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感想文『ミルトンズ・シークレット』


前々から書いている通り、ラマナ・マハルシの『私は誰か?』を書いた後は「悟るための何か」「ここではない何か」を追い求めることもなくなり、書くことがなくなっております。

さらに、これまでは色んなニュースを見つけては下らないニュース解説を嬉々として書いていたのですが、現在はやれ兵庫県知事選だの浅草が日本一の商店街を捏造しただのといったニュースを見ても、「ああそう」くらいの感想しかなく、書く気になりません。

ただ何も書かないのもなんか座りが悪いので、今回は思いつきで『ミルトンズ・シークレット』の感想文でも書きます。

220円

エックハルト・トール原作の短い絵本で、ご多分に漏れずブック・タフの二束三文コーナーにあったのを見つけたので買いました。

ちなみに本書は10年くらい前に本屋にあったのを立ち読みしていたのですが、「ふうん ああそう…」という感想で終わっておりました。

感想

そんなあらためて読んだ本書の感想ですが、以下の通り。

  1. いいかげん「動物は『今』に生きているから素晴らしい」をやめろ。

  2. 絵が気に入らない。

  3. 映画になっていたとはたまげたなあ。

  4. 「今」とは物理学的時間や物理学的空間のことではない。

それぞれ好き放題解説していきます。

1.いいかげん「動物は『今』に生きているから素晴らしい」をやめろ

本書には「猫は今だけを生きている」「だから怪我をしてもすぐ幸せになれるんだ」などという記述があるのですが、それって単に猫の脳の容量が足りていないだけじゃないの。

『ニュー・アース』にも鴨の事例があったけど、鴨も脳みそ足りてないだけやん、と思うわけです。

その証拠に、知能が発達した象なんて我が子をライオンに殺されたら、そのライオンの群れを集団で襲って子ライオンを虐殺するし、同じくイルカもイジメや嬲り殺し、何でもアリじゃございませんか。

なんかロボトミーか何かを推奨しているような、「お前らは知能の足りないケダモノのように生きてりゃいいんだよ」と言われているような気がして、読んでいて違和感しかありません。

2.絵が気に入らない

次に言いたいのは、本書の絵はなんかクレヨンで雑に落書きしたような感じで、個人的に全く気に入らない、というもの。

原書もこんなヘッタクソな絵なの?と思って調べてみたら、なんと!原書はちゃんとした絵ではございませんか!!

※高いから買わなくていいです。Kindleの絵本が何でこんなに高いの。というかストーリーの序盤がアマゾンに丸々書かれている。英語だけど。

おいテメーふざけんなよ、なんで絵本の絵を改悪するんだ、お前『ウォーリーを探せ』や『はらぺこアオムシ』やブルーナの絵本の絵が好き勝手に改悪されて輸入されても平気なんか、と憤ってしまいました。

『Stillness Speaks』と同様、どっか他の出版社で再販していただきたいと思ったのですが、私にはもう必要ないからええか。

3.映画になっていたとはたまげたなあ

そんな感じなのですが、たまげたのは映画になっていたこと。

こんな短い話をどうやって映画にしたのかと思ったけど、黒澤明の『羅生門』も元は短編だからどうにでもなるのでしょう。『羅生門』の原作は『藪の中』だけど。

↑が映画の表紙?みたいなのですが、この爺さんどっかで見たことあるとよく見たら、悪役の印象が強いドナルド・サザーランドじゃございませんか。
私の拙い記憶では、悪役じゃなかったのって『スペース・カウボーイ』くらい?いや他にもあるだろうけど。

ちなみに私『24』とか見たことないので、息子の方は『スタンド・バイ・ミー』のエース役という印象しかありません。

4.「今」とは物理学的時間や物理学的空間のことではない

このように下らない感想ばかりなのですが、最後は本書のテーマになっている「今」について。

これまで散々書いている通り、本書にある「今」とは、物理学的時間や物理学的空間のことではない、ということ。

時間や空間なんていうものは簡単にひん曲がってしまう、きわめて相対的で不安定なものだというのは、20世紀の学問で証明されてきたので納得できるでしょう。

また、「今」というのは頭で考えてどうこうなるものではないということであります。
なので『ザ・チケット』にある「今今メソッド」なんてクソの役にも立たないというのは感想文に書きました。

ザ・チケット感想文や「空間の意識」等については↑の記事に書いてあるので読みたい人は読もう!(ダイマ)

話は元に戻るけど、本書のクライマックスは『ニュー・アース』でいうところの「インナーボディーを感じましょう」まんまなのですが、
インナーボディーを感じたところで、ミルトンのように「僕は今を生きているんだ!」「何もこわくないんだ!」とはならんで。
怖いものは怖いし、腹立つものは腹立つし。

ただ、そういう「怖い」「腹立つ」と考えたり感じたりしている「私」とは誰か、その「怖い」「腹立つ」「私」の源を辿ると、「今」「空間の意識」といった、思考や感情を超越した何かを意識できるというのは『私は誰か?』およびその解説記事で散々書きました。

以上、本書を読んで「『今』を意識するぞ~」「体の中の光を感じれば人生が好転するんだ!」などと考えても全く無駄である、

そして、

「今」を生きていないと不安だったり恐怖を感じる、「今」を生きていると常に良い気分

というような本書の理論(本当は違うかもだがそう読み取れる)についても、今の私にとってはもはや噴飯モノの与太話に過ぎません。

真実は、
たとえ不安だろうが恐れていようが惨めだろうが怒っていようが絶望していようが、要は思考に囚われていても、あなたは確かに「今」を生きている
ということなのであります。

そして話は変わるけど、OVAの『Riki-Oh 2』を見たら声がシロッコ対シャアなのでたまげたのと、『力王』って大体の流れが「外道共が残虐の限りを尽くす→力王怒る→力王のフルパワー六芒星パンチで外道共の脳みそやら内臓やらが色々吹っ飛ぶ」だよね、12巻までナナメ読みしたけど大体そんな感じや、ということで今回はここまで。

ジーザス!ジーザス!ジジジジジーザス!