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幸せ探しを繰り返してきた私がようやく見つけた暮らしの答え
最近、ストンと憑き物がとれたみたいに気持ちが軽くなり、イライラすることも随分と減った。きっかけはなんだかわからない。だけどある朝、いつも通り布団を畳んでいたとき、ふと気づいたのだ。私はなぜにこうも、自分が持っていないモノばかりに目を向けてしまうのかと。
もっと活躍するために、頑張らねばならないと思っていた。だから、愚直なまでにまっすぐに頑張れる人を見かけるたび、心がざわついた。まるで自分もそうあるべきみたいにどこか引っ張られそうになる。だけど私はその人になりたいわけでもない、なれるわけでもない。とはいえ、自分なりの正解がどこにあるのかわからず、ずっと悩み続けていた。
こんなに毎日イライラするほど、私は何を守ろうとしているのかと、布団をたたみながらあのとき考えた。まるで自分のことを嫌いになるために続けているようなことが、あまりに多かったのだ。続けることで、今の生活をなんとなくやり過ごして生きていけるかもしれない。だけどもう終わりにしたいとつくづく思った。
誰かに認められるために人は生きているわけじゃない。それを自分のエンジンにしてしまったら、苦しみながら生きていかねばならない。楽しみは自分自身の中にちゃんと持っておくべきだ。私は人からわかりやすく評価されるものを持たない自分のことがずっと嫌いだった。だけど一方でそんな私のことを面白がったり、声をかけてくれたりする人ともずいぶん巡り会ってきたはずなのだ。なのに、私は大切にすべきモノや人をずいぶん見誤って生きてきた。
自分の愚かさにあらためて気づかされたとき、今の暮らしがなんだか奇跡のように感じられた。一度死んだも同然のような私の人生。こんな平穏な暮らしを夢見ていたはずじゃないか。なのに、手に入れば入ったで、自らの手で引っ掻き回そうとしていたのも事実。もう同じことを繰り返すのは今すぐやめよう。私の中にあるものが、私のすべて。ない袖はふれない。だけど、それでいいじゃないかと。
むしろ欠けているからこそ、描けるカーブもある。さまざま凹凸やゆがみはその人たらしめるものでもあるのだから、もうそれでいいのだよと。
春はそこまでやって来ている。今年、小学生になる娘とともに、母である私も新しい一歩を歩むことにした。お金も稼げないし、ただの暇な人になるだろう。それでも私は日々の暮らしをむしゃぼり尽くすように楽しみたい。
その人が、その人だからこそ持ち合わせている、ある種の豊かさというものがある。それを生かすも殺すもきっと自分自身。無理に誰かになろうとしなくてもいい。評価におびえなくていい。自分の中にある豊かさを大切に育てていくことが、きっと他者や社会とつながる大きな架け橋になるような気が私はする。