ゆるませ、めぐらせる
今朝私は、おやつ瞑想をした。
おやつ瞑想とは一口ふくむごとに目を瞑り、おやつを味わう時間のことを言う(私が勝手に決めているだけ)。
オールドファッションの甘み、チョコがかかっている部分とかかっていない部分を同時に口にした時のハーモニーをしっかりと味わう。
オールドファッション自体が甘いからチョコはビターなのかしら、そんなふうに思いながら。
目を瞑りドーナッツのことで頭を満たしていたが、ふと、足に力が入っていることに気がついた。ただドーナッツを食べているだけなのに足に力が入っていることに驚き、力を緩ませてみた。すると、なんと体が楽なことか。なぜこんなに楽になれるのに無理に力を入れていたのだろうか、我が無意識よどうした。
手の力も緩めてみようとしたがドーナッツを持っていたのでやめた。
仕事前だから力が入っていたのだろうか。無意識レベルのことなので定かではないが、力んだ状態とゆるんだ状態をおやつ瞑想タイムに体験した私は、ゆるんだ状態の方が心地よいではないか、と気がついたわけだ。
考えてみると、力が入りカチカチなところには何も入る余地なし、巡りも悪いだろう。ではゆるみがある状態ではどうだろう。お分かりの通り力んだ状態の逆である。余裕があり、新しいものが入ってくる。そして巡りがよく、しっかりと循環するだろう。
体はもちろん、心もそうだろう。
カチカチな心よりもゆるんでいる心がよい。
緩ませ、取り入れ、巡らせたい。
私の心と体はそうでありたい。
そんなことを思った私の朝のおやつ瞑想タイム。
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