機動戦士ガンダム 全話レビュー 第6話「ガルマ出撃す」
あらすじ
ホワイトベースは大気圏突入時のシャアの攻撃のせいで突入ポイントがずれ、ジオンの勢力圏内に降下していしまう。これを見越したシャアは、士官学校の同期で親友のガルマ・ザビ大佐と合流してホワイトベースを迎撃する。ホワイトベースではリード中尉とブライトの間で、アムロの出撃をめぐって対立が起きていた。オーバーワークのアムロを休ませたいブライトだが、敵の包囲網を突破するためやむなくアムロをガンタンクで出撃させる。
脚本/山本優 演出/小鹿英吉 絵コンテ/山崎和男 作画監督/安彦良和
コメント
1977年に映画「スター・ウォーズ」が公開されたとき、私はそのSF世界に心躍らせたものだった。しかしそのとき日本のSF界ではこんな声が上がっていた。「あんなの、SFじゃない。ただのスペースオペラ(宇宙を舞台にしたソープオペラ=昼ドラ)」と。では、一体SFって何だろう。確かにSFのSはサイエンスのSであってスペースのSではないが、だからといって宇宙を舞台にした活劇の、何が問題なのだろうかと思ったものだ。
1980年にガンダムの放映が終了し、映画化とともに大ブームがわき起こったときも、やはり同じような声があがった。「こんなの、SFじゃなーーい!SF界は迷惑しているんだ、」と。(参考:「ガンダムとSF」http://www2s.biglobe.ne.jp/~ryuseik/SF1.htm) ガンダムは今でこそ「ガチガチのSF設定」という印象があるが、それは上記のような批判を受けて後付けで作られたものが、のちに「公式設定」に格上げされたからだ。結果的にはそれで作品に多少の箔がついたのかもしれないが、まもなく放映後40年になろうとする今でもファンがいて視聴され続けているのは単純に、話が面白いからである。設定はストーリー展開に奉仕するものであってその逆ではないことを、本作は今も私たちに教えてくれる。むしろ、あまり作品世界の設定について細かく考えられていない、いわば場当たり的な展開に驚かされる。実は設定は隙だらけ、穴だらけで、その隙間を埋められる、考えられるということが結果的に多くの熱狂的ファンを生むことになったのではないだろうか。
さて、6話である。大気圏に突入してストーリーの舞台は地上へと移る。宇宙が舞台であったとき、本作はそれでもまだSFっぽい匂いがした。地球に下りて、ドラマは人の心の内側へと下りていく。そしてまた、その地球上に見る宇宙世紀という未来の風景は、おそらく当時の誰もが思い描いた未来とはまったく違っていた。
ホワイトベースが降下した場所は作中では「大陸」としか呼ばれていないが、状況や風景からみて北米大陸であることは間違いない。そこは敵であるジオン公国に占領されていた。放映当時の1970年代末という時代を考えれば、驚くべき舞台設定といわざるを得ない。なぜなら当時は米ソの冷戦時代。北米がジオン軍に制圧されてなお、地球連邦が敗北していないということは、地球連邦の首都は少なくとも北米大陸にはないということだ。とすればどうなのか。この宇宙世紀という未来は当時から見れば、米ソのうちのソ連が冷戦に勝利した後の未来を想定している、ということではないか。ガンダムはここでも「ヤマト」の轍を進まない。
ジオンの勢力圏である北米大陸、おそらくは現在のアメリカとメキシコの国境付近に降下したホワイトベース。彼らを迎え撃つべく、地球方面軍司令官のガルマ・ザビ大佐がガウ攻撃空母の1個中隊を差し向けていた。すべてはシャアの差し金である。ガルマはシャアの士官学校時代の同級生だが、ザビ家の末子ということもあり大佐にして一軍を率いる司令官。しかし階級に見合うほどの戦績がないことを内心気にしているのだろう。それを見越してシャアはホワイトベース討伐という手柄を「献上しよう」という魂胆である。それにしては、これまでとうってかわって快活に笑うシャアが不気味である。
