日記(発泡酒/止まらない!)

−−発泡酒
お金がない。
が、よく渋谷に行く。
最寄駅から渋谷まで250円。つまり、往復500円。二度行けば1000円!
この必要すぎる経費を削ろうと、私はよく目黒から渋谷まで歩いている。
目黒線から三田線にかけての定期券を買っているので、目黒駅までは実質無料で行ける。山手線で恵比寿を挟んだたった2駅間。とはいえ1時間近く歩くのだが、どうせ暇なので運動がてら無料で渋谷まで向かっている。
目黒駅から渋谷駅、すごいのが、おそらく一度しか曲がらずに辿り着ける点である。途中で山手線の高架(といっても手を伸ばせば届く程度の高さ)をくぐったあと、CIRCUS TOKYOのあたりで左折するだけで、基本、道なりに歩いていれば着く。それだけでなく、渋谷だけでなく代官山もほぼ通り道にあるため代官山のライブハウスにも徒歩で行けるのだ。
なにより魅力的なのが、やはり目黒区と渋谷区、コンビニが至る所に点在しているところである。体に合わない缶の発泡酒を喉に押し込み、ようやく自分の番に気付き始めた秋の寒さに怖気づきアルコールに対する条件反射も加わって肩を震わす暮れの頃は、大嫌いな表現だが至福の時間だった。
が、ここではじめに戻っていただきたい。
お金がないのである。
1時間歩くとして、15分に一缶飲み干すとしよう。交通費など優に越えている。
そんなこと、分かっている。分かりながら、この前は目黒から下北沢まで1時間半ほど歩いた。
言い訳はいくらでもできる。電車で行ったところで結局コンビニで酒を買って飲む。この間QUOカードペイのポイントが約1万円分当選した。先週ついに使い果たしたが。
結局、行かないことが最善だと感じ、行かないようになってしまった。それでいい。それでいい。
言い聞かせ、行かないことに後悔し、それを引き起こした過去の愚行を後悔し、分かっていて働こうとしない私を責める。
この世界は私に優しすぎる。
−−止まらない!
最近、といっても8月以降か。私と会った人で左手首の絆創膏から透ける傷跡が気になった方はいただろうか。
無意識に隠していると思うから、気づかなかったのなら幸いだ。
今年に入ったあたりから、カッターナイフで左手首を薄く傷つけるようになった。薄く、である。
死のうというつもりはないといったら嘘かもしれないので断言はしない。ここまでまどろっこしい表現を使わないとぴんとこないほど私は私を分かっていないし、分かろうともしていない。
私が格闘しているのはストレスか、さっきのような後悔か。無造作に何度も薄く切りつけ、一秒ほど経つと血液が表面張力に負けた球体の姿で体内から顔を覗かせる。私はしばらくそれを眺める。球体はある程度ふくらむと表面張力を見捨て重力に従うようになるのだが、その頃にティッシュをかぶせ、ビビッドな赤色が染み、くすんでいく様を何も考えずに見つめている。死んでも、その時の私の顔を見たくない。
8月のある日、いつものようにカッターナイフで切りつけると、思ったより強かったのだろう、ウィンナーに切れ込みを入れたように腕の皮膚が開き、スローモーションで「鮮」血が流れ落ちてきた。
本当に、スローモーションだった。痛みを感じる間もなく私の頭をよぎった「死んだ」の三文字。
洗面所だった。自分で作った馬鹿な傷口を強くティッシュで抑え、白を食い尽くしていく赤を見つめた。見つめるしかなかった。出血箇所を頭上までもっていった。すぐに満床となったティッシュを抜けて腕をつたい落ちる血液。急いでティッシュを交換する私。
そのとき、「幸せだとは思われたいなぁ」と、ぼんやり考えていた。救急車を呼ぶべきか。自分で運転して病院に行くか。なんにせよ誰かにこれを伝えなければいけないのか。不幸だとは思われたくなかった。ほんの一度の過ちとして、笑って頭を叩いてほしかった。
結局、誰にも伝えなかった。自分で紐を探して、二の腕に巻き付けて、相変わらず無様に片腕を高く掲げながら血が止まるのを待った。数十分したら勢いはおさまったが、起きた時の絆創膏の染みを見る限り実際は深夜まで止まらなかったのだろう。馬鹿馬鹿しくて書くことも躊躇ってしまうが、一命は取り留めた。
それから少なくとも1ヶ月は絆創膏をつけていた。何度か「なんの怪我?」と聞かれたが、苦し紛れに誤魔化した。正直、後悔は生まれないし、再びカッターナイフを手に取りたくなることばかりだが、いまは恥ずかしいという気持ちの方が強いのだと思う。早く傷跡の赤色が消えてくれ、肌の色になって「リスカ跡」という過去になってくれ、と。辛いが、辛いと思われたくない。言われなくても分かっている。それが良くないのだと。誰かに話さなきゃいつか本当に死にたくなるぞ、と、言われなくても分かっているのだ。ただ、この気持ちを止めたくない。不幸な天使の幻覚を見ていたい。

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