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子どもへの適切な声掛けについて

普段の仕事やイベントの中で、子育て中の親からよく寄せられる質問のひとつに、「子どもへの声掛けのしかた」があります。

ゲームばかりしている子どもを見ると、つい「そろそろ勉強したら」と言いたくなる。いや、ほんとうは言いたくない・・・。でも、言わなければこの子はいつまでも勉強しないだろう――そう思って仕方なく声を掛けてみると、案の定反発されてしまう。「今やろうと思ってたのに、そう言われると余計やる気がなくなる」なんて生意気な口調で返されてしまう。そのたびに、どう声を掛ければいいのか…、いや、というより、そもそも声を掛けるべきなのか…?と思い悩む。そんな切実な相談が後を絶ちません。

適切な声掛けというのは、確かに簡単なことではありません。スポーツの監督やコーチを例に考えれば分かりやすいですが、そもそも、相手の動きを精細に観察せずに声を掛けることは不可能です。それを省略して済ませられる「子どもへの声掛けの正解」などというものは存在しません。子育て本には「正解」が書かれていることもありますが、それを読むだけで成果を出すのは困難でしょう。

親が声掛けの際に子どもを十分観察できていないのは、「自分の子どものことは分かっている」「うちの子はどうせこんな感じだろう」という思い込みが背景にあります。しかし、この思い込みこそが、家族という距離の近さゆえの甘えであり、それが断絶を生むもとになります。実際には目の前の子どものことが十分に分かっているということは稀で、むしろ分からないことばかりであり、だから、善意の声掛けのつもりが、子どもからすれば的を外した一方的な押し付けでしかないという帰結に至らざるをえません。「そもそもなぜ勉強にやる気が出ないのか」「なぜこの子はベストを尽くせないのか」といった原因を、観察を通じて分析的に深く探ろうとすることは、あんがい大事業なので、そこまでやろうとする親はあんがい少ないものです。

毎日の生活を維持することに精いっぱいの親が、子どもをじっくり観察することに尽力するのは確かに難しいでしょう。そんな時間はなかなか取れないですよね。でも、観察を怠れば、適切な声掛けは難しい、そんなの当たり前じゃん、という自覚を持つことが大切です。本気で適切な声掛けを目指すなら、自分自身もプレーヤーの一人として常に動きながら、子どもを適宜観察するようなプレイメーカーとしての気概が必要なのです。いくら寄り添ったつもりでも、それを省こうとすればうまくいきません。

ただ、ここで伝えたいのは、「親は適切な声掛けをしなければならない」という話ではありません。むしろ、適切な声掛けは必ずしも親が担うべきものではなく、手放していいのです。「声掛けをしないと、自分は子どもに何もしてあげられていないのでは」と不安になる親もいますが、実際には、すでに親は子どもに全てを与えているのです。そのことに気づくことが重要です。

(西日本新聞「それがやさしさじゃ困る」2023/6/5)

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