見出し画像

不文律への悪口

「知らなかったでは済まされない」という言葉がありますね。
大嫌いです。

この社会には数多くの「暗黙の了解」が存在しています。
無自覚の内に良からぬハンドサインをしてしまった、何気なく発した言葉が知らない差別用語だった。そんな話を聞いたことがある人は多いことと思います。
こういった不文律の無視は無知によって発現します。
基本的にこの無知から逃げることはできません。余程のことがない限り不文律が教えられるのは事の起きた後になるからです。
不謹慎であるとか、そもそも話題に出すこと自体が禁忌であるとか、教えられない理由は様々あると思います。
しかしだからこそ、そのスイッチはいつ誰が押してもおかしくないようになってしまっています。

「暗黙の了解」には別のパターンもあります。
わざわざ口に出すまでもないこと、だった場合です。
何となくで人を殺してはなりません、当たり前です。面白半分ですれ違った人を殴ってはいけません、当たり前です。少し考えたら分かることです。知っていて当たり前です。
しかし、その「少し」すら考えられない人は一定数います。
そんな簡単なことすら理解できない奴がいて良いはずがない、と考える人もいると思います。でもいます。いるものはいます。そういうものです。
もっと言ってしまうと、それはいけないことなんだよ、と懇切丁寧に教えて貰っても尚理解することができない人がいます。いるべきかいるべきでないかに関係なく、いるんです。
更に言うと、悪いことだと理解した上で、なぜ悪いことをしてはいけないのか分からない人もいます。存在しています。

五体満足、大きな疾患もなく生まれ落ちすくすくと育ち、小中高と成績も平均かそれ以上。人間関係や家庭環境の大きな問題などを抱えることなく大学を4年で卒業。週に5日、8時間労働をして休みの日には遊びにでかける。そんな完璧な人生を歩んできた方には想像が及ばないかもしれません。実は完璧な人間って、かなり希少です。
大体みんなどこかしらに欠陥を抱えています。
それが知識の偏りや思考回路であることは、決して少なくありません。

これだけ不完全な生き物たちが営む社会の中に、不文律たちは尚も潜み続けています。
言葉にできない理由があるものがほとんどでしょうし、第一なんでもかんでも説明していたら埒が明きませんから。
しかし、それが通用しない場合があることも確かです。
「知らない方が悪いでしょ」と思う気持ちは一切分かり兼ねますが、分かったふりをしても、そもそも存在を知らない物のことをどう避ければ良いのか、その説明も同時に提示していない限りは、知らずに規範を破った側は事故を起こした様なものです。決して事件ではありません。事故です。
例えば道すがら知らない人に突然殴られて、相手が「人を殴ってはいけないと知らなかった」と供述したとして、「人を殴ってはいけないと知らなかった」ことを信じなかったり、言い訳だと聞かなかったり、知らなかったこと自体が悪いと指摘するようなことはしたくありません。悪いのは人を殴ったこと、ただそれだけです。

逆も然りです。例えば明日、知らなかったじゃ済まされないことを自分がしてしまったらどうしよう。知らなかったという事実を否定されたり、それを落ち度だと言われたらどうしよう。
誰もが加害者になる可能性を持っています。というより、強制的に持たされています。
「知らなかったでは済まされない」と憤る人は、そう考えないのだろうか?と思うこともあります。
しかしそれもまた自分内常識の押し付けでしかありません。
そう考えられない人もたくさんいます。私がどれだけその想像力のなさを疎もうが、怯えようが、必ずいます。私自身も、無自覚の内に想像力の欠如によって誰かを傷付けたり、不快な思いをさせている可能性が十分にあります。だから「暗黙の了解」の滞在を認めないのではなく、ただ嫌うだけに留めておきたいと思います。

私は「暗黙の了解」の存在を否定はしません。
でも、大嫌いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?