無職転生はなぜ神アニメなのか
解説してみようと思います。
解説するにあたって、ストーリーについては極力触れないようにします。アニメから原作を読んだので一応ストーリーは知っていますが、おそらく好みが分かれる部分だと思いますし、仮にストーリーが好みに合わなくとも、神アニメだという事は納得してもらえるように説明するつもりです。
私は今までラノベ原作のアニメはほとんど視聴していませんでした。理由は単純で、面白くないと思っていたからです。ストーリーが好みではない事もありますが、一番の問題はアニメーションとしての、映像作品としてのクオリティが低いことでした。基本的な演出や作画、背景や色彩の作り方、音楽とその使い方などのクオリティです。
もちろん予算の都合上、アメリカの大作ハリウッド映画や、ディズニー・ピクサー作品であればできる事が、日本のアニメではできない、という面はあります。ただ、限られた予算の中でも、様々な工夫によってクオリティを上げる事は不可能ではありません(若干ブラックな意見かもしれませんが)。
またほとんどの作品で、作っている側が楽しんで作っている事、制作への熱意が伝わってきませんでした。例え出来が悪くとも、楽しんで作っていれば、熱意を持って作っていれば、それは視聴する人に伝わるはずだと思っています。
昨今はアニメーターの労働環境が劣悪である事も世間的に認知されています。そうした過酷な環境で、楽しみ熱意を持って仕事をする事は難しいと理解はしています。ただ、厳しい事を言えば、競合である海外のオリジナルアニメは、日本の労働環境を考慮して作られるわけではありません。
アニメ『無職転生』はこのような制約や環境をはねのけた、極めて高いクオリティのアニメに仕上がっています。
このアニメの特筆すべき点はふたつあります。
ひとつは無駄のなさ。もうひとつはキャラクターの自然な動作です。
1クール全11話でしたが、はっきり言って尺は足りていません。特に後半の9話以降を考えると、もう1話ほしいところです。ほぼ丸々1話足りない状態で、しかし1クールのアニメとして成立させなければなりません。この問題を解決するために、よく考えられた工夫が随所に凝らされており、その工夫が上記の無駄のなさと自然な動作として表れていると思います。それぞれ例示します。
■無駄のなさ
・OPアニメーションを作らず、作劇に充てている
8話と11話ではEDも削減しています。基本的に尺を稼ぐための措置だと思いますが、これは結果的にテンポの良さにもつながっています。視聴する度に同じ絵のOPアニメを見せられるのは、視聴者からすればダレる要因です。OPアニメーションを完全に排したのは英断だと思います。
洋ドラなどでは顕著ですが、OPムービーは日本の一般的なアニメより短く、数十秒で終わるものがほとんどです。これはおそらくTV放映時の枠や尺の都合と予算の関係でそうなっているのでしょう。最近の配信サイトでOPのスキップ機能がデフォルトで付いている影響もあると思います。スキップされてしまうものにコストをかけるのは無駄になります。
元々日本のアニメでOP・EDアニメーションを作る慣習は、上記の枠や尺の都合、時間的・作画的なコストが原因です。毎週放映するアニメの場合、OPとEDでそれぞれ90秒、変身バンクなどを含めれば1話あたり数分ずつ削減できる事になり、大きなコスト削減に繋がります。無職転生の、こうした慣習に盲目的に従うことなく、必要だと判断すれば妥協なくアニメーションを作るという姿勢は、非常に誠実で評価できるポイントです。
・ナレーション中にキャラクターが動く
注意して画面を見ればわかると思いますが、その他のシーンでもキャラクターが長時間動いていないことはほとんどありません。一般的なアニメでは、作画コスト削減のために止め絵を使用することがままあります。そうした妥協をせず動かすことで、例えば主人公の幼少期の家での生活感が増すという効果が得られています。
当たり前ではありますが、現実では普通考え事をしている最中に、周囲の人が「だるまさんが転んだ」よろしく静止してくれる、などということは起こりません。キャラクターが思い思いに動いていることで、キャラクターの現実味が増し、独立した人間であると自然に思わせる効果があります。キャラクターが生きている、という説得力においては、他に類を見ないレベルだと思います。
・エフェクトが少ない
近年のアニメは、かなりエフェクトを多用して情報量を増やしている印象を受けます。このアニメではエフェクトは控えめで、画面が見やすく、何が起こっているか理解しやすくなっています。代わりに背景作画に力を入れて情報量をコントロールしているため、絵に違和感がなく、視聴していてストレスがありません。誤魔化しでなく、真っ向から絵で見せてくる誠実さには好感が持てます。
日常的にパチスロを打つなどしてピカピカチカチカの刺激に慣れてしまっている人には地味に見えるかもしれませんが、単なる刺激を入れるだけならそこに技術は必要ありません。このアニメの方が技術的には高度なことをしています。
・認知的に正しいアクションシーン
少し説明が難しいですが。
具体的には、5話の人さらいのおっさんとの戦闘で、主人公が火球を飛ばすシーンと、11話の赤蛇との戦闘で主人公が弾を撃つシーンです。
特筆すべきはカメラが弾ではなく敵にフォーカスすることです。基本的に主人公と相手の敵、野球で言うピッチャーとバッターに焦点を合わせています。
銃撃や野球の投球など、現実で物体を射撃・投擲する場面を思い返すと、飛んでいく最中の物体は実はほとんど認識できないことに気がつくと思います。現実での認識は「撃った⇒飛んだ⇒当たった」ではなく「撃った⇒当たった」という認識に近く、中間はほとんどありません。野球の球くらいなら目で追えなくはありませんが、ちