1S-LSDでバッドトリップした話
合法の幻覚剤1S-LSDを使ったときの記録。
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LSDは法で規制されていますが、類似の構造と作用を持つ「LSDアナログ」が出回っています。1S-LSDはその一種で、投稿時点(2024/10/26)では合法です。液体の染みた紙片を舌下に入れて使うため「合法紙」とも呼ばれる。
合法というのは「法的なリスクが軽くなる」程度の意味で、心身への影響・作用が緩いわけではありません。
この記事は幻覚剤(合法・違法問わず)を勧めるためではなく、自分の体験の整理や、準備が整わないまま高用量で使うことがないように、という注意喚起のために書き残します。
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前置きが長くなりましたが、当時のメモを元にして、初のバッドトリップについて記録します。書き残した単語や短い文をつないで、固有名詞を伏せて読める形にしたもの。
幸いにも暴れたり支離滅裂なことを言ったりはしなかったものの、主観的にはかなり危なかった。
1035 1/4枚舌下。効くのを待ちながらシャワーを浴びる。
トリップレポートを事細かに付けられる人はすごいと思う。いつも言語化が面倒になってしまうので。紙が効いてくると、スマホの液晶がすべすべして手触りが良く感じられたり、普段は気に留めない光源(パソコンのFnキーの右上のライトなど)が目についたりする。
1140 布団に入ってイヤホンで音楽を聴く。ドラム、キーボード、ボーカルが別々に聴こえて、どれかに注目して聴くこともできる(聴覚の変化)
1150 追加で1/4枚。
音楽を楽しみたいなら1/4枚にしたほうがいい。Youtubeで曲を聴く最中、あちこちに気が散り、広告の音声を聴き続けていることがあった。
確かにイメージ力は上がるが、ゲームや映画のBGMを聞いてもその風景が頭に浮かぶとは限らず、全く別のもの、例えばスーパーの商品棚などが脳裏に浮かんだりする。意識を一か所に留めておけず、催眠音声やボイスドラマを聴くのも難しい。
電気を消した部屋で布団に仰向けになっていると、丸い照明の笠がゆっくりと溶けるように動いていた。卵焼きの黄身がフライパンを滑るような動きだった。
1300 布団の中で考えていたこと。
小さい子どもが先生の話を聞くとき、一人で手遊びをして叱られることがある。娯楽が手遊びしかないからだと思っていたが、自分の手を通して外界を眺めることが面白いのかもしれない。指の間から見える風景が楽しい。
布団を出て鏡を見たら瞳孔が開いていた。パソコンを打つときに手が震えており、第三者が見たら怪しむんじゃないか、と考える。
紙の作用で実際に手が震えているのか、思考の速度が手の動きを超えているから、タイムラグを認識して「手が震えてる」と感じるだけなのかは分からない。観測してる自分の脳が紙の影響下にあるので、実際どうだとは言い切れない。
家族が出入りする実家の自室で使っており(真似しないように)、外出中の母が帰ってくる時間が気になっていた。
夕方に一旦帰ってくるが、余計なことをせずに布団に入ってれば問題ない、と甘いことを考えていた。1/4枚で使ってるときは普通に受け答えができていたし、夜勤明けの夕方に昼寝するのも不思議ではない。
「おとなしく布団に入ってれば良い」というのは平時の判断で、バッドに入ると難しくなるのだが、この時点ではまだ予想していない。
1310 白い凹凸のある壁紙が無数のボウフラに見え、視線を他に移す。注視しないようにしよう。
Youtubeのディスカバリーチャンネルで、天体のドキュメンタリーを観る。画面越しに映像を観るとき、没入したいなら画面についたごみや外側にあるものは無視して、観たいものにうまく焦点を合わせるのが大切。
映像の中では、専門家が生き生きした様子で理論を語っていた。これほど熱心に語ってるから相当楽しいんだろうと思うけど、自分はその内容に追いつけない。
紙を食べたからって本人の知識が増えるわけじゃなく、平時に聞いて分からない話は、紙を食べても分からないままだ、という当たり前の事実が少し寂しい。
