ダイアログインタビュー ~市井の人~ 井上禄也さん5


◎出て行きたい街・戻りたい街
 
 ――井上さんって、生まれも育ちも南相馬の原町なんですよね?
 
 井上 正確に言うと、生まれたの神奈川の北里病院ですけどね(北里大学病院は神奈川県相模原市にある)。生まれてすぐこっちに来て、その後はずっと原町です。
 
 ――あはは! そうですか(笑)。
 
 井上 こっちで育ったんですけど、中学の頃強烈に「原町を出たい! 」と思いましたね。当時は何でだか分からなかったんですけど、「こんな街嫌だな。どっか出ていきたいな」って思って。
 
 ――そうですかぁ。この地域の人もそうですけど、地方に住む人ってそういう風に思う人が多いですよね。何でなんでしょうね。
 
 井上 あの時は何でそんな風に思ったんだか分かんなかったんですけど、とにかく「こんな街嫌だな」と思ったんです。で、高校は仙台育英の特別進学コースに特待生で行ったんです。そこから大学受験して、中央大学法学部に一発で受かるわけですよ。
 
 ――凄え!
 
 井上 凄えっすよ。で、大学には4年間通うわけじゃないっすか。その間僕は弁護士になろうと思って勉強してたわけです。4年で卒業して、その後もバイトしながら勉強してみたいな感じで過ごしてたんです。でも司法試験に受かんないんです。こっからおかしくなってくるんですね(笑)。東京ってとても楽しいところじゃないですか。当時川崎に住んでたんですけど、東横線で自由が丘に電車一本で出られたんですね。その自由が丘にあった映画館で「日活アクション映画」なんかを見に行ったりして。そこでは小林旭の「渡り鳥シリーズ」とか上映してるわけですよ(笑)。それを見に行ったりして遊んでました(笑)。
 
 ――なるほどね(笑)。
 
 井上 そんな事をやってたら、あっという間に5~6年経ってしまって。そうなるともう30歳ですよ。「30歳でプータローとかやばいだろ」みたいな感じになりまして。ちょうどその頃、松永牛乳の本社と工場が原町の本町から今の場所に移転しましてね。移転したばかりの頃って色々と大変なんです。機械も不安定になったりするし。そんな大変な状況だという事は聞いていまして、「戻ってこい」みたいな話が出たんです。戻って来いと言われた時は「え~ちょっと嫌だな~」みたいな感じでごねてたんですけど、自分も30歳を迎えるにあたって「こりゃやばいな」って事になりまして(笑)。「入れさせてください」と言って戻って来たんです(笑)。それが31歳の時ですね。
 
 ――そうなんですか。
 
 井上 そこから1年間「茨城グリコ」に出向して色々教わって、そこから戻ってきてうちの会社の仕事をやり始めたって感じです。
 
 ――じゃあ社長業を継ぐにあたっての「帝王学」みたいなものを学んできたわけじゃないんですね。
 
 井上 はい。途中まではエリートでしたけどね(笑)。南相馬市出身の作家さんでこざわたまこさんって人がいるんですけど、その人の作品で「負け逃げ」っていう本があるんです。
 
 ――「負け逃げ」ですか。
 
 井上 ちょっと前に読んだんですけど、その本の内容に「凄く分かる!」と共感する部分が多くて。こざわたまこさんは東京で小説家をやってるんだと思うんですけど、「負け逃げ」という小説の内容が、地方に住んでる主人公がとにかくここから出て行きたいっていうものでしてね。何でだか分からないけど、とにかくこの街から出たいという小説なんですね。その辺りがとても共感出来て、非常に面白いなと。あまり売れてはいないようでちょっと残念なんですけどね(苦笑)。南相馬としてもっと紹介すべきだと思うんだけど。
 
 ――南相馬って、小説家や画家なんかを結構輩出してますよね。それはそうと、実は最近、色々な人の話を伺っていて、地元の人はみんな「以前は出て行きたいと思ってた」というような事を言うんですね。それって何でなんだろうなと、不思議に思ってたんです。
 
 井上 震災があって、会社はそれほど壊れなかったんですけど、原発がやばいって事になった時、嫁さんがおめでただった事もあって、僕も逃げる事にしたんです。その時僕は会社では取締役だったんですけど、正直「会社なんかどうでも良い」と思ったんですね。逃げた理由は嫁さんの事や家族の事、自分の事と、色々あったんですけど、取締役という立場にありながら、「会社の事はどうでも良いから、とにかく逃げよう」となったわけです。それはそれで後悔はしてないんですけど。2ヶ月くらい避難先にいたんです。で、戻って来たんですけど、戻って来た頃には会社もちょっとずつ動き出してましてね。社員もいるわけですけど、みんな非常に困るわけですよ、僕の扱いに。「逃げたやつが何で戻ってきてんだ」って感じでしてね。しかも取締役ですし、従業員からすれば僕は上司ですから、扱いに困るわけですよ。みんな僕に何を話して何をさせたら良いのか分からなくて。そんな感じなので僕もする事が無くなっちゃいましてね、あの時期はきつかったな。
 
 ――針のムシロ状態ですね。
 
 井上 そんな風に過ごしてる時、ふと「自分は何で逃げたんだろう」と考えたんですね。家族が大事なのはもちろんなんだけど、それはともかくとして、何で「会社なんかどうだって良い」とか思ったんだろうって。いくら考えても答えは出ないんだけど、どうでも良いって思ったって事は、多分あまり会社が好きじゃなかったんだろうなと思ったんですね。
 
