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ラマナ・マハルシの『私は誰か?』解説その15(自己探求の効果)


前回までの記事

前回から間が空いてしまいましたが、続き。

解説は前回までで一応終わっているのですが、解説ばかり書いて私自身の体験を書かないのも何だと思ったし、

こういう悟り系にありがちな、解説を書くだけ書いて実践も体験もしていない「口だけ野郎」だと思われるのも癪(いや思われてもいいけど)なので、「私は誰か?」に関する私なりの体験を、言葉で表現するのは無理なのは承知の上で書いてまいります。

私の場合

私が「私は誰か?」と自分自身に対して尋ね、正直に答えてみると、以下のような回答になりました。

  1. 私は身体である。

  2. 私は知覚の認識主体である。

  3. 私は対象に反応して良し悪しの判断をする主体である。

  4. 私は過去の記憶を引っ張り出して再生する機能である。

  5. 私は過去の記憶から未来を考える機能である。

これらを統合したものが「私」であり、現時点でこう考えているのが「私」である。

「私は誰か?」に対して本当に正直に答えると、多少の差こそあれ、誰でもこのようになるのは当然でしょう。世の中見渡してもネットの中を見ても皆そのように信じて動いているじゃないですか。

これを読んでいるそこのあなただってそうだろう?

そして、1から5について簡単に説明すると以下の通り。

1.私は身体である

これは当然で、誰もが思い込んでいること。
というか、こう思っていない人間の方が少ない、人類全体の0.0001%もいないんじゃないの。

「私は身体である」と思い込んでいるからこそ苦しみが生まれる、死んだように生きなければならない、まるで棺桶に入って生きているかのようになる
等の記述は↓の参考文献にて散々書かれている通り。

2.私は知覚の認識主体である

私は身体であると思い込むからこそ、外部の物質(音波やら味覚やら等も含む)を知覚し、それら対象の認識主体が私であると思い込むのであります。

これも身体と同じやな。

3.私は対象に反応して良し悪しの判断をする主体である

身体→知覚ときたら次は知覚した対象の判断。
「これは良いあれは悪い」とか毎日やってるだろう?

こういった判断が「印象」つまり「記憶」としてあなたの中に積み重なっていくのであります。

ここまでは仏教でいうところの「色受想行識」みたいなもので、色受想行識を自分だと思いこんでいるから苦しみが生まれていると考えてよろしい。
(なんか前も書いた気がするで)

4.私は過去の記憶を引っ張り出して再生する機能である

そんな積み重なった「記憶」を、ジュークボックスの如く再生する機能、それを私だと思いこんでいる人、全人類の殆どがそうでしょう。

再生する記憶は、それこそジュークボックスのように自分で選択したものだったり、あるいは何かのキッカケで勝手に再生されたり、はたまた何の脈略も無しに勝手に再生されたりします。

この機能のおかげで私たちは過去に縛られるようになり、制限された存在だと思い込むのであります。

「すべての苦しみは過去から生まれる」とパパジは言っておりましたが、全くその通りではないでしょうか。

5.私は過去の記憶から未来を考える機能である

私たちが未来、それが数分後でも数十年後でも、について考えるとき、ベースとなっているのは過去の記憶からであります。

「そんなことはない!私は未来について考えている!」と思われるかもしれませんが、自分の考えを観察してみれば分かることでしょうし、『覚醒の炎』においても、

あるスペイン人「たとえば白バイがサイレンを鳴らして追ってきた時、『ヤバい』と思うのは未来を予想するからじゃないか」
パパジ「それはあなたが過去に違反切符を切られたからだ。それを再生しているだけだ」

という問答がある通りで、私達は過去の記憶、自分が体験したことだったり人から見聞きしたことだったりの記憶を引っ張り出して未来を予想し、赤くなったり青くなったりしているのであります。

「目覚め」の瞬間

「私は誰か?」と自問し、正直に回答すると以上のようになり、
「私は意識です」「私は真我です」「私は全体です」などとは全く思っていないことに少々ガッカリしたのであります。
(これがハナから「私は意識です」「私は真我です」「私は全体です」なんて言う奴がいたら是非ともお目にかかりたいね)

そんな風に考えていたある夜、寝っ転がっていると、

「身体、知覚の認識主体、対象に反応して判断する主体、過去の記憶を引き出し再生する機能、過去の記憶から未来を考える機能、これらの統合体が『俺』である。こう考えているのが『俺』なんだよなぁ…」

→「『俺』って誰よ?」

→「だから、このように考えているのが『俺』だって」
「身体、認識主体、判断主体、過去再生機能、未来予想機能の統合が自分であると考えているのが『俺』じゃないか!」

→「このように考えているのが『俺』」とかって全部思考やんけ。思考って主体じゃなくて認識の対象やんけ。

→じゃあ、「このように考えているのが『俺』だ」とかの思考を認識している主体の「俺」って一体誰なの?

