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アルを呼ぶ声

 日課はだいたい決まっている。曜日も、天気も、体調も関係がない。
 午前は用事のため待機。そして簡単な昼食を頬ばって少し文章を書き、コーヒーを飲んでから近所を1時間半歩く。夕方には帰宅して入浴し、夜は外国のドラマを有料配信サービスで見る。その際に数日に一度ならば軽く酒を飲むが、変化があるとしたらそれくらいだ。
 夜遅くに横になる。そして翌日もまた、同じことをくり返す。
 ずっと、そうしてきた。

 だが——
 近所で、声が聞こえるようになった。
 毎日のようにその悲しい声が響きわたり、もう十日にもなる。しかも困ったことに時間が一定でなく、聞かずに済む方法が思いつかない。
 何度も耳にするうち、ようやくアルちゃんという名前が聞きとれた。飼い猫が見つからないのか。
 あまりの悲痛な響きに、玄関を開けてみようかと思ったことがある。だが、それが何か助けになるのかと思いとどまった。

 生きものが自然に土に還るような死に場所もない、都市部の住宅街だ。交通事故か、さらわれたか、いずれにせよ自分が役に立てることはない。そしてお気の毒の言葉しか発することができないならば、関わりを持ってどうなるのかという思いがよぎる。

 ようやく夕方に気温が落ちて感じられるようになった8月下旬の今日も、やはり声はやってきている。
 東から移動してきて、家のすぐ前まできた。
 わたしは玄関の内側で息をひそめ、通り過ぎるのを待つ。
 だがアルちゃんを呼ぶ声は、止まった。
 玄関ののぞき穴から外を見たい衝動に駆られたが、決心がつかない。
 気配は消えているようだ。
 やはり外を見てみようかと思ったとき足音が近づいてきた。そして玄関のドアの前で、止まった。
 チャイムは鳴らないが、誰かがいる。いったいどういうことだろう。
 座りこんでしまいたいほどの強い不安と、動悸。
 ——喉が渇いてきた。

 もしかすると、長い時間が経過したのだろうか。
 郵便受けに何かはいったようだ。
 ひと呼吸あけてのぞき穴から外を見、誰もいないことを確認して郵便受けを開けた。

 手書きの文字をコピーして作った猫探しのチラシだった。
 猫の写真と名前、そしていなくなった経緯と自分の携帯電話番号。

 あの日からずっと、やはり猫を探していたのだ。なにやら気の毒すぎて涙が出そうだと、呼吸を整えて顔を上げると——
 まさにそのタイミングで、ドアの向こうから「アルちゃん」と、大きく呼ぶ声がした。

#一駅ぶんのおどろき

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杜地都
家にいることの多い人間ですが、ちょっとしたことでも手を抜かず、現地を見たり、取材のようなことをしたいと思っています。よろしくお願いします。