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なぜ国会議員はひたすら私利私欲を貪るのか?
最近、選挙や政治について考えることがある。
最初の記事は、なぜ国会議員は私利私欲を貪るのか?について考えてみたいと思う。
これを説明する前に、国会議員の給料について私は一般サラリーマンの平均年収程度、あるいは生活保護程度でないといけないと考えている。この2つのことについて、わかりやすく考察してみたいと思う。
最初に謝っておきたいのは、私は数行で終わる内容を長〜く引っ張って書くのが苦手である。頭良さげに、難しそうに書くのも苦手である。そして、このマガジンには詳細なデータなどもほとんど出てこない。
私の頭で考えたことを記録しているものである。
なぜ記録しようと思ったのか。
ここに書かれていることは、一生懸命考えて練り上げたものではなくて、頭にポッと湧いて出たものだ。そして困ったことに頭に居座ってしまう。本当はファンタジー小説を書きたいのに、これらの思考が邪魔をして小説に集中できない。こうして書き出していくと頭から消えてくれるので、書いていくことにした。
だから現実的なこともあるし、ちょっとスケールが大きすぎたり小さすぎたり、夢見がちと感じることもあるかも知れない。まあ、頭に浮かんだことなので、そのあたりの面白がっていただけるとありがたい。気まぐれな政治語りである。
現在の国会議員が私利私欲第一主義である理由
あなたはテレビを見て、新聞を読んで、こうは思わないだろうか?
なぜ国会議員は国民のために働かずに、私利私欲のために動くのだろうか?
それについて一言で答えるならば「そういう人たちが立候補しているからである」
この一言に尽きる。
いくら選挙で決めているとはいえ、候補者が全員私利私欲第一主義の人なら、誰を選んでも私利私欲第一主義の人が選ばれる。
もちろん、そうでない人も立候補していることは知っている。だが、それは割合の問題である。
では、候補者の中から私利私欲第一主義の人を排除するにはどうすればいいのか?
その一つの方法は、国会議員の給料を一般サラリーマンの平均と同じ程度に抑えることである。
考えて欲しい。
国民生活とはかけ離れた高給が得られると約束されていれば、それを手に入れたいと思う人が集まるのは当然である。つまり、金欲が強い人が集まる。
金欲が強い人は、国会議員になっても金欲で動く。だから買収される。献金した企業の利益のために動き、さらなる献金を引き出そうとする。そうして、国会議員と官僚と大企業が利益を溜め込み、一般国民は後回しにされ飢えていく。
当然ではないか。
そういう欲を満たそうとする人が立候補しているのだから。
金欲主義を締め出す方法
では、国会から金欲主義者をできるだけ排除し、国民の元に取り戻すにはどうすればいいのか?
私利私欲第一主義者から見て、魅力的に見えないようにすればいいのである。
その方法の一つとして、国会議員になっても平均的な生活を送れる程度の収入を得られないようにすればいいのである。
給料はもちろん一般サラリーマンと同じシステムを当てはめることが大切である。
もちろん、政治団体等の抜け穴も全て塞ぎ、税制優遇も必要ない。政治を特別視しているのは政治家だけである。一般には使われない言葉を使い、勝手な意味づけを行い、複雑にすることで「お前らにはわからないんだから口出しするな」と言わんばかりのシステムを作った。
だが、そんなものが欲しいのは私利私欲第一主義に政治家と、そこに群がって甘い蜜を吸いたがる者たちだけである。
政治が公共の利益になるから特別であるというなら、公共の利益のために活動しているNPO法人と同等のシステムと透明性を当てはめれば良い。あるいはそれよりも厳しいルールが必要というだけである。
なぜなら利権が集まるポジションであるからだ。
選挙は金がかかる・・が作り出す特権階級
国会議員が高給取りである理由に、選挙に金がかかる。という言葉を耳にタコができるほど聞いてきた。これは、正しいのか? 今一度、民主主義と選挙について考えてみたい。
これは最近テレビで見聞きしたものだ。誰が話していたかも忘れた。
現役国会議員は、地元に幾つもの政治団体事務所をおいて、人を雇っているから金がかかる
選挙期間中には、ポスター貼り、街宣車のレンタル、供託金、その他、金がかかる
あっているだろうか?
