希望に変えるエネルギーを考える。
この年、コロナは関係なくなんかない思う。目に見えないコロナによって人々の生活・日常は動きが止まってしまった。心も同じだ。新しい生活様式とかゆってソレに慣れるようにみんな頑張ったもんね。感染者の死があんなに無情で型にはまったような最期だなんて、志村さんのことでわかってしまった。そんな最期ってあるかよ…ってなって。コロナだけじゃなくて今年、亡くなった方の為に集まれない。そうしてそのまま時を進めることに、これっておかしくない?ってどこかで何か、捻れてゆくような、ズレてゆくような感覚がある。世は完全に歪んでます。
無念が満々と充満している
ご本人の無念
ご遺族の無念
親しい方も遠方の方も、集まって悼みを分かち合って、弔うことができない無念。見送って心の区切りもつけやしない。日本だけじゃない、世界中で、同時代同時間を感じながら、ずっと今まで、やるせない想いをたくさん積んできて、地球体にどれだけの無念が…
そうした日常の中で、メディアもそうだし、ネット上で目にする言葉は卑劣で程度が低くて何より目立っていた(気がする)。みんなそんな言葉を言いたくてゆってるのか、適当に紐付けて取り上げて話題にしたいのか。こんなときに、求めている欲しかった言葉や態度や表現は、もっと違うものではなかったか。失望よりも希望ではなかったですか。
もう、それ以上の真実がないのならそれでいいじゃないですか、知るべきときではない、知るべきことではない。だから、メディアもヒトビトを混迷の渦に巻き込むのは、どーかお止めになって。ただでさえ、もう絡み合いすぎて大変なのですから。
すっかり、アタマもココロも、ぽっかり迷子。ウロウロぐるぐる。前に進めたかと思ったら違った、また、ここか。まだここか。いつもならこんなんじゃない…って。普段から突き詰めて集中できる人にとっては当たり前が当たり前じゃなくなってることとか敏感に感じていただろうと思う。でも、でも、失望は減らせるよね!光を探して照らしたり、希望を見つけて導いたり、強くしっかりと寄り添いたい。今は、そう思う。
ならば、我らができることは、彼らの生きた時間を尊重すること。役に向き合った貴重な時間を共にして、生きた時間を作品を姿を愛でて、未来へどこまでも未来へ繋げること。何年先の未来まで彼らを生かすことができます。広く多くのヒトへ知らしめることができる。今現代の人たちで語らなければ語り続けなければ、いつか絶えてしまう。どうか、失望を希望へ。
そして、表現者が自ら命たつことの撲滅。多くの人々にも多大に影響する死です。エンタメ界の今、未来にとっても大切だと思う。撲滅に向けてその可能性を探って、方法を見つけて、希望を増やして、彼らを守って!。芸能事務所、心理カウンセラーやクリニックや自死遺族会とか垣根を越えて、現状把握とか意見交換とか相談会…、一般人でもできることがあればクラウドファンディングとか、何かしら参加する流れもあっていいだろうし、とにかく手を携えて対策をとることを切に願う 🙏
海外の俳優さんも、何かしら陥って克服した希望が示されています。これは、同じ時代に起きていることです。見逃さず見過ごさず。
「うつ病」を受け入れ共存する(2020/03/21)
ブラッド・ピット、アルコール依存症者の会で(2019/09/05)
表現することや表現に触れることの、表現の存在がヒトに与えることは大きいです、ヒトビトの日常にとっても無くてはならないモノです。表現の尊重は個々を尊重することとも思うのです。対相手が存在して互いがあってこそ得られること、次へ次へエネルギーになります。生きるベクトルに重みと傾きを与えて力になります。世相により表現が潰されず潰し合わず、尊重して共有しあうことで、ヒトビトの感覚や意識がもっともっと高め合える世界を願っています。
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