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日常を紡ぐ日記
仕事中、ベランダではためく洗濯物がふと視界に入る。
清潔に洗われ、整然と干された洗濯物を目にするたび、心がすっとするのはなぜだろう。
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思えばただ繰り返される日常に、退屈してばかりの日々があった。
しかし“退屈”から一歩を踏み出したとき、思いがけない落とし穴にだいたいハマる。
魔がさすとは、出鱈目な日常が引き起こす、ぶつかり事故のようなものなのだろうか。
そう思うと、「暮らしを営む」とは当たり前のように見えて、案外難しいものだ。
心持ち次第で暮らしは変わり、人生にまで色をつける。
とはいえ、このごろは将来の先行きばかりを気にして、足元の暮らしがおぼつかない。
しかし人生の見通しが立ったからといって安心するわけでもなし。どうなるかわからないという“余白”にこそ、希望があり、同時に不安が混在しているのかもしれない。
※
そもそも自分自身の心や身体を置き去りにしてまで、やるべきことってなんだろう。
人生の使命とは、人それぞれ。「ちりとりでゴミを残さず掃き取れる」とか「瓶の蓋を開けるのがうまい(開かなくて泣きそうになることがあるから)」とか、そういうことが人生の使命である人がいたっていい気がする。
だけど、そんなふざけたことで生活はまわらない。それが暮らしの現実とかいうヤツだろうか。
神妙に考えていると、ベランダで風になびく洗濯物がキラキラ輝いてみえる。
ハタハタと手を振るように、こっちにおいでと呼び寄せる。
“こっちよ、こっち。そっちに行ってはダメなのよ。”
声をかけられハッとする。
“もう気付かないふりはしないよ。”とわたし。
つまらない現実をぶち破るため、退屈をしのぐため、ストーンと落ちた真っ暗な穴の中でずいぶん泣き尽くしたような気もする。
だから願っていたい。
暮らしがもたらす安心感に身を浸せる毎日を。
“日常は上等さ。”
さやさやと鳴る風の声に、そっと耳を傾ける。
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こんにちは。『tobira.』店主のれいです。
ずいぶん前にアマゾンプライムで水川あさみさん主演『東京女子図鑑』にハマったことがありました。
『東京女子図鑑』とは、地方都市から東京に出てきた主人公 綾が、東京という街に翻弄されながら生きていく女性の人生ストーリーを描いたドラマ。住み場所も三軒茶屋から始まり恵比寿、銀座、豊洲、代々木上原と引っ越しながら仕事と男と生活レベルのすべてを引き上げていく姿がまさに圧巻なのです。
そんなドラマの最終話で綾が心のなかでつぶやく言葉たち。いやー、心がヒリヒリしました。
あの頃は小さな幸せの、その小ささが切なくって手放してしまったけど、いまならその大切さが分かる。
上を見れば見るほど、青天井の東京。東京の女は、ロールプレイングの主人公さながら、そのアイテムをひとつずつかき集めていく。同世代の女たちがクリアした、ゲームの美しさと完成度にくらくらする。
隣の芝はどこまでも青く、残酷なまでに美しい。女には、生きている限り次から次へと欲しいものが増えていく。
足るを知らない強欲な女たち、その嫉妬すら人生のスパイスだと味わえるようになったら、一人前の都会の女。
2016年に始まった作品なので、少し今の価値観と違う部分はあるにしろ、個人的には共感なしには見られない内容でした。
今回、思いつきみたいに書いた『日常を紡ぐ日記』のなかには、そんな私の思いをちりばめています。
日常を軽んじず、私自身にとっての幸福を、そして大切なヒトやモノを見誤らず生きていきたいなと、あらためて願う今日この頃です。