結論から先に言わせてもらうと、
引き寄せの法則に効果があるかどうか、実際のところ分からない
というもの。

これはどういうことかというと、
「思ったことが現実になる(物質化する)」
「良い気分でいれば良いことが起きる」
なんていう引き寄せの常套句が真実かどうかは、私個人には分からないということであります。

金は効果あった気がするけど、他はどうなの…て感じですかな。

ただ一つ確実に言えることは「引き寄せでは幸せにならない」ということくらいでしょう。

私的には引き寄せと自己探求(所謂「悟り系」全般)の関係は以下の図の通り。

実際のヒキヨセは図の100億分の1くらいの大きさだが、潰れて見えなくなるのでこの大きさにした。

要は、お釈迦様の手のひらの孫悟空と同じく、引き寄せのいう「幸せ」とは極めて限定的なマインド(エゴ)の幸せで、来ては去っていくという一時的な幸せだということであります。

まぁ私がウダウダ言わずとも、『ザ・シークレット』のロンダ・バーンが『ザ・グレイテスト・シークレット』という駄作で、
「私は引き寄せでは幸せになりませんでした…そんな私が見つけた真実がこれです!!!」なんていって悟り系の文章をパクりまくっているので、そんなものなのでしょう。

※こんなボッタクリ価格の駄作、絶対に買ってはいけません!英語版を紹介したのは英語のレビューが面白いからなので、英語が読める人はレビューを見よう。英語が読めなくても翻訳機能使えばまぁ読めるで。

なので、本当に幸せになりたい人は、以前書いた通りラマナ・マハルシの『私は誰か』を実践した方が手っ取り早いのですが、そうしたくない人、まだまだ「夢の中」で一喜一憂したい人は、引き寄せでもやって回り道すればよろしい。

以上、長くなったけどこういうスタンスでやってまいります。

今回はここまで。次回は何を書こうか考え中。

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六郎
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