まず、選挙について語る上で、最初に行うことは選挙活動と政治活動を厳密に分けることである。政治活動の内容を厳密に定義し、本当に必要な費用は国会議員の給料からではなく国が払えばいい。まずは、この切り離しが必要である。
そして民主主義国家において、被選挙権を持っている者は誰でも立候補できる状態を作るべきである。立候補するとは、出馬を届け出るという意味ではなく選挙活動を行えるということを意味する。
金がかかる選挙をこのまま続けていたら、金持ちしか国会議員になれない。金持ちの国会議員は、金持ちに有利な法案を作っていく。貧困に苦しむ人の声が国会に届かない。。この状態が永遠に続くことになる。
つまり国会議員が代々続く家業となっているのも、時代錯誤の貴族のように振る舞っているのも、金のかかる選挙のおかげなのである。そして、今現在の日本で、選挙に金をかけることで1番利益を得ているのは、金をブラックホールのように吸い込む政治団体をすでに持っている現役国会議員なのである。
民主主義は金のかからない選挙から
つまり、本当の国民の代表を国会に送り込むには、金のかからない選挙活動に切り替える必要がある。
あなたはご存知だろうか? 生活保護という制度を。病気などで働けない人に国が生活費を支給するものだ。その金額は『健康で文化的な生活ができる』ものと決まっている。当然、被選挙権を行使する権利がある。
つまり、生活保護の人も年金生活の人もフリーターの若者も専業主婦も選挙に立候補する権利がある。立候補し、十分な選挙活動を行う権利がある。そのためには生活保護や年金、アルバイト程度の収入の人もできる内容に選挙活動を絞る必要がある。そうでなければ、金持ちしか選挙活動ができないことになるからである。
このこと自体が違憲なのである。
この改革の目的は、国会を金持ちの代表ではなく一般国民の代表で満たし、運営することにある。
なぜなら、金持ちしか当選できないなら、普通の会社員や専業主婦、生活保護や年金暮らし、フリーターの方は国会議員になれないことになる。
この国が現状から脱却し、国民が当たり前の生活ができるようになるためには、政党助成金でも企業献金でも裏金の改革でもなく、まず選挙活動の見直しである。一見、別問題に見える選挙活動と政党助成金や裏金等の問題は、実は密接に繋がっている。なぜなら、私利私欲第一主義の国会議員が溢れる中で助成金や裏金などの問題を改革しようとしても無理なのである。
普通の会社員や年金生活、生活保護を受けている人、フリーター、様々な年齢、職業、経済状態の人が国会に参加できる状態こそが、私利私欲第一主義の国会議員が必死に守ろうとしている利権を健全なものへと改革し、国民のための民主主義を作ることができるからだ。でないと日本は滅亡するまでこのままの状態である。
よく政治家の子供が、相続同然に政治家になるが、これは政治家にならないと今の豊かで特権階級な生活を守れなくなるためである。現役政治家はこのことをよく知っているのだろう。己自身が利権にどっぷり浸かっているのだから。そして、知っているからこそ子供に継がせたいと考える。これが現在の私利私欲第一主義の政治家の思考回路ではないだろうか。
しかし、本当の政治家の思考回路は違うはずだ。本当の政治家がなすべきは、子供に政治家を引き継がせるのではなく、会社員になっても豊かな生活を送れる国にするべきなのだ。
なぜなら、日本では、国会議員は国民の代表であり、富裕層や特権階級の代表ではないはずからだ。
だから、どのような経済状態の人も立候補し現役と同等の十分な選挙活動ができないとおかしい。
今、日本が抱えている病の処方箋を次のように考える
金が集まるところには、金欲が集まる。だから、金欲まみれでない国会議員が欲しければ、私服を肥やせない職業、身分にすること必要である。
金をかけてはいけない選挙活動の規制を作り、さまざまな経済状態の人が当選できる制度を作る。
国会議員は野党も与党も、さまざまな問題意識を持って集まってくる。改革したいテーマも人ぞれぞれ違うだろう。だが、議員に当選して何よりも優先して行うべきことは、この2点ではないだろうか。日本に民主主義を実現するために。
私はそのように考えたが、あなたはどのように思われただろうか?
今のこの国は、果たして民主主義なのだろうか?