1340 机の上に置いていた時計の針から、男性の黒い口ひげを連想する。猫の紳士のひげにも見えるが、意地悪くニヤニヤ笑うような形が好きではない。
小さい頃はこれを怖がっていたが、他者に言葉で説明できるものではないし、月日が経つとともに「ゴミ箱」フォルダに入れて忘れ去っていた。
時計自体が怖いわけではなく、最初に「怖いもの」のイメージがあって、それに結びつく概念を後付けしたのでは。かつて怖がっていた概念などは覚えてないほうがいいし、忘却という機能に感謝する。
1405 時間の概念がほどけていく。幼稚園に通ってた頃はこんな世界を生きていたのではないか。幼稚園から帰ってリュックを下ろして、家にいる時間帯。(※この辺りから幼児退行に入る)
自分が摂取した紙が半枚だったのを思い出し、何枚も食べた人はどこまで退行するのか、と不思議に思った。生命の起源まで戻るんじゃないか。
この時間帯は、幼稚園のリュックサックの柄や帽子の色を思い出してPCでメモしていた。私の思考スタイルはかなりの言語性優位で、脳内で過去を振り返るときもまずは言葉が出てくるのだが、言葉よりも先にイメージが現れるのが面白い。
文字で書くよりも、色鉛筆やクレヨンで書き殴りたい気分だった。
この他、幼少期を一人称視点で思い返していたからか、無数のアンパンマンとあかちゃんまんの万華鏡のビジョンが見えた。視界がアンパンマンのほっぺでいっぱいになった。
今後の保険として、現在の自分の年齢や職業、合法紙を食べた時間と量もメモしていた。
1426 廊下で膝立ちになって、幼い頃の自分の視点と重ねながら家の中を眺めていた。現在のように明確な「言葉」を覚える前の記憶も、この身体には保管されていたのか。
回想ターン:幼い頃、お弁当にはよく一口ゼリーが入っていた。母は私が自分で封を開けられないと思っており、ゼリーの蓋の端をめくって弁当箱に入れたので、他のおかずにも汁が染みてしまった。
そのうえ、同級生から「ゼリーはお菓子だからお弁当に入れちゃダメだ」「お菓子を持ってくるのはズルい」と言われて、一口ゼリーは苦手になったのだが、親に罪はない。ゼリーを憎んで親を憎まず。さらにいうならゼリーにも罪はなく、小さいときによくある不便な話だ……ということを思い出した。
1438 市販のチョコクッキーを1枚食べる。幼児の視点になっていたので、1枚が大きく思えてお得感があった。座卓の下に潜って遊んだことも思い出す。
15時~16時 現実で母が帰ってきて、ドア越しにちょっとした会話を交わす。来月の予定や、インフルの予防接種の話だった。後から振り返ればそれなりに会話できていたようだが、主観では「話の内容が理解できない」「自分は支離滅裂なことを返している」と思い込み、この辺りからバッドに入っていた。
ループに嵌ってしまい、布団に入る→机の上の時計を確かめる→布団から出て手帳を開く→スマホの時計を見る、を延々と繰り返していた。幼いころの癖が一時的に復活していて、左手で顔を触るのがやめられなかった。
「実行したこと」と「これからやること」の境が曖昧になっていて、今・この場で知覚していることが信じられなかった。16時過ぎに母が出かけると聞いており、とにかくその時間までは理性を保とうと気を張っていた。時間が全く進まない。
Web上の記事によると、飛びかけてるときに現実にしがみつくのは得策ではなく、流れに身を任せるのが良いという。自分はその逆をやってしまった。
流れに身を任せれば奇行に走ってしまうし、客観的に見れば既に狂っているのでは、と思っていた。自己という杭を地面にぶっ刺してこれ以上飛ばないようにするのだが、その「自己」が幻覚剤の影響下にあるのでどうしようもない。落とし薬もない。
この頃が作用のピークで、椅子に座って固まりながら、幼い頃に恐れていた概念を思い出していた。
説明が難しいのだが、黄色い鋭角の三角形に鳥の脚がついたもので、おしおきや罰、嫌がらせといった概念を寄せ集めた存在だった。対人関係のルールや善悪の分別がつかなかった頃に「いやなことをする/される」を落とし込んだシンボル。
それ自体が襲ってきたりはしないものの、抽象的なところがかえってタチが悪い。自分から世界、世界から自分への加害を抽象化したもので、そこに在ること自体が恐怖の引き金になった。
