El Camino de Santiago【639.73km~GOAL】
11/29にGoalした。
・歩行距離:820-830kmくらい
・歩数:1,245,649
・日数:26日+1日(サッカー観戦)
・休息日:0日 (身体ありがとう!)
・できたマメの数:2(両足小指)
・失くしたもの:2つ(帽子とサンダル)
・会った巡礼者:5-10人(少な過ぎる)
到着したら、何か心が爆発するのか?という淡い期待もあったけど、案の定なにもテンションは変わらなかった。
やっぱり歩く道中にこそ、自分は何かを見出してたらしい。
そして、12月の頭には帰国して、1週間ちょっと経つ。
日常への可逆性というのは凄まじくって、もうすっかり日々、いつも通り生活しています。
11月は120万歩以上歩いていた。
貴重な一歩一歩だっだはずけど、やっぱり記憶が薄れそうなので、圧縮ファイルの題名のような感じで、忘れたくないことを箇条書きにしておく。
「どうだった?」と聞かれても、色々ありすぎて自分も混乱するし、もはや何が稀有な経験だったのか、歩きまくってたので自分でもわからなくなってくる。
少なくとも、いま心にあることをいつか思い出したい時に、キーワードがそれを助けてくれる。(と、信じてる)
自然に対する姿勢。自分の意識ですら自然の一部。自ら徒然なるなるままに動くものは万物に共通。何かを粘着させた瞬間、不自然になる?
事前に経験を決めることは、感受性を狭める。「想定」が視野を狭める。
空性。苦楽両面ある。両面どころじゃない、3D、4Dのような全方位感受。色即是空、空即是色。何を現出させるか。
消費のむなしさ。広告まみれ/ 似たサービスまみれの日本のGDPとは。
歩くという行為を、抽象化して味わうと、人生のあらゆる行為と類似性がある。それをフィジカルに味わえる
空っぽの自分という箱が移動しているだけで何かが宿り続ける。
褒めるとは?
緊張と弛緩。緩みが実はアクセル?
凪になればなるほど、ほんとうに心身が喜ぶほど/そうでないものへの感度が上がる
道具に飲まれる。(杖を一度使うと、不要でも持ち続けてしまう。依存)
道の選択。自分の好きな歩道。別の基準で動く車道
遅い/速いも他者比較
全部自分が勝手にやってるゲームなんやから、適当にやりゃあええ。
被写体の質量と、撮る側の質量が一致していたい(カメラの話)
自分の中にすでにある好きなモノの再発見を繰り返すのではなく、outside the boxで見るには、脱自我による全体性?
見るに解釈しない。未解決問題を放っておく。
言語にする手前のものが、意外と伝わる。(裏を返すと、言語の意味わからなくてもなんとなくバイブスコミュニケーションできる)
行為を決める。その中で自由になれる。むしろ行為はなんでもよくて、その中で見つかる自由が大切
決意ある行動は何でも、なぜか応援される。そして応援の力も計り知れない
うむ、これで忘れないはずだ!ふと思い出したら書き足そう。
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