粉雪と、おおまが
暖冬と思いきや粉雪が舞う夕暮れ、客が帰ったあとのテーブルを拭いていると、人の気配があった。「またオオマガさん宛てに来てますよ」と、いつもの郵便配達人が声をかける。
わたしはオオマガではないし、このおやつ屋の先代もそういった苗字ではなかった。だがときおり、オオマガという宛名で郵便がくる。
先代からも聞いていたので受けとっているが、配達の際はいつも「郵便受けの隅に小さくでもいいからオオマガと書いておいていただかないと、ほかの担当者なら、持ち帰ってしまいます」と注意される。
帰りに寄るからと菓子の取り置きを頼まれ、いつものようにぱんじゅう6個分を取り分けておいた。
オオマガ宛ての手紙は封書であったり葉書であったり、さまざまだ。届いたら決まった日数だけ部屋で菓子をそえ、そのあとは好きにしてよいと聞いているが、まさか処分はできずに溜めている。葉書は仕方ないが封書は開けていない。
菓子と一緒に部屋に置いておく数日間は、なぜかわたしも静かな気分になれた。
オオマガが誰なのかは不明だが、この家がその葉書を待っているようにも感じられた。
引き継いだときの約束は、平日の夕刻3時間はかならず開店、それ以外は自由。まとめて休む場合には店にどう案内を張り出すか。たい焼き、今川焼き、ぱんじゅうの3品目は毎日用意する。カタカナでしか表現できない菓子はだめ。
そのためこのところ好評の、見た目が洋風の焼き菓子は、すべて和風の名前で出している。
——そのオオマガさんというのは、そもそも人名なのかね?
前回の配達に居合わせた客たちと、この話になった。大曲ならば「おおまがり」と読むだろう。オオマガの漢字が浮かばない。
先代がもし外国育ちで英語が得意ならば、オーマイガッを連発しているうちにオオマガというあだ名がついたのではないかという珍説まで出た。
客には言わなかったが、夕暮れ時を指す古い言葉で「おおまがとき」というものがある。大きな禍と書いて大禍時、または、魔物に遭うと書いて逢魔が時(おうまがとき)ともいう。夕方には必ず店を開けておけと言いつかっているからこその連想だ。
だが、この東京で灯りだらけの夕暮れでは、魔物ほうが逃げていきそうである。
それでも、考えることがある。
店じまいをしているとき。床に箒をかけ、テーブルを拭き、灯りを落とすとき。
いつか誰かが入り口に立ち、オオマガを名乗るのではないかと。