見出し画像

「昔はよかった」わけではなく、今を無理なく生きたいよね

こんにちは。『tobira.』店主のれいです。

私は今、東京に住んでいるのですが、東京というところは何というか、全てが自分の選択で生きられるというか……しがらみがない分、ドライで寂しさもあるけれど、この距離感が心地いいってことありませんか?

私は岐阜の超ド田舎で生まれ育ったので、無機質な感じがする都会の雰囲気に小さい頃から憧れていました。

地方の魅力はもちろんわかっているけれど、しがらみだらけの田舎の人間関係や不便な生活にずーーーーっと嫌気がさしていた……。多分、小学生の頃からね(笑)

もちろんしがらみだらけの人間関係はもう勘弁だけど、あの不便な暮らしにはそれなりに意義があるものだったな……なんて今なら思うこともあります。

田舎暮らしってそんないいもんかな…

そもそもうちは田舎の中でも奥地(!?)にあったので、家もめちゃくちゃ古くて(私が小学生の時で築70年とか)玄関から家に入ると土間が広がっていて家の中に普通にツバメが巣を作って住んでるし、もちろんお風呂とトイレは外、軒下には猫が集団で住んでるし…。(共存ですよ 笑)

もうね、同世代でもこんな古い家に住んでいる友達もいなくて、嫌で嫌で仕方なかったな。

まむしが庭に出ると、近所の年寄り軍団が集まってきてまむしをとらえて一升瓶に入れて焼酎につけるわけですよ。そして後日「おばあちゃん、すりむいた」と言うと、そのまむしのエキスをガーゼにつけて傷口に塗られるという……。

兼業農家だったから、家族みんなで田植えとか稲刈りしたりね。私は末っ子だったからあくまでお手伝いというポジションで軽トラの後ろに乗せられて、田んぼにいる家族にお弁当やおやつを届けたりとか。

野菜も畑で作っているものを食べてたし、卵も近所のおばあちゃんが飼ってる鶏のものを届けてくれていた。

あるとき知らない鶏(?)が箱に入れられて置いてあったんだけど、翌日学校から帰ってきたら解体された鶏肉が冷蔵庫に入っていて、軽い衝撃でしばらく鶏肉が食べられなくなったりとかあったな……(笑)

ゴミなんて、裏の竹やぶに捨ててたし、飼ってたペットのお墓も畑。コンポストとかいう横文字を知る以前に、田舎なんてそんな光景が当たり前にあるわけですよ。

お風呂なんて『朝日ソーラー』の太陽熱温水器を使っていたから、雨の日とかは祖母が薪で火をおこしてお風呂を沸かしてくれていた……。

だから子ども時代はほぼシャワーなんて使ったことなくて、大学生になって下宿先でシャワーが使えることになって心がホクホクしましたよ(笑)

……とここまで書いて、今日書きたいことが何だったのかわからなくなってきたぞ(笑)

体で感じることの大切さ

要するに馬鹿みたいに不便な生活も大人になって振り返れば、マイナスばっかりじゃなかったよねということ。(たぶん……)

これはあくまで結果論、個人的な。

まぁ、あんな封建的な家長制度を重んじる田舎暮らしはもちろん無理だけど、裏を返せばその反発が今の自分を形成してるとも言えるし、自我の確立には大きな影響を与えてくれたとも言える。

いろんな季節の行事とかもめんどくさくてやだなってずっと思ってたけど、日本の四季を感じる生活が当たり前にあったんだなと思う。

よしもとばななさんの『体は全部知っている』という作品が好きなのだけど、あんな風に心と体、風景までもが一つになる……みたいなね。

夜お風呂に行く時に姉と見上げた星空の風景とか、夜中に目を冷ますと聞こえる井戸から流れ続ける水の音とかね、頭じゃなくて五感を通して、体に刻まれている気がする。

雨の匂い、風の匂い。自然と対話すること、人として自然とか神に対して恐れを知ることとかね。

個人的に“サスティナブルな暮らし”って何だろうってずっと考えていたりする。

それは昔の知恵を受け継ぐことでもあり、あらたな技術で解決していくことでもあるよねと思う。このあたりは研究開発が進み、今はまだないものがどんどん生み出されて生活に取り入れられていくのかもしれない。

何にせよ、無理して“いいこと”をする必要もないけど、“正しさ”も忘れたくない。そんなこんなできっと迷いながら生きていくのだろうけど、それも悪くないよねと思う今日この頃なのです。

おしまい











いいなと思ったら応援しよう!