「俺」って誰?
「俺」って誰?
「俺」って誰?

あっ!

となり、その瞬間、対象も主体も消え失せ、横になっていた身体が上から押し潰されるような感覚になったのでありました。

丁度『ターミネーター』のラストでシュワちゃんがプレス機に押し潰されたような感じ(どんな感じだよ)で、
「これで死ぬのかなぁ」という思いも頭をよぎったのでありますが、不安や苦痛といったものは不思議と感じませんでした。

あとは頭頂部がなんか開いたような感じがしたけど、それは気のせいかもしれません。

ラマナが16歳のときに体験したことを記述した文章に比べたら、なんとも胡散臭くてチープな感じがするけど、そういうことってあるんだと思わされた体験でございました。

もう一度上のように頭で再現してみても同じ体験にはならないし、これが本当に「目覚め」の体験なのかどうかも分からないけど。

その後どうなるか?

それでは、この「目覚め」というか真我を垣間見た瞬間からどうなるのか、正直に答えると

別にどうにもならない

となります。

ラマナのように家族の金を盗み、「課外授業がある」と嘘をついて家出した挙げ句、何百キロも歩いてどっかの洞窟で脚が腐るほど座り続けたというようなドラマはなかったし、
空中浮遊できるようになったりとか千里眼が使えるようになったとか、いきなり何かの事態が好転したなどということは一切ありません。

※自称覚者は「悟ったら良いことがあった!」「東大に合格した!」「病気が治った!」「大金が入った!」とかいって馬鹿丸出しの宣伝をするだろうが、それは真我をエゴに制限している外道の所業であるから、ゆめゆめインチキ本やインチキセミナー等には騙されないように!

↓の参考文献(確か『覚醒の炎』)には「エゴに変わってその力があなたの面倒をみる」というような記述もあって、実際その通りなのかもしれませんが、エゴレベルの思考や感覚では正直分かりませんし、分かろうとも思いませんヮ。

ただ、「今というものに対して逆らっているな」と気付く頻度が多くなったり、
頭の中の声に対する信憑性が下がり、頭の中で語られている物語を以前ほど信用しなくはなった気がします。

以上が私の体験なのですが、本当に私個人の体験なのでこれを読んでいるあなたにも当てはまるかは分かりません。

ただ一つ確実なのは、こんな文章なんか読んでも「目覚め」「悟り」といったものは体験できないし、「目覚め」「悟り」といったものも思考の一部に過ぎないので、あなたはあなたで直接体験するしかない、ということであります。

<追記>

あ、そうだ。

相変わらず思考やそれに付随する感情といったものは湧いてくるのだけど、
そういった思考や感情、上記1から5までの思考、モノ、金、地位や肩書き、人間関係etc.
といったものを必死に握りしめてそれらにしがみつくよりも、パッと手放して荷を下ろした方がはるかに楽である、ということは頭で分かったつもりになるのではなく、本当に実感できるようになります。

こちらの方が自然な状態になる(そりゃ必死にしがみつくよりも楽な方がいいに決まっとる)から思い出せなかったのだけど、頭で考えたりフリをしても何の効果もなく無駄だった境地にいけるのだからやってみる価値はあるのではないでしょうか。

<参考文献>

まずは『私は誰か?』の無料PDFが↓

https://www.gururamana.org/Resources/Books/Who-Am-I-Japanese.pdf

『私は誰か?』の無料PDFを除けば、参考文献は以下の通り。
ラマナの本は色々ありますが、無料PDFおよび凝縮された『真我』を読んどきゃ充分です。
別にラマナの本を全部読まなあかん義務もないし、散々書いてきた通りラマナもパパジも「自分で体験しなければいくら本を読んでも無駄である」と言ってるし。

これだけ読めば充分すぎるし、あなたも真我を垣間見ること間違いなし!(多分)
下らない自称覚者のインチキ本買ったりインチキセミナーに参加するくらいならこれらの本を読もう!

ただし、

  • バガヴァッド・ギーターは読んでも読まなくてもどっちでもよい。

  • ウパデーシャ・サーハスリーをいきなり読んでも99.99%の現代日本人はまず理解できない。

  • ↓に下っていくほど現代日本人が理解しやすくなっているので、まずはニュー・アースあたりから読んだ方がいい。それすらも本当に理解できるかちょっと疑問だが。

といった感じであります。


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六郎
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