#異彩の日 知的障害を伴う自閉スペクトラム症の息子と
#131 #isai
#ヘラルボニー
コーキは大抵の場合をニコニコしていて、歌を歌い、
アイコンタクトのみで無理矢理の意思疎通しようとしている
コーキのisaiは、なんだろう?と考えると
やはり、 #絶対音感 らしきものがありそうな
耳コピでの音程ブレない、ズレない歌唱力
会話は全く出来ないのに、何故こんなに歌が上手いのか
家族としては複雑な気持ちにもなる
コーキという子の概要を理解してくれる人は、
この無垢な笑顔と素晴らしい歌唱力を見て、存在を認めてくれる。
しかし、一度社会の中に出ると、
周りの「???」とか「!?!?」の視線が我々家族に突き刺さる
それは、多くの人にとって迷惑な行動であるからだ。
人の食べているものを取ってはいけないとか、
大きすぎる声で叫んではいけないとか、
他人に触ってはいけないとか。。。
悪気のない「可哀想にね」には、大きな差別が含まれている
喋れないことは不運で不便だが、不幸ではない
保育園では、コーキの特性を深く理解し、先生と同じ歳のクラスメイト5歳児がサポートしてくれている
コーキが目が合わせなくても、返事をしなくても、
「コーちゃん、おはよう」「バイバイ」と必ず挨拶してくれ、
コーキよりずっと背の小さな子が、言葉の代わりに、背の高いコーキの頭を撫で撫でしてくれる
これって「幸せ」っていうんだと思う。
私達家族も、コーキの幸せを考えるから、謝りながらどこでも外出する
我が家にとって外を出歩くことは、
「コーキの動きを封じながら」か、「人様に謝り歩きながら」かであるから
体力と気力と多少の鈍感さで、外出が大好きなコーキを連れ出している
可哀想だなんて、軽々しく言われたくない
よく知りもしないで、可哀想だと決めないで欲しいのだ
「堂々と(公表)していて、偉いね」とも。
①コーキの「常識的でないコミュニケーションへのexcuse」と
②「自閉スペクトラム症」と「知的障害」という、見た目で判別出来ない障害をもっと知って欲しい
の気持ちから、ありのまま書いている
だから、「何が偉いのか?」である
障害を隠していないことを褒められたのなら、これも残念だ
私には、隠さなければならない理由が無い
ただの「事実」、コーキの「事情」を書いているだけ
知的障害は、恥ではない。
「障害児を育てる苦労」を労ってくれる発言なら、
「可哀想」だとか「偉い」ではなく、
「頑張ってるね」でお願いしたい。
コーキ本人も、親も、家族も、きょうだいも、
すごく頑張って、生きづらい日本社会を生きているから
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