 ――「会社が好きじゃなかった」ですか。
 
 井上 そう会社がね。好きじゃなかった理由は色々あったんですけど、個別の理由はどうでも良いんです。そこから「逃げたくない会社、戻ってきたくなる会社ってどんな会社だろうか」という方向で考えてみたんですね。例えばもう一度震災が起こったら、一時的にせよみんな逃げなくちゃならない。で、それが収まったら「この会社に戻って仕事したいな」と思える会社にしなくちゃなと思ったんです。それは「魅力あふれる」とか「ワクワクする」とかいう雰囲気だけ前向きなものじゃなくて、もっとどっしりしたもの、「この会社に戻りたいな、働きたいな」と思われるような会社にしなきゃなんない。そんな想いもあって、経営理念ってものを立てたんですよ。「従業員を大事にするよ」というものを理念として明確に立てて、それをちゃんと実行出来る会社だったら、人は出て行かないし、「また働きたいな」という会社になるわけじゃないですか。会社に限らす、何か「一番下にいる人を大事にしない」感覚ってのがある気がするんですよこの街には。同調圧力みたいなものも感じるし。例えばうちの会社は大手企業の下請けをしていたりしますが、よくあるのが「元請け会社さんの言う事は絶対」みたいな感じで元請け会社さんの言う事をそのまま請けてしまうような事。確かに発注主である元請けさんの言う事は大事なんだけども、従業員も大事でしょと思うんです。その狭間でしっかりバランスを取ってやっていく事が大事だなと。

――うんうん大事ですねそれ。

井上 それ以外にも、うちのような食品を扱っている会社の場合、保健所さんの言う事とか。市役所さんやら国や県の言う事とかに対してなんかもそうですよね。理不尽な事や理屈に合ってない事だってあるわけじゃないですか。それを「言われたからやれ」と言ってしまう。本当なら理不尽な注文や物言いに対して「うちの品質管理はこうしてるんだ! あんたらにごちゃごちゃ言われる筋合いは無い! ちゃんとしたもの作ってるだろ! 」と言える事が現場の誇りじゃないですか。それを汲み取らず「行政や外部の発注者に言われた事だから」と請けてしまうと、現場にも同調を強いる事になってしまう。そうすると現場は「何でこんな理屈に合わない事をやんなきゃなんないんだろう? 」という雰囲気が流れる。でも同調するしか選択肢は無い。何かそういう空気をこの街からも感じるかなぁ。最近はそんな事をぼんやりとは感じ始めてますね。

――それって「空気を読め」みたいな感じですかね。

井上 「あなたの考えは分かりましたが、うちの考えはこうです」「あなたの考えは尊重しますが、うちの考えとずれている部分は、お互いにどう歩調を合わせていきますか?」みたいな対話がが必要なのに、「人からこう言われたから」「みんなそうしてるから」うちもそれと同じように合わせて行かなきゃなんない雰囲気が嫌かなぁ。

――それってやっぱり「空気を読め」という圧力ですよね。

井上 そうそう。相手に対して「本当はどう思ってるの?」「私はこう思ってるよ」みたいなものをきちんと対話の中で聞き出して、「お互いにどうするか」「何をやって何をやらないのか」を見出すのが大事ですよね。それって組織のトップの仕事でもあると思うんですけど、今の南相馬の行政からはそれは感じられない。「ふるさと納税」や「六次化」についても、行政は外から来たコンサルや大企業にぺこぺこしてばかりで(苦笑)。

――う~ん。

井上 私も四十三歳なんで、「原町が嫌だな」と思っていた中学の時にこれと同じ事を考えていたとは思わないんですけど、当時からそんな雰囲気を感じていたんですよ。そういう部分があの時思ってた「この街に対して感じていた嫌気」の正体なのかなと、今考えてみれば思いますね。

――中学生当時の井上さんが、そういう空気からぼんやりと「閉塞感」を感じていたのかも知れませんね。中学生の頃はそこまではっきりしていなかったけど、今ならもう少し踏み込んで何が嫌だったのか言えると。

■ 行政に対し苛立っているという事を、辛辣な批判を含め隠さず話してくれた。地元企業のトップとして、日常の業務を遂行するために必要に迫られて、市役所やその他行政機関などと相対する場面もきっと多いに違いない。そんなところから生じる苛立ちなのかも知れないし、「トップとはこうあるべき」というものを明確に持っているからこその苛立ちなのかも知れない。
実は私、行政批判を聴くのは苦手だ。一般的に行政批判は、市民の一方的な目線でしか見ていない場合が多く、論のバランスを欠いている場合が多いからだ。井上さんの行政批判も民間の立ち位置からのものではあるのだけれど、井上さんが発するそれは自らの利益に資するものではなく、リーダーシップを取って組織を率いてきた経験に基づくものだった。なのでとても分かり易いし、「まさに正論だ」と頷ける部分も大変多かった。現場から管理職まで、組織というものを万遍なくバランス良く見ているという事が感じられるのだ。井上さんの話には、しばしば「現場の気持ち」という言葉が出てくる。「現場を何とか従わせよう」と考える管理職も多い中、この言葉が井上さんから頻繁に語られる事はとても重要だろう。これ以降、井上さんが現場を重視している姿勢が見えてくる話になっていく。


~つづく~

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