2年ぶりの東京マラソン開催、あのビッグイベントは石原知事が決め、都職員が準備を積み重ねて始まった
3月6日、東京マラソンが開催されます。まん延防止等重点措置が継続される中での大会、かつ2年振りということで注目が集まっています。今でこそ、市民ランナー垂涎のプレミアムな国際大会にまで成長しましたが、第一回の2007年当時はそうではありませんでした。
ご承知の通り、東京マラソンの言い出しっぺは石原慎太郎都知事(当時)。しかし、鶴の一声で一気呵成に実現した訳ではありません。何年も前から水面下での準備が都職員によって進め、試行錯誤の末に開催にこぎ着けたのです。石原さんと言えば、有無を言わせぬトップダウン野郎と思っている方には意外の感があるかもしれませんが、石原知事は自分で大きな方向性を決めた後は都職員に任せるタイプの為政者だったと私は受け止めています。
この点、今の知事とは大違いです。小池知事は、ああ見えて(!?)、「つべこべ言わずにさっさとやりなさい」「なんですぐにできないの?」という「隠れ強権」タイプです。指示に異議を唱えたりレスポンスが遅れたりちょっとしたミスを犯したりすれば、即座に飛ばされます。したがって、都職員による裁量の余地は極めて狭く、下々の職員のモチベーションは低くならざるを得ない。知事と職員の間に挟まれた管理職は、職員を守るより上に従うしかない。報復人事が怖くて何も言えない、自分で何も判断できない。。。
さて、今の人の批判はこのくらいにして、東京マラソンに至る都職員の奮闘振りです。本庁の課長だった私も直接見聞きしています。当時、都庁第一庁舎の6階に秘密の部隊が招集され準備を進めていました。ある知人はマラソンどころかスポーツ全般に縁のない職員でしたが、この部署に異動となり、全てが手探りの中で仕事が始まったと言います。当初のマラソンコースは、彼をはじめ職員達が実地で検証して割り出したものです。
こうした彼らの頑張りとは裏腹に、当時の都庁内には、なんで都庁が大規模なマラソン大会をしなければならないのかよくわからん、そんな空気が流れていたのは事実です。そして迎えた第一回当日は、あいにくの冷たい雨模様。凍えるような朝でした。広報部隊のある職員は、とにかく事故なく終わって欲しいと控えめな願いを抱いていました。
あれから15年、高倍率で参加もままならないビッグイベントとなった東京マラソン。当時の職員達にとっては隔世の感があるでしょう。さて、その後、例のスポーツ音痴の職員はどうなったのか。彼はあの仕事をきっかけにランニングを始め、数年後に中年体型から見事に脱皮しました。そして「生まれ変わった」彼は、遅ればせながら人生の伴侶を得てラブラブな人生を送ったとさ。めでたし、めでたし。これ、フィクションではありません。