27:生きるのがしんどい人へ 後編
前回途中で終わったので、今回は続きから。
次は何を書こうか考え中であります。
目の前のことをただやればいい
前回、
人生に意味はない
意味や大義名分なんて、やましいことをする際の言い訳にすぎない
意味なんて後で振り返って分かるもの
なんていうことを書きました。
なので、魔法の言葉の記事で書いたように、目の前にあることをただやる、「~を達成したいから」「~になると困るから」という、エゴの欲望や恐怖に突き動かされておこなうのでなく、何事もただやればいいし、やりたくなければやらなければいいのです。
ただやる方法
それでは、どうやって「ただやる」をできるようにすればよいのかというと、これまで散々述べてきた通り、「観察」と「気付き」しかありません。
※意志薄弱な人は禅寺で1週間くらい泊まり込みで修行すれば良いんじゃないの。T塚ヨットスクールでもええで(しつこいな)
ひたすら「観察」と「気付き」を重ねていくと、「ただやる」というのがどういうことか、身体を通して分かってきて、言葉では説明できずとも何かできるようになりますし、分かるまでは苦しみ続ける羽目になります。
こんな事を書くと「じゃあただやれば良い結果になるのか」「良いことが起きるのか」なんて馬鹿な質問が来たりしますが、もうそんな質問する時点でダメだということは、流石に分かるでしょう。
何か、全然「生きるのがしんどい人へ」という題名とマッチしていない内容な気がするけど、先程書いた通り、ホンマにしんどいなら「ただやらなきゃいい」それだけのお話なのです。
やろうがやるまいが最後に「人は死ぬ」「意味のない人生が終わる」だけなので、どっちでもいいじゃありませんか。
※「俺の人生が意味がないなんて嘘だ!」なんて言う人間がいるなら、最初から読み直して。
あと最後に書いておきますが、「私の人生は意味がない」と思い込もうとしても、エゴの上にエゴを塗り重ねるだけなので無駄である、やっぱり「観察」と「気付き」であると申し上げて、今回はここまで。