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極楽荘立退き物語(その5)

それは極楽荘の決済中のことだった。私が取得後は立退きして更地にしますと言うと、売主のお婆ちゃんがポツリと呟いた。

101号室はキチ○イだけど大丈夫かい?

時が止まった、呆気にとられた、そんな話は聞いていない。すぐさま仲介さんを見る、目を瞑っているがその顔は笑っていた、しかし口角が上がっているだけ、開いたその目は笑っていなかった。

知ってたな!

しかし、私はそのことで仲介さんを責めない、と言うより責めることが出来ない、この物件を私の言い値でまとめてくれたからではなく、単純に会社員時代にお世話になった大先輩だったからだ。

101号室の住人は狂っている。

その話は、残念ながら極楽荘全住民の共通認識だった。彼(狂を取ってきょうちゃんと呼ぶ)は極楽荘新築時からの住人で、少年時代から50数年、人生の大部分をこのアパートで過ごしている。親御さんは数年前に他界し、男やもめだ。年齢は極楽荘で1番若く、60歳と少しだったが、住人曰く、働いたことがなく、常識が通用しないとのことだった。

そして精神疾患を患う薬漬けのジャンキーとも。

きょうちゃんには友達もおらず、女性と付き合った経験もなかった。福祉課も極力近づかない、ある意味筋金入りの生活保護受給者だった。毎日テレビを見て、ラジオを聴いて、他の住人、というより世の中の全てに悪態をついていた。

私ときょうちゃんの60日戦争。

極楽荘1階の一番奥、日中でも薄暗い玄関前にはビニール傘の残骸が数十本並んでいる。まず驚いたのが、玄関に「犯人はお前だとわかっている!」と走り書きされた紙が貼ってあったことだ。半分青ざめながらノックすると、中から「ノックをするな!頭が割れる!チャイムを押せ!」という金切り声が聞こえた。

(こいつぁ本物だぜ)

出てきたきょうちゃんの顔も青ざめていた、さっさと中に入れ!部屋の温度が変わるだろ!と言われ中に入ったが、足の踏み場もないほどのゴミの山(本人にとっては大切な宝物多数)

立退きだって!冗談じゃないよ!
私はここにずーーーっと住んでるんだ!馬鹿にするんじゃないよ!

きょうちゃんはそこから2時間、ぶっ通しで喋り続けた。私がきょうちゃんの近くに小さなゴキブリを見つけると、きょうちゃんはコロコロでコロコロした。

しかし、私は徐々に冷静になった。むしろ1時間くらい罵詈雑言を聞いて、心から安堵した。

(なぁんだ、上手に喋るじゃないの!)

立退きで1番恐ろしいのは、過大な金銭を要求する人でも、延々と文句を言い続ける人でも、叫び声を上げる人でも、暴力をふるう人でもない。

意思疎通が全くできない人だ。これは完璧にお手上げ、私は立退きに限って言えば、会話さえ出来れば何とかなると思っている。

きょうちゃんは訴える、自分がどれだけ苦労したか、世間がどれだけ馬鹿か、自分が本来どれだけ優れているか、私のやっていることがどれだけ悪辣か(この時点ではまだ何もやってないのにw)

私はそれを意訳する。

俺を大切にしてくれ!
俺は何も出来ない!
俺を助けてくれ!

私はそう聞いた。

結論から言うときょうちゃんはキチ○イではなかった。ただの甘えん坊のメンヘラジジイだ。

だからと言って簡単な相手でもない。機嫌を損ねないよう、かと言って甘えられないよう、交渉の距離感を大事にした。

こういう拗らしたジジイは、わかって欲しいという気持ちとお前にわかる訳がないという気持ちが混在している、扱い辛いが、みんなから嫌われ、誰も構ってくれないので、話を聞いて、適当に反応するだけで本人は喜ぶ(態度は素っ気ないが内心嬉しくてたまらない)

親切にする内、私はきょうちゃんにとって人生で3人目の「信頼出来る人」の称号を得た。本人がそう言ったので間違いない。1人目は、親切なケースワーカーさん(女性、後にきょうちゃんがストーキングして担当が代わる、きょうちゃん曰く初恋だったとのこと)2人目は精神科の先生(お薬どっちゃりくれる)

これもきょうちゃんとの思い出だ。彼との強烈な思い出は沢山あるが、このnoteの目的からそれるので割愛する。

その後も揉めたが、私の圧倒的物量の親切で押し切った。終盤はかなり懐いてきて、深夜に電話がバンバン掛かってくるようになったので、

イイ加減にしろジジイ!
もう行ってやんねーぞゴラァ!
用があればこっちから電話する!以上!

ガチャ切りして反省を促した。

それから少し大人しくなったが、そのくらいでへこたれるきょうちゃんでもなかった。

まー文句をたれつつも、何とか引越し先も見つかり、立退きが完了した。極楽荘の立退きではきょうちゃんに1番時間をかけた、おそらく20時間はあのゴミ部屋で過ごしただろう。

本項の最後に、ヤバいヤツの対応方をひとつ、相手が狂ったように激昂したり、意味不明に喚き散らした時、私はシシガミ様の顔(正確にはデイダラボッチになりそうなシシガミ様の顔)で相手の目を見続ける。本物のキチ○イなら気にせず喚き続けるが、狂ったフリの人間なら、ギョッとして黙る、その後、少し大人しくなる。狂気に狂気をぶつけるのは荒技だが、効果的ではある(こっちがキチ○イだと思われるリスクもあるw)

この顔ねw

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しかし気をつけなければならないのは、狂人と狂人のフリは紙一重だということだ。一度その線を跨いでしまえば、もう後戻りは出来ない。

激安アパートの立退きで注意したいのは、その住人達の無茶苦茶さに翻弄され、感化されることだ、親切に対応しても、決してその自由な精神に憧れてはいけない。彼らはどこかイカレているし、経済的に非常に困窮している。が、とてもピュアだ。魅力的と言ってもいい。しかしそこに同調すると、ミイラ取りがミイラになりかねない。

やはり手間はかかっても、距離をとって親切のジャブ、死角からの親切のフック、アッパーで倒すのが正攻法だろう。

極楽荘立退完了まで残り3/6人

次回(その6)「立退く者の矜恃」に続く




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