要するに「一人の子どもの手に負えないヤバいものがある」「それが黄色の鋭角の三角形だった」って話。後から文章に起こせば絵本みたいでかわいらしい話ですけどね。
1607 母が出かけていく。
自己に継続性がなく、落ち着いて布団に入ったはずが、次の瞬間にはベランダのガラス戸の前に立って外を眺めていたりした。ベランダの網戸が外れてるのを見て、記憶にないだけでさっき自分が暴れて壊したんだと思い込み、慌てて付け直す。
途中でトイレに行って用を足したが、一連の手順に現実感がなく、シラフに戻ったときに床や布団に撒き散らしていたら、と躊躇った。もうどうにでもなれ後は知らん、ぐらいの気持ちで用を足した。
1628 手近にあった酸素缶を何度か吸った。コロナが流行った頃に人からもらったもので、吸った瞬間だけは思考がクリアになって思考力が戻る感じがした。呼吸が浅くなって酸欠気味だったのかもしれない。
ChatGPTに今の様子を相談すると「数時間後には通常の状態に戻ります」「無理になにかをしようとせずゆっくり休んでください」と言ってもらえた。優秀なトリップシッター。
布団に粗相をしたと思っていたが、部屋の布団は乾いた状態で畳んであり、これが現実だとしだいに信じられるようになってきた。アスノヨゾラ哨戒班を聴いて、ラジオ体操をする。
1652 だいぶバッドに入っていたな、と思う。紙が悪いわけではなく、作用の予測不能さを受け入れる余地がこちらにないんだろう。
ここから時系列の記録を一旦止める。
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家族からコンビニに行って振込をするよう頼まれたが、外を歩いてお金を扱うのに不安があり、頭痛を理由にして断った。
自分は変なことをしてないらしい、と落ち着いてくる。もし暴れたり奇行に走ったりしていれば、家族はもっと騒いでいるし、用事を頼んだりもしないだろう。外れていた網戸を直してくれてありがとうと言われて、網戸は元から外れていたことが分かった。
数時間寝かせてほしいと話して、電気を消して横になり、イヤホンで「自律神経に優しい音楽」を見つけて再生した。動画のコメント欄には、入院中の人や、精神疾患で療養している人、いろいろな状況の人が、この曲に助けられたと書き込んでいた。
自分の意思で幻覚剤を摂っておいて、選んだわけではない苦しみを分かった気になるのは良くないが、不安やパニックの症状がどれだけ大変か、その一端を垣間見たように思う。コメントを眺めながら、皆が穏やかに過ごせる日が来るといいと願った。
作用が抜けるにつれて、夢と空想が混ざったようなイメージが脳裏をよぎった。
「何」や「伺う」の文字は人の耳たぶに似ていて、山や森やいろいろな場所に文字が浮いている。監視や盗聴ではなく「なにか気になりますか」「ご用事はなんですか」という気楽な耳だった。
場面がいくつか変わって、半屋外の炊事場で中年の女性が煮炊きをしている。体を動かして働く人々にも、子どもや高齢者、働けない人にも分け隔てなく料理を出していた。
自分には一昔前の和風の炊事場に見えているが、受け取り手の国や文化によっていろいろな形をとるらしい。現実世界のレストランや給食、家の台所など、料理を作って人に出す全ての場所は、この「食堂」が原型になっている。
食堂のおばちゃんから丼を受け取ろうとしたら、ここでの食事には実体がないから、向こう(現実)に戻ったらもう一回食事をするように忠告された。ここでお腹が膨れたから要らない、なんて言うんじゃないよ、と。
20時過ぎになって、現実で夕飯を食べると、帰ってきたという感じがした。作用は8-10時間ほど。
次の日に自転車で外に出たとき、周りが何も変わっておらず、自分が無事に帰ってこられたことを改めて不思議に思った。たいへん幸運なことだった。
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冒頭にも書いたように、この記事は幻覚剤を勧めるものではない。ダメ、ゼッタイとまでは言わないが、合法であっても作用が強くて予測不能な面が大きいし、使うときは慎重でありたいと思う。この記事がハームリダクションの一助になれば嬉しい。