勉強について考えた、この数か月の断片的なこと
高校入試は入試まで気持ちよく勉強できている子のほうがうまくいくことが多く、勉強をやれやれと言われ続けた子は気持ちよく勉強できてないので伸びない子が多い。語弊を恐れずに言えば、高校入試程度で子供を追い詰める大人たちはその先の大学入試が見えてなさすぎる。高校入試でさえこれなので、小受、中受で子供を追い詰める大人たちはほんとにどうかしている。そこで勉強嫌いにしてどうする。(2023/12/17)
2月上旬にある中学校の中3の担任の先生がクラスの生徒たちに呼び掛けたそうだ。「受験は団体戦で、クラスの雰囲気が大事だから、受験が終わった人も、授業の雰囲気を乱さないで」と。そのクラスでは全体の約3分の2の生徒がすでに受験を終えており、公立入試まであと1カ月勉強を続けなければならない数少ない生徒への配慮として、言葉を掛けた先生の苦労は察するに余りある。クラスの雰囲気が受験生に多大な影響を与えることがあることも、進学塾と単位制高校という別のフィールドではあるけれども、教室を運営する私の実感とも一致する。
だが、受験が「団体戦」なのかと言えば私は迷わずにNOと答える。受験は例えば部活動のチーム戦とは違う。チームが勝利することが評価される「団体戦」と違って、受験の合否はあくまで個人的なものである。チーム内では共時性の中で仲間とつながる感覚が生まれやすいが、受験というのは徹頭徹尾、個別の経験なのだ。そういう孤独に耐えることが、受験勉強にははじめから織り込まれていて、その苦しみがある若者の精神を逞しくする一方で、別の若者の心を壊すのだ。
受験は一方的に「やらされる」勉強であり、そこに主体性は育たないから意味がない。そういう主張が綴られた本を先日読んだ。主張には一理あるが、それが受験という動機であれ、勉強にはそれぞれのやり方があり、最終的には一人でしかできず、そこには確かに独特な花が咲くことがある。そして、結果を受け止める心も一人ひとり全く違っている。今年もいろんな受験生に出会って、彼らの道行が温度と手触りのあるものであるようにと心でそっと手を合わせる。今年も春がやってきた。(西日本新聞 2024/3/4)
大人は自身の過去の勉強が現在どう役に立っているかを認識できるほどの解像度で生きていない。学校で徒然草や平家物語の冒頭文を音読・暗唱したことは今の自分に何の影響も与えていないと思うかもしれないが、そのときには確かに自身の意識と身体が変化して、その変化の後に人生を積み上げてきたわけだ。(2024/2/29)
子供たちが定期テスト等で身につける隅々までやるというスキルは残酷なほどその後の人生で生かされる可能性があって、なぜなら多くの人たちは案外隅々までやらないから。細かいレジュメやテキストを作ってるときに、ふと定期テストの勉強みたいだなと思うことがある。(2024/3/12)
受験直前になると、今まで地道な勉強をしていなかった生徒ほど強迫的に短期的な効果や効率を求め始めるけど、今の時代の効率やコスパの考え方って全体にそれと似た感じだ。(2024/2/22)
勉強が「わからない」とたやすく言うけど、「わからない」の中身を精査する気がないからいつまでもわからないのだ。「わからない」と言うことでわからなさが心に居場所を得て安心する。最近だと「モヤモヤ」とかもそう。(2024/3/20)
「○○の問題がわからない」と言う子と「勉強のしかたがわからない」という子は似ているようで全く違う。前者は問題さえ解ければ解決だが、後者は勉強の周辺(成績など)に対する不安(背後にいる親の不安であることも多い)であり文字通り「勉強のしかた」を教えても不安は解消しないことが多い。(2024/2/13)
成績中位の学生はまだまだ勉強に本気じゃない子が多いので、できない箇所をできるようにするというより「ここできるのになんとなくめんどいからやってないよね」という指摘の方が有効なことがある。できるとできないの間。(2023/12/12)
テストの見直しをしなさいと子供に言い続ける気持ちはわかるし、実際に見直しはその子の躓きを埋める方法として有効だが、子供がそれによって勉強が嫌いになるほどの価値はない。子供のテストの見直しを親が管理し始めると碌なことはない。かえっていろんなやり方があることがわからなくなる。(2023/11/21)
塾という場所は、子供たちに「私は勉強が苦手…」とネガティブな感情を抱かせがちなので、勉強が苦手でも生きる力が強いと感じる子には躊躇なく「生きる力が強いから大丈夫」と伝えている。(2024/2/14)
学校に行ってしっかり勉強をすることで選択肢が広がるというのはひとつの見立てに過ぎなくて、実際には勉強をして進路決定をしていくことがむしろ人生の選択肢を狭めているという見方もできる(進路選択は自己を同定していくことと切り離せないから)。(2024/2/20)
思春期は身を裂くような内的葛藤が起こりやすいが、(特に進学校では)受験勉強に極度に傾注することで葛藤せずにすんでる子も多い。(2023/12/28)
私は●●の勉強が苦手だったから、かえって○○さんの苦手なところがわかって指導できると言う指導者がいるが、わかるとすれば苦手な気持ちであって、苦手の成り方は人それぞれなので、苦手だった人の方がわかるということはない。(2024/1/21)
世間では「頭がいい」という言葉を人間中心主義的かつ受験的な意味での勉強ができるという狭義で用いることがほとんどで、特に教育の世界にいるとそれ以外の見方を持ち出したら何言ってんだとなるが、そこに問題意識を持たない人が学校や教育、発達障害などについて考えを深められるわけがない。(2023/10/30)
予備校や塾の先生の中には勉強ができる奴がエラい、人間として価値があると本気で信じてる人がいるからね。アホか。(2023/10/26)
宿題なんていらない、と言ってる大人の中には、子供は勉強したくないのに、という偏見がセッティングされてることがあるが、とんでもない、子供は勉強したいし、自分を伸ばしたいはずで、その心を大人が阻害してしまった挙句に「勉強したくない子供」をデフォルトにしてしまった貧弱な見立てこそ問題。(2023/9/21)
大人の方がいろんな楽しみ方を知ってるんだから勉強しないのはもったいない。でも「勉強」って言うと大人でさえ、受験のための勉強、資格のための勉強、語学の勉強という狭義で捉える人がとても多くて、その意味で、多くの大人はいまだに学校教育と受験勉強の後遺症の中にいる。この意味で言えば『勉強の哲学』(千葉雅也)ってタイトルの時点でカウンターになってて、大人の世界でよく使われる「学び」ではなく、あえて「勉強」という言葉にこだわったのが良い。(2023/11/1)
少し前に本のレビューで、「しかし大人が勉強するというのは贅沢なことだ」という内容を読んだことがあってなるほどと思った一方で、自分に勉強をさせないように強いる何かがあれば気づいたほうがいいし、勉強しない(自分が変化しない)ことで安穏としていられる自分にも気づいた方がいいだろうと思った。(2023/11/1)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?