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住民同士の関わりを想定し設計された賃貸住宅〜歴史的な団地を見学できる『URまちとくらしのミュージアム』〜

赤羽にオープンした『URまちとくらしのミュージアム』。大正時代~昭和中期にかけて建てられた4つの歴史的な団地の部屋を見学できる、ガイドツアーに行ってきました(予約制) 。

同潤会代官山アパートメント

昭和元年に建てられた【同潤会代官山アパートメント】。
関東大震災後の住宅復興のために設立された同潤会が建設。
単身用と、世帯用の2つの部屋を見学できました。
単身用はベッド付き!固そうだけど…
世帯用の台所がツボでした。人研ぎ流しや木の作業台。竹製のキッチン用具が似合うこと似合うこと。
アパートメントの敷地内には食堂や銭湯があったそう。もはやひとつの街!自然と住民同士の交流が生まれたことでしょう。震災後であったし、その必要性も高まってたんじゃないかなあ。
当時の食堂カウンターが移築展示されてました。モダンでおしゃれ。

蓮根団地

昭和32年に建てられた【蓮根団地】。
ちゃぶ台を出し仕舞いして、ひと部屋で寝食を完結させるライフスタイルが主流だった時代。
そんな中、蓮根団地は「食寝分離」ができる2DK間取りを採用した最先端の物件です。
入居倍率はなんと100倍!みんなの憧れの物件だ!!
食器棚、下駄箱、テーブル2台が備え付け。
大きな食器棚、裏は靴箱になってる2WAY仕様。
木の棚と人研ぎ流しの組み合わせが愛しいキッチン。当時の女性の平均身長に合わせてあって、現代と比べると低めでした。

晴海高層アパート

戦後の住宅難の時代に建てられた高層住宅【晴海高層アパート】。建築家・前川国男氏の設計。

■エレベーター
当時は珍しい無人エレベーターつき!不慣れな住人のために、エレベーターガールもいたとか!
エレベーターは1、3、6、9階にしか停まらない仕様...しかも階段無し。広い建物だから、移動が不便...。そこで、後付けで2階の住人専用の外階段が設置されたそう(これが屋外に展示されてた)。
エレベーターがそのまま展示されていて、中の落書きも当時のまま残されてました。

■部屋
家賃は現在の価格で20万円代。
欄間にガラスが使われてるため明かりが通る工夫がされていました。
抜け感もあって、何だか今どきっぽい雰囲気なのが凄い!

■廊下
共用廊下の幅が2メートル幅もある広さ。もはや路地!
これは住人同士の交流がしやすいように、と意図されたものだそう。
同潤会もそうだけど、ご近所付き合いが考えられた賃貸だなあ。
子供たちが廊下で遊ぶし、住人の行き来もあるだろうから、人がぶつからないように部屋の玄関は引き戸になっていました。

廊下に共用の黒電話があったのも驚いた!
まだ家庭電話が普及していない時代。黒電話に電話がかかってくると、各部屋の通知ブザーが鳴り、廊下に通話しに行く、という仕組みだったそう。

■構造
家族が増えたら壁を壊して、各戸を繋げ、部屋を広くできる想定がされた先進的な設計!
しかし当時は住宅難の時代。そうは使われず、逆にピロティなども住戸化されて無くなってしまったそうな...

多摩平団地テラスハウス

庭付きの【多摩平団地テラスハウス】。 イエローの外壁とグリーンの玄関扉がかわいい!取り壊される頃には経年でクリーム色の外壁だったそう。成分分析したところ、このような鮮やかなイエローと発覚したため、復元に際し改めて塗装したとのことでした。


赤羽駅から徒歩8分。
緑豊かな環境の中、登録有形文化財4棟とミュージアム棟が建っていました。
窓ガラス、サッシ、表札、インターホン、洗面ミラーなどなど住宅の設備や部材もたくさんまとめられていて、目が足らなかった...。

団地、間取り、建築、レトロ好きにおすすめの、ボリュームたっぷりなミュージアムです!

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※本記事は2023年10月に訪問した時の記録です

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