心配をして、損を願う。
昨日のことだ。
父に「とき子、俺ビンゴだったぞー」
と、FaceTimeごしの笑顔で言われた時に、なんだかちょっと嫌な感じがした。
「ビンゴって何がよ!?」と強めに聞くと、「癌だってー」と、なんとなく予想した答えがかえってきた。
先に言っておくと、別に暗くて、不安になる話をしようとしてるわけじゃなくて、ただ、そう…心配してもらいたくて、書いている。
あ、大袈裟に心配してもらいたいわけでもないのですよ。
「てやんでい!心配して損したじゃねぇかこのやろう!」
これですよ。最終的にここを目指してください。
私が常々、医療系ドラマや漫画をみて思うのは、誰にも言わず、黙って辛さに耐えてる系の人と、ただの風邪でも「死ぬかもしれない!」と騒ぐ系がいたとして、騒ぐ系は、大体長生きだ。
それで、黙って辛さに耐えている人を見ていつも思う。
なぜ、周囲の人に心配させてあげないのか、と。
大事な人、愛おしい人のことなんて、健康な時でも常々心配しているというのに、本当にここ1番って時に、心配させてもらえないなんて、なんたる屈辱!!
言えよ、そしたら、思い残すことの数が、少し減るかもしれないじゃないか。
何をしてあげられるかなんて、全く分からないし、そりゃこっちも辛いに決まってるけどさ。
自分だけで抱えて、みんなに不安を感じさせないつもりなんてエゴじゃないか。
と。生死に関わる経験をあまりしてきてない私は、つい、そう思ってしまう。
4年前、母が乳がんになった。
その時は、今回よりもっと取り乱した。
広島から、実家の茨城へすぐ帰ろうとしたら、入院中はやることもないし、4歳の娘を連れてきても暇だろうし、とにかく落ち着いてからでいいと断られた。
それで、頻繁に電話だけはしていたのだが、母は、思ってたガン患者となんか違った。
「抗がん剤が平気すぎて、病院でおにぎり食べてる」とか、「髪の毛が抜けたら、瀬戸内寂聴に似てるの」とか言っている。
娘に心配させまいとして、盛り過ぎだよお母さん!!
本当は辛いに違いない。
ハラハラしながらようやく実家に行くと、本当に抗がん剤治療の際、待ち時間が長すぎると握り飯を作って出かけ、ハツラツとして帰ってきた。
おや?思ってたんと違う。
もっと、涙の語り合いとかあるかな?と正直思っていたけど、そこには日常しかなかった。
唯一、髪の毛が抜けた際、ウィッグ選びにつきあってと言われて、目の前で頭髪が抜けた頭を、店員によって晒された時に、母はバツの悪い顔をした。
所々長い毛が残っている頭は、なんとなくヨーダを連想させたし、お世辞にも健康的では無いその姿を、おそらく見られたくなかっただろうし、4歳の孫の反応も気にしたんだと思う。
娘は「ばぁばの頭…」とやはり動揺したが、それは当然のことだ、私も少し動揺した。
「ばぁば、病気で戦って、全部髪の毛むしられたんだよ!痛かったか聞いてきな!」
私がそう言うと、母が安心したのが見て取れたし、娘も、ひとつ何かを学んだ気がした。
私は、その時、本当に母はガン患者だったと、やっと初めて思い知った気がしたけど、それでも、やっぱり日常は続いて、今でも元気いっぱいだ。
「もう!心配して損した!全然ガンっぽく無いじゃない!」
このセリフが言えることがどんなにありがたいか。なんて素敵なセリフなんだ。
ちゃんと心配させてくれて、その上、それが損するほど元気なんて、願ったり叶ったりだ。
さて父だ。
FaceTimeで見る限り、お肌はツヤツヤしているし、その時ビールも飲んでいて、私は怒った。
もうすぐ夏休みだし、とにかく一回そっちに帰りたいといったら、それこそコロナが心配だからやめてくれと言われた。
手術が終わって、それから、私の予防接種も終えて、オリンピックが無事終わって、コロナが落ち着いたら帰っておいで。
母の時より、だいぶ帰省のハードルが高いぞ。
ちょっとお父さん、本当に頼むからね!!
私は、電話越しに、ものすごく怒りながら言った。ガンに、コロナに、お父さんに。
私を本気で怒らせたら、怖いぞ本当に。
帰省の目処が全く立たない間、
私はずっとずっと、ずーっと心配してると思う。
電話越しには、大丈夫、元気だと笑い話しに変えるだろう両親の、一瞬醸し出す、不安や辛さを、感じ取れることが出来ない。
だからこそ、会うまでは、心配は絶対尽きない。
この、私の精一杯の、何の役にも立たない心配を、全て全部、無駄にしてみせてくれ。
そう、私は絶対損をするのだ。
そんなわけで。みなさんもぜひご一緒に。
say!