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#2 「えっ、スタンプ帳持って来たんだ?!」2城目のスタンプを押印すると、相方にもスイッチが入った

 今治城で『日本100名城公式ガイドブック』を購入し、一つ目のスタンプを押してからおよそ二週間後、私は昭人さんとかねてから計画していた東北旅行に出かけた。旅の主眼は青森市にある三内丸山遺跡。NHKオンデマンドで『日本人 はるかな旅』を見て、訪れたいと思っていた所だった。また、レンタルで観た映画『八甲田山』にすっかりハマってしまい、八甲田山雪中行軍遭難事件の現場となった場所にも足を運ぶことにしていた。そのほか現存天守を持つ弘前城もコースに入っていた。というのも、「日本100名城」を知る以前から、全国に12ある現存天守をすべて訪れよう、という計画があったからだ。もちろん、弘前城は「日本100名城」の一つに選定されている。私は旅行用のバッグに、件のガイドブックとスタンプ帳を密かに詰め込んだ。
 大まかな旅程は、次のとおりである。

【2016年10月8日(土)・9日(日)・10日(月・祝)】
1日目:自宅(滋賀県大津市) → 秋田県横手市 → 仙北市角館町
 → 田沢湖 → 宿泊(鹿角市内)
2日目:秋田県鹿角市内 → 十和田湖 → 八甲田山 → 
 青森県弘前市(弘前城) → 三内丸山遺跡 →  青森港「八甲田丸」 
 → 宿泊(青森市内)
3日目:帰路

夜中の2時半ごろに自宅を出て、横手に着いたのが11時半ごろ。
お昼どきだったので、ご当地グルメとして有名な横手焼きそばの有名店
「元祖神谷焼きそば屋」へ。お昼前だというのに、すでに満席。
横手焼きそばというと、目玉焼きが乗ったのがデフォルトのようだが、
知らなかったので肉野菜を注文。紅ショウガのかわりに福神漬けがつく。
味は、ごくふつうだった。元祖、ということで人気があるようだ。

 計画では、横手市でB級グルメとして有名な「横手やきそば」を食べたあと、角館、田沢湖へ向かう予定だったが、その前に立ち寄りたい場所があった。「金沢柵」跡である。
 このあたりは、JR奥羽本線の最寄駅の名の「後三年」が示すとおり、平安時代後期の1083年から87年に起こった「後三年の役」の合戦の舞台だった。当時、欧州を実効支配していた清原一族の内部分裂の最中、陸奥守として朝廷から派遣された源義家が介入し、結果的に清原氏が滅亡に至った、という戦いである。
 分裂した一方の清原家衡、武衡が籠城し、清原清衡・源義家の連合軍が攻め込んで陥落させたという「金沢柵」の場所と考えられていた場所は、現在「金澤公園」として整備されている。本丸跡とされる場所には金澤八幡宮が建立されており、公園といっても実際には山城といっていいような遺構である。「金沢柵」の場所ではなかったかもしれないが、むしろ戦国期あたりの城郭であったことはまちがいないだろう。

後三年の役の後の1093年に、源義家の命を受けた藤原清衡が、
石清水八幡宮の神霊を勧請して建立された「金澤八幡宮」。
江戸時代には、義家の弟、源義光の末裔である
佐竹氏が秋田藩主となったことから、篤く信仰されてきたという。
後三年の役の際、わずか16歳で初陣をかざり、大軍を相手に果敢に戦って
手柄を建てた鎌倉権五郎景正が、源義家の命により、敵の屍を葬って、
弔いのために塚をつくり、その上に杉を植えたという伝承が残る「景正功名塚」

 後三年の役の際の激戦の様子を伝えるとされる遺物が残る境内をめぐり、少し下ったところに、目的としていたものがあった。「納豆発祥の地」の記念碑である。後三年の役の折り、源義家が、馬に与える飼料として、農民に煮た大豆を俵に詰めて供出させたところ、それが発酵して糸を引いていた。食べてみたところ意外に美味しかったことから、これが納豆として食べられるようになった、という説に由来してるという。

金澤公園内にある「納豆発祥の地」の記念碑


 納豆といえば水戸、というイメージが強かったので、この記念碑の存在を知ったときは意外に思えたが、近隣のスーパーには地元で製造された納豆も販売されていた。実は昭人さんが、ヨーグルトメーカーを使って自家製納豆を作り始め、作り方を研究する過程で、納豆発祥の地が秋田県にあると知ったので、立ち寄ってみようということになったのだが、知識として得た場所に実際に行ってみると、ことのほか、さまざまなことがわかる。その風土、歴史背景、そしてそれが今に続く様子。これは楽しい寄り道となった。

 1日目は、武家屋敷のある町として知られる角館にある「安藤醸造」で生醤油と岩魚のしょっつるを買い求めたあと、田沢湖を観光して宿に向かった。田沢湖までは小ぶりだった雨が、日が暮れる頃には豪雨になり、ダム湖畔の真っ暗な山道を抜けてなんとか宿に辿り着いた頃には、くたくたになっていた。