ホワイトベースでは、リード中尉とブライトの間で意見が対立していた。ガンダムを出撃させれば敵陣を突破できる、というリード。しかしブライトはアムロには休息が必要だという。大気圏突入後は補給と整備に追われ、休む間もなく動き回っているのだ。その間に敵の突撃艇ドップの空襲を受け、アムロは自分から出撃することを申し出た。しかしそこでハヤトが提案し、ガンタンクで狙撃する作戦をとることになる。ここではじめて、コアファイターが変形してモビルスーツのコアになるという、コアブロックシステムがお披露目される。
しかしこの作戦は、ジオンの地上部隊が出てきてご破算となる。リードは後退を命じるがブライトは応じようとせず、アムロはガンタンクからガンダムに乗り換えて地上部隊に対処することに。
一方のジオンではガルマが「連邦軍のモビルスーツが出てきている」と報告を受け、3機のザクを投入する。重力下での初の出撃にアムロは苦戦するが、異様な奮闘で地上部隊を全滅させ、その威力に感嘆したガルマは「あれを無傷で手に入れたい」と闘志を燃やすのだった。
これまではシャアが追い、ホワイトベースが逃げる展開だった。しかしそれぞれの陣営の内部に、それぞれの軋轢がある。ジオンの側でいうと、それは戦闘の後にシャアを訪ねたガルマの口から明かされる。「なぜ、あの機密のすごさを教えてくれなかったのだ?」と。知らずにいたために、ガルマは一個中隊を失った。シャアはその場をうまく言い繕うが、内心は「戦って死んでもいいし、自分が危ういところを助けてもいい」などとほくそ笑んでいたことを、見ている私たちは知っている。どうやら敵は内部にいるらしい。
そしてホワイトベース。こちらにも内部に問題がある。リードとブライトの言い争いには辟易させられるものがあるが、どうやら本当の闇はもっと深く人の心の内側に入り込んでいるようだ。
この一言! 「僕だって、自信があってやってる訳じゃないのに」
ガルマを罠にはめようとするかのようなシャアの言動は不穏だが、それと比較にならないくらい不穏なのがアムロの言動である。これまで「自分がやらなければ、相手にやられる」とけなげに戦ってきたアムロだが、その疲労度は限界に達していた。そんな中、自分でなければという自負もまた大きくなってきた様子が伺える。ブライトが「休息が必要だ」としてリード中尉と対立していたとき、出撃しますと自分から申し出るなど、まさに自負心に動かされてという状況だろう。
しかし、コクピットのアムロは今までとどうも様子が違う。自分から出ると買って出たにもかかわらず、否定的な言葉が多いのだ。例えばハヤトの「ホワイトベースを出たらなるべく離れてくれ」という進言に「賛成できないな」と反論するなど、どうもハヤトと二人でガンタンクで出るという作戦が気に食わない様子である。
地上部隊が出てきて、ブライトからガンダムへの乗り換えを指示されると、「ガンタンクはリュウに操作させる」というブライトに対して「カイかセイラさんに操縦させてください」と逆に指示を出すなど、どうも自負心が大きくなって増長気味とも受け取れる言動がつづく。
そんな中、発進するリュウに「自信がなければいいのよ」と声をかけるセイラを横目につぶやいたのが今回の一言。
「僕だって、自信があってやる訳じゃないのに」
そうは言っても、そんな言葉とは裏腹になぜか自分が一番正しく自分意外はみんなバカ、とでもいいたげな態度で、その後コクピットではブツブツと独り言が増えていく。「アムロ=根暗」のイメージは、こんなところから出てきたのであろう。今見ると、能力を見込まれて次々無理な仕事を押し付けられ、心を病んで行くブラック企業の会社員といった様相である。自信があるわけではない、みんなのためにやっているのに誰もそれを認めてくれない。恐らくは、この一言にはそんな思いが隠されているのだろう。6話では、そんなアムロがコクピットの中で、人知れず感じている恐怖と激情が表現されている。戦いとは、恐ろしいもの。ストレスとは、心を病ませるもの。当たり前だけれどもこれまで誰も描かなかったことを描いたという意味で、注目のワンシーンである。