奄美大島6-地獄のデス・フェリー編
これは、奄美大島弾丸旅行の記録である。
12月中旬というド繁忙期に有給をもぎ取った私は、1人南の島に向かった。
前回までのあらすじ
そろそろ帰ります
お伝えし忘れていたかもしれないが、私は今晩島を出る。
理由の説明は特にしない。長い・面白くない・話に影響しないの3拍子なので。
ともかく朝イチでわっと来て夕方にわっと帰るという、何とも忙しいわっと型スケジュールでお送りしているということだ。
奄美大島は成田、関空、鹿児島など各地と航空路線が繋がっているが、今回は行きも帰りも夜行フェリーを選んだ。
空便は1時間少々で鹿児島へ到着するのに対し、船便は日付を跨いで12時間の航行となる。
10倍以上の時間差があるにも関わらず、運賃はほとんど変わらない。
それでもフェリーに乗る理由はただひとつ、宿代が浮くのである。
こんな体力任せのケチ臭い真似をしているあたり、私がリッチな人間ではないことがお分かりいただけるかと思う。
そろそろ港に戻らねばならない。
カヌーが戻ると聞きつけたようにミニバンが現れ、ヨーロピアン具志堅さん(仮称 : 詳しくは前話)が顔を出した。
預けている荷物を回収したらバス停まで送ってやるという。
楽しかった?と聞かれたのではいと返すと、よかったねぇと笑う。
奄美の人は家族に向けるような笑顔を惜しげもなく見せてくれる。
運行本数は多くないはずだが、どうも今回はタイミングが良い。バンを降りて10分も待たないうちに港行きのバスが来た。
帰りの船便は午後6時発、あくる午前6時に鹿児島新港到着予定である。
こんな中途半端な時期の平日なんだから当然だろと言われればそうかもしれないが、行きにも増してフェリー乗り場は閑散としている。
乗船用のタラップが降りてきても、外套を着込んだ乗組員にチケットを切られてもいまいち旅立ちの高揚感はなく、全体的にあーやれやれどっこいしょという感じである。
客室に荷物をおろしたところで、やけに上品な船内放送がこう言った。
「本日の鹿児島県沖洋上は、大変な揺れが予想されます…。」
子供のころに比べればマシになったものの、乗り物全般、とりわけ船や飛行機のように浮遊感のある上下動には相変わらず弱い。
ただ往路は実に穏やかなもので、二等客室の畳に寝転がるや爆睡、目覚めたら港という理想的な船旅だったので私は大いに自信をつけていた。
揺れる揺れると言ってもあくまで予想である。悪い知らせは多少オーバーに伝えておく。何事もなければ良かったね。天気予報のよくあるやり方だ。
弱気になるから三半規管もオドオドするのだ。
窓から穏やかな水面が見える。なぜだか落ち着かなくて起き上がり、水を飲んだ。
地獄のDEATH・フェリー
午後9時。
頭からひっくり返りそうなくらい地面が上下している。
ビル2フロア分ほどの高さをもったり上がって急降下、のエンドレスジェットコースターが始まってかれこれ1時間。
誰かが落としたらしいペットボトルが廊下の端から端まで転がっては戻り、転がっては戻りを繰り返している。船体が沈む度、外で何かが何かにガランガランとぶつかっている。
トイレの個室にいると視界の傾きが強調される気がして、たまらず甲板に出た。
エンジン音と混ざった潮風が、轟音の突風と化している。思わずよろめくも今はその冷たさが気持ち良い。
身を乗り出すと、塊を割くように船が前進しているのが分かった。常夜灯が光って波を照らしている。
デッキと客室の間は重い鉄扉になっていて、中の音は全く聞こえない。窓越しのロビーで数人が缶ビールを飲み交わしているのがぼんやり見えて幻みたいだ。
耳はゴーゴーという風音で塞がれ、顔のベタベタが海水のせいなのか涙のせいなのかさっきから上がったり下がったりしている胃液のせいなのかもうよくわからない。
腕時計を見やって絶望した。到着まであと9時間ー
結局午前2時を回るまで甲板にいたことは覚えている。
目覚めると共同客室で、自分のリュックから布団数枚ずれたところで仰向けに寝ていた。
枕元にほとんど減っていないアクエリアスが置いてある。自分で買った記憶も、誰かにもらった記憶もない。
ゆっくり体を起こすと、腹の中が空っぽなのがよく分かった。
窓の外は明るくて、薄く雲を纏った桜島がゆるゆると噴煙をあげていた。
終わりに
東京には無事帰り着くことができたものの、むこう数日足元が揺れており何をするにもふらついた。いやぁ、あれは本当に参った。
おしまいがこんな話になって申し訳ない。
みなさんは飛行機をお使いください。
奇妙なほど静かな冬の常夏を、あなたにも味わっていただきたい。12月の休暇前は狙い目ですよ。
なお交通機関やサービスは記載の限りではありません。
訪島の際は実際の情報をご確認のうえお出かけを。