自死遺族としての三年間:故人は意志ある者として
自殺企図、投身、精神疾患などを取り上げています。しんどい時は無理にお読みになることはありません。身を守ることも大事です。あなたの大切な方は、あなたの苦しみを望んではいないはずですから。
「今しかないんです。本人の意思確認ができない今、僕らで決めるしかないんです。何人かのレシピエントが彼女の身体で死なないで済むんです」
と、現場に駆け付けた義父母にいおうとしたけどまぁ、泣きじゃくってるひとが泣きじゃくってるひとに対していえるセリフではないので意思疎通はとてもむずかしかった。
最終的には「これ以上娘にメスを入れたくない」という義母の言葉で、妻はドナーとしての役目からは下りた。
もとより、地面に衝突した際の全身への衝撃で使える臓器はほぼなかったのだろうとは思う。
本人確認はインスタントカメラだったが、どうしてもと押し切り、妻のなきがらを見せてもらった。ガーゼで隠されていたが、額に大きな亀裂があって、前頭極がみえていたということは話の流れで分かった。
脳の露出があったのだ。
唯一の救いは高所からの投身で、腹ばいに着地して即死、苦痛は感じなかっただろうという刑事さんの言葉だった。
妻の死から丸三年が経とうとしている。
結婚指輪はまだ着けている。妻の結婚指輪は遺体と一緒に焼かれた。
と、三年間置いてけぼりを食らっているのだけど生涯独身を貫く意思は変わりないので、何をどうしようかと悩むというより、ただ単に寂しい、そういうことだ、この三年間は。
我ながら手っ取り早くまとめたがっているのが見え見えで困る。
三年間の砂喰って砂吐いてる日々、そろそろ終わりにしたいなどとは考えてはいない。
当然にして後追いも考えた。が、遺書でそれを厳に禁じており考えから外さざるを得なかった。
義父母は相続を放棄した。幾ばくかの保険金とかの現金、現物が遺った。思い出の品はどれひとつ捨てられていない。妻の旧姓の印鑑や裁断したクレジットカード、消しゴムひとつ捨てられなかった。
ローンを組んでカメラを買ったり、ちょっといい時計を買うなど濫費もしたが、ただただ虚しかった。カメラも被写体がいなくなったので無用の長物と化し、時計は時間が止まったままなのでいくら秒針が動いても意味はなかった。
でもね、こうやってマイナス面ばかり書き連ねるとかわいそうだと思うんですよ、妻にも、妻との思い出にも。
それにしても喪失感はどうしようもなく、うじうじしてるんだけどさ。
これは妻が遺した歌。ひとつめはアメリカ南北戦争の古くから伝わる歌。もうひとつはメロディだけ作って、作詞をわたし(煙亜月)が手掛けた歌。動画作るの下手くそで聞き取りにくい音もあるのでできればヘッドホンで。
またお越しください。ご縁がありましたら。