天使様という概念を愛しています。
天使とは、文字通り天の使い、神様の使者であると同時に、何でも優しく包み込んで受け入れてくれる上位存在、という意味合いも持った言葉だと思います。
『さよならを教えて』というゲームには「そうです。あのコが僕の畏敬する天使様なのです」という有名な台詞があります。
更にさよならを教えてを取り扱ったゲーム、『NEEDY GIRL OVERDOSE』では、主人公の「あめちゃん」という少女は、配信者として活動する際には「超絶最かわてんしちゃん」としてオタク達に寄り添ってあげたりあげなかったりします。
桃寝ちのいさんの楽曲『てんしさまのいうとおり』では、「てんしさま」は「何でも願いごとを叶えてくれる」存在としてお祈りされています。
いよわさんの楽曲『IMAWANOKIWA』では、抽象的な概念としての天使様がとても丁寧に描かれています。
上記のような現代的な意味合いの天使(病める時に傍にいて微笑んでくれるような、自身に都合の良い存在でありながら、気まぐれであったり儚い存在であったりもする、崇拝の対象にも幻想にもなりうるなにか)のことを私はさよならを教えてに倣い「天使様」と呼んでいます。
天使様は至る所にいます。
例えばペット、フィクションのキャラクター、たった一つのツイート、貰った手紙、早朝に散歩をしている時訪れる「赦し」の空気感。
日常にあるすべてのものが天使様に成り得ます。
思えばこの数年間ずっとたくさんの天使様に救われてきました。その言葉一つのおかげで何度も自殺を踏みとどまった、そんな経験もあります。
それらすべては天使様です。
天使様は私のことを好きだから優しくしてくれる訳ではありません。天使様は天界の存在であって、我々人類に興味などないのです。
ただそこにいてくれるだけでこちらが勝手に救われる、そんな偶像こそが天使様なのです。
天使様が実在する人間だった場合、そのことを伝えるのはおすすめできません。命の責任を持つというのは相当に精神力のいることだからです。
あなたが死んだら私も死にますだとか、あなたのおかげで今日も生きていけますとか。
物語や言葉の作者にも、場合によっては伝えない方が良いかもしれません。
ただ「苦しい時に支えられました」とか、せいぜいその程度が丁度良いと思います。
勿論、誰かの天使様になることを嬉しく思っている方もいると思います。
私もそうです。
「あなたが死んだら私も死にます」だなんて、誰かにとってそんなに重要な存在になれたらどんなに良いだろう、とそう思っています。
そんな人には積極的に言ってあげてください。
あなただけが心の拠り所ですよ、と。
誰かを救うことは、生きる権利を得ることだと思います。
どんなに悪事を働いても、他の誰かを生かしているという事実だけで、精神的死刑を逃れられる気がします。
だからもし私を天使様にしてくれる人がいるのであれば、その人もまた、私の天使様になるのだろうな、と思います。
もちろん本人には伝えませんが、きっとそれは素敵な両想いだと思います。
この世にあるすべての天使様へ、どうかずっとそこにいてください。いいえ、私の言うことなんて少しも聞き入れないでください。