ひこうき雲が交差していた こんなに晴れた空を見たのは 何時ぶりだろうか
こんばんはー おはようございます 前に書いたコチラの続きです。 今日の記事の概要:ADHDの薬と私のケースの話、副作用など(?) ※注意 薬の処方は主治医と相談の上決めています。 どうやらADHD以外の症状もあるらしいので、あくまでも1つのケースとしてお読みください。 これを書く理由は、初めて向精神薬を飲む時に怖かったからです。 Twitterやnote、個人ブログなどで体験談を探しました。 服薬を怖がった理由は 私の家族が強い睡眠薬を飲んでいて 飲んだ時の感覚が本人に
*これは編集者ててさんに、レビューいただくために現段階の構想をまとめた記事です* ステートメントと写真の構成作品です。 前に違う場所で講評に出した時の、レイアウトメモと 当日の写真しか残っておらず、作品自体が見やすい状態でなく恥ずかしいですが、チャンスは掴める時に掴みたい… どうぞ宜しくお願いします。 ***ステートメント*** 写真というものは わたしには 生まれたときから身近であったが故に 撮る、撮られるときの感覚はあまりない 定まりきらない構図はそのまま心の弱
こんにちは。 2月末にADHDを診断されて薬を飲んでいます。 これは私自身、ADHDについて調べていたときにTwitterやノート個人ブログを読んで情報収集しました。その上で薬を実際服用している様子はあまり出て来ませんでした。ADHDと診断された人、ADHDを疑っている人、身近にADHDの方がいる人の情報の1つになればいいと思ってます。 ※先に伝えると、薬の話はほとんど出来ませんでした。これはADHD確定までの話です。 診断方法と期間 私は、Googleマップで調べて、
多感な時期に あなたはデザイン以外で食べていける。そうした方が…… と言われたこと、アンタに何がわかる、と思っているけど、思っているけどそれでも偶に呪われてしまう。その言葉は正しかったと、思う日がある。
ボールが転がるのと跳ねるのをみていた 体育館がしんとしている感じは変わらない ボールが床を跳ねると こんなに振動するって知らなかった 忘れていた、というかそもそも経験が乏しい 中学の体育までしかまともに身体を動かしてない スポーツをする身体の動きは綺麗だ 上がる声も 自然で なるほど身体を動かすのは精神にいいだろうなと思った こどものころ体育館の床 よく見つめたものだった ボール蹴らせてもらった楽しい
悩んだとき迷ったとき傍らの本を読む 迷い込むことは探しに行くこと
気にしてしまうあの子に言われた事 もう会わない相手、長く会ってない子で でも毎週のように会ってた時期もある、そんな思い出の「作る仲間」に言われた事 「タス(私のあだ名)は、昔から好きなものを変わらず好きなところ、ずっと大事にしているところがある」 それはちょっと珍しいよ、みたいな内容だったと思う 比較的関係性が良好、というか、お互いメンタルの調子が良い時で そんな気になる相手に言われたから覚えているところがある というか、図星なのだ 思い返せば、23年だか一緒に
こんばんは、こんにちは 今日も書きたいことが溜まりました。 私すぐTwitterを煩くしてしまうんだよね もしかしたらお仕事の相手とか 憧れの人とかにだって見える場所で自分語りをしてしまう でもTwitterって自由だよね? その使い方が自由故に多様化して、それぞれコミュニティを広げただけか まあ良いんだけども 今日思ったのは、 わたし、創作したいなーって最近思うわけです。 ちょっと前には本気で写真のセレクトをして人に見せる機会があって、 すごく自信なさげに出したから
私の事をとても気に入ってくれるインドネシアの友達ができて、私は彼女に会いに行くという人生の目的が増えた!けれども、まずはオンラインでもっと遊びたいね、お互いのことを知らないと!#インドネシア生活 に思いを馳せる…
ベネチアが干上がっているらしい、 友人から聞いた、悲しい、とても辛いと思う、私の住む街は大雨が災害になるほどだが、時を同じくして乾季に嘆いている友人がいる イタリアへ恵みの雨が降ることをただ祈る
楽しいことだけをして生きてはいけないのか、苦手なことは楽しいことのためにある程度出来ると便利なのか、解決する為に他人へ頼んで良いのか、良い交渉の仕方とはなんなのか、他人を頼るときのお願いの仕方とは、とかそのへんがぐるぐるとして、結局、自分個人に負えないものは、手を出すなって話か…
可愛いことだけを言える人間だったら もしくは言葉を持たない 意思疎通ができないものだったら 楽だろう けど つまらなかっただろうか
「彼には、一生働かなくてもいいくらいの、遺産があった。 それも戦後のインフレで 全部タダ同然になってしまった。」 とある、戦争孤児の話。これは長岡の戦災資料館で聞いた実話だ。 初めて訪れたのは大学の1年生のころ 歳にして18か19 長岡市民の、おばちゃん二人が 長岡空襲時代の恋の話 「願かけ桜」という小説を映像化してほしい、と大学教授に話が来て メインで対応したのが私だった。(めっちゃ大変だったからそう言わせてもらう) 当時のわたしは、戦争というテーマに正面から向き合
suzuriというサービスで、デジタルコンテンツが売れるようになったらしいのでテスト 飛鳥 ( tobutoringo )のオリジナルアイテム通販 ∞ SUZURI(スズリ) https://suzuri.jp/tobutoringo #suzuri
「どこでも住めるとしたら」 なんとわたしは いま、絶賛どこに住むのにも制限がない。 えーっと、日本国内くらいには、現実的にエリアを絞ってるけれど 2023年2月現在の私は ・無職(フリーランス) ・前職はデザイナー ・貯金はぎりぎり3ヶ月位尽きない ・恋人がいない ・両親は健在 ・25歳 ・住民票は新潟にあるが、この1ヶ月は都合で都市を転々としている。 つまり、住んでみたい場所に引越すには最適の時期である。 サムネイルの写真は、正月に帰省した実家の裏の田んぼで 秋田