おやつさん (短編おやつ屋シリーズ 7)
店を引き継いでから初めてのことだった。
暑さはつづくものの蝉の声が増してきた八月下旬から、まとまった日数を店休とした。店の前の所定の位置、つまり先代に言われとおりの場所に休みを告げる案内を貼りつけて、わたしは休んでいた。だが明日から再開だ。
夕暮れに近づくのを待ち、翌日にそなえて店のガラス戸や窓を拭きはじめた。九月になったとはいえ、昼間にできる作業ではない。夕刻であれ汗がふきだしてくる。
もともと出不精であることや、このところ世間で話題の感染症が落ちつく兆しも見えずにいたため、休みといっても遠出をするつもりはなかった。それどころか、自覚していた以上の疲労感から、動く気力がなかった。
店休とした半月のほとんどを、屋内でごろりと過ごした。
忙しい日々だった。
通常ならば、先代から指定された和風おやつを毎日三種類、そしてわたしの代からの洋風おやつに和風の名を付けて日替わりで何種類か出すという、それだけの店だった。仕入れの都合を考えつつ、自分の裁量と時間配分で、やっていけた。
だが春からの感染症増大の影響で人が家にこもりがちになり、買い物や外食に出かけなくなった影響は大きかった。人が歩く時間帯や、流れそのものが変わったということもあるが、たい焼きだ、大判焼きだという気分でもないらしく、馴染み客がひとまず減った。
人はちらほら歩くものの、みな表情が曇り、うつむきがちだった。
だが変化は、まもなく訪れた。
客が寄らないならば夕方のみの開店でよいと考えつつ、ためしに海苔巻き、いなり寿司など、ちょっとしたものを棚に並べてみた。すると、それが飛ぶように売れはじめて、かえって以前よりも時間に追われた。
店内での飲食はできるだけ遠慮してもらったため、茶を煎れたりテーブルを拭くなどの細かな仕事はなくなったが、気持ちはずっと張りつめていた。品を補充するたびに、まるで商品棚をどこかで見ているかのように客が訪れ、息をつく暇もなかった。
店を引き継ぐ際には、夕方の数時間だけ必ず営業すればそれ以外は自由と言われていたが、仕込みから後片付けまでを考えると、店にいる時間は長い。それにくわえて、一時的とはいえこうして取り扱い品目も増え、体が疲れやすく、入浴時には湯船でうとうとすることもあった。
突然に体がつらくなる前に休みを入れようかとも考えたが、そうこうするうちに、すっかり常連になったもぐもぐさんが、力になってくれた。
会社が在宅勤務を認めてくれたからと、1日おきに家を抜け出しては、手伝いに来てくれるようになったのだ。会社にはぜったいわからないようにするし、いざとなったら客先訪問中だとして仕事の電話にも出るという。
迷惑になるのではと最初は固辞した。だが猫の手も借りたかったので、最終的には言葉に甘えた。
普段から外を歩きまわる仕事が多いとのことで、一カ所にいていいぶんだけここは楽ですよとまで、言ってもらえた。ありがたかった。
米飯や軽食の持ち帰りを用意した判断は、おそらく客にとって、よかったのだろう。近所の客がぽろりと口にしていたが、外出自粛のご時世に、たい焼きを買いにわざわざ散歩に出るとなれば格好がつかないが、握り飯のついでにたい焼きを買うとの口実があれば通りがよいので、気兼ねなく出てこられるのだ、と。
たしかに、不要不急の外出を控えましょうと町内に大音量でアナウンスがなされていた時期もあり、一時期はこの界隈にも殺伐とした雰囲気が漂っていた。おやつだけの店では寄りにくかったというのは、あるのだろう。
明日から、店を再開する。
少しずつ日常がもどることだろう。
そのときだった。
——おやつさん。
窓を拭いて店内にもどろうとしたとき、誰かに呼ばれた。ふり返ったが人の気配はない。
わたし本人を前にして「おやつさん」と呼ぶ人は多くない。客はそれぞれが好きに呼んでくるし、わたしがもぐもぐさんを勝手にそう呼ぶように、わたしにもいくつかあだ名はあるようだった。だがときおり、まるでそれがわたしの名前であるかのごとく「おやつさん」と呼ぶ人がいるようだとも、気づいていた。
気のせいだったかと、ガラス戸に手をかけると、またしても声がした。よく聞きとれなかったが、わたしに向かって声をかけているのは間違いなさそうな距離だ。
ふり返ると、旅行帰りのような荷物の女性が、近づきながら手を振っている。
明るい色合いの服装で気づくのが遅れたが、もぐもぐさんだった。
「お手伝いに来たんです。下ごしらえとか、今日のうちになさるんでしょう」
荷物の多さに目を向けると、茶目っ気のある表情で「遅くなったら、泊まってもいいかなと思いまして。明日もお昼までならお手伝いします」とつづける。電話で予告などしようものなら遠慮するに決まっているから、勝手に来たのだと。
また口から出そうになった遠慮の言葉を、ぐっとのみこんだ。
こんなとき、素直に、ありがとうと言えばいいのだ。
暑さは残るが、傾きつつある日差しには、すでに秋の兆しがあった。