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カフェラテと恋と男女平等
毎朝の朝食はトーストにカフェラテと決めている。
つい数ヶ月前まではブラックコーヒーを習慣的に飲んでいたけれど、ズボラな私でも自宅で簡単に美味しいカフェラテを作れる方法を発見して以来、毎朝カフェラテを飲み続けている。
安心感で私を包んだカフェラテの恋
そういえば20代前半の頃付き合っていた彼氏は、夕飯の後にいつもカフェラテをいれてくれていたんだった。
コーヒー豆から挽いて、牛乳をミルクフォーマーで泡だてて、出来上がったカフェラテを毎回なぜかキッチンで立ったまま飲んでいた。
そのカフェラテタイムはいつも22時くらいだったから、カフェラテを飲み終えた彼が眠そうに疲れた顔を手でこするのを見ると、1日の終わりを感じられた。
彼は料理が好きで、家の中で姿が見えなくなると必ずキッチンにいて、熱心にジェノベーゼソースなんかを作っていたんだっけ。
アメリカ人のその彼は、よく私に「自分に自信を持って」とか「好きなことをやれ」って背中を押してくれる存在だった。
優しかったけど、いわゆる昭和な日本人的な価値観は通用しないので、女だからとか関係なく、きちんと物事に対する意見を持つことや毅然とした振る舞いを求めた。
そんな彼のことを当時若かった私はすごく面倒くさく感じてしまっていたんだ。
それに大切にされればされるほど気持ちが重くなってしまい、結局私から離れてしまった。
別れを告げた時、彼は「痛い」とひとこと言った。
「心が痛い」、そう言いたかったんだろう。
別れを切り出した数日後、当時私が住んでいたアパートに私の荷物と手紙が置かれていた。
手紙の中身は正直あまり覚えていないけど、確か一緒にニューヨークに行こうと書かれていた気がする。
勇気を出して僕と一緒にこれからを歩もうみたいなテンションの手紙だったような。
そして最後にアイラブユーと書かれていた。
その手紙を読んで胸が痛くなったし、彼との時間が懐かしく思い出されたけど、それ以降連絡をとることはもうなかった。
人と結ばれるとは意志以上の力が働く
今思えば、彼は私の理想の人だけれど、当時の私にとってはそうじゃなかった。
ある意味、若くして人生を共にする人を決めるなんて酷な話だよなってつくづく思う。
でも若くなければ、強く思い込むことなんてできないのかも。おろかにも。
そして運命の人とは必ず結婚という形で結ばれるとは限らないしね。
恋とは嗜好品。愛とは暮らしの中の責任。
結婚というある意味愚かな制度に身を投じるとは、何か自分の意志以上の力が働くことなんだと思う。
毎朝ひとり起きて、カフェラテを飲みながら妻でも母でもない自分に戻る時、こんなふうに過去を思い出したりする。
夫は自己主張強めの私にしょっちゅううんざりした顔をするけれど、そんな彼を見てフフッと笑ってしまう。
「もっと自己主張しなよ」、そう言ってくれた彼が作ったカフェラテを飲んでいた当時の私にこんな未来が待ち受けていたとはね。
これが私の潜在意識として望んでいたことなのかもしれないし、とにかく恋の果てにある幸福のバランスを保つことは決して易しいことではないのだ。