 2日目は朝6時半に宿を出て、十和田湖から八甲田山へ向かう。1902(明治35)年に起こった「八甲田山雪中行軍遭難事件」の現場である。驚いたのは、八甲田山が意外と市街地からそう遠くない、なだらかな山地だったことだ。映画で見たあの豪雪の様子から、ものすごく深い山の中を想像していたが、そうではなかった。映画の中で「日本海と太平洋の風が直接ぶつかる」と説明されていたように、降雪をともなって激しい風が吹き抜けてゆく場所、そこが八甲田山だったのだ。

三連休は3日とも雨の予報だったが、十和田湖まで来ると
青空が見えてきた。風が強く、湖は波が高かった。
八甲田山は、18の山々からなる火山群。冬は豪雪となる。
歩兵第5連隊第2大隊遭難記念碑。直立したまま仮死状態で発見された
後藤伍長の銅像が、八甲田山の山並みを背に、青森湾を見下ろすように建つ。

 そこからおよそ50キロメートル走り、弘前市へ。弘前市立観光館駐車場に車を停め、市内を観光することにした。地元出身の政商、藤田謙一氏の庭園「藤田記念公園」を散策したあと、いよいよ「日本100名城」の一つ、弘前城へ向かう。現存天守12のうちの一つがあるため、100名城を知る以前から、旅の目的にしていたのである。
 
 弘前市立観光館から道路をはさんで真向かいにある追手門(三の丸南門)から、城内へ入る。三重の堀に囲まれた城で、三の丸には植物園や市民会館があり、都市公園となっている。南内門をくぐり二の丸へ入ると、いよいよ城らしくなってくる。
 このとき(2016年)、100年ぶりという本丸石垣修理工事が行われており、天守台にあるべき天守は、別の場所に移されていた(調べてみると、2024年現在も工事は続いており、弘前城天守が元の位置に戻るのは、早くても2025年度になるという)。

弘前公園の入り口にもなっている、弘前城追手門。需要文化財。
南内門から、二の丸へ。
100年ぶりの石垣修理工事が行われており、天守は天守台から別のところへ移動中。
工事が行われている、天守台の石垣。
本丸の石垣。石一つの高さが大人の背丈を超えている。
本来ん天守台から本丸中央部へ移動されている天守。全国で12ある
現存天守のうち、もっとも北にあり、防寒対策のため屋根は銅葺瓦とされている。

 本来の場所から本丸内部に移された天守にたどり着き、内部に入ると、そこに「日本100名城スタンプ」が設置してあるのを見つけた。すかさず、リュックサックからスタンプ帳を取り出すと、ページを開いて2つ目となるスタンプを押印した。相方の昭人さんは、「えっ、スタンプ帳持って来たんだ?!」と驚いていた。私としては、せっかくここまで来るのだから、押せるものなら押しておこう、というくらいの気持ちだったのだが、「本気で全部の城を回るつもりか」と思いいたったようである。(2024年現在、弘前城のスタンプは弘前城情報館に設置されている)
 そして、このことが、旅の3日目を変えていくことになるのであった。

天守内部の展示。天守を移動させる修理は明治時代にも行われていたという。

 弘前城は弘前藩主津軽氏の居城であった。現在はその城跡が「弘前公園」となっており東北随一の桜の名所として知られている。今も堀、石垣、土塁など城郭遺構が廃城時の原形をとどめ、1810年に建てられた天守が現存している。天守内に江戸時代の弘前城のジオラマが展示されていたが、ボランティアガイドの説明によれば、通常、城は本丸の中心部に天守をつくるが、津軽藩の藩主は本丸の中心に豪華な御殿をつくり、天守を端に配置した、とのこと。築城当初は五層の天守だったものの落雷により焼失。それから200年後の1810年に今の天守が建てられた。江戸幕府は天守の新築を原則禁止していたため、これは「天守ではない、櫓だ」と言い張り、櫓を天守に改築したのだという。

本丸には豪華な御殿が建てられ、片隅に追いやられた三層の天守は確かに櫓のようにも見える。

 弘前市内には、弘前公園周辺に幕末から明治時代の建築が多く残されており、あちこちをめぐりながら街歩きを楽しんだ。そして私たちは、次の目的地でありこの日の宿泊地でもある青森市へと向かった。 

弘前公園の近くにある、藤田記念庭園。地元出身の政商、藤田謙一氏の庭園が
一般公開されている。この洋館は「大正浪漫喫茶室」となっている。
喫茶室のタイル張りのおしゃれなテラスで、アップルパイをいただく。
国の重要文化財に指定されている青森銀行記念館。この銀行の母体となった
旧五十九銀行本店として、明治37年に建築された。
まちなかを歩いていると、吉田松陰が訪れたという家に出会う。
弘前市役所のすぐ近くには、東奥義塾という学校に招かれた外国人教師の住宅が残る。
弘前市立観光館のすぐ隣には、旧弘前市立図書館がある。

【2城目:4番 弘前城(青森県弘前市)】
 
登城日:2016年10月9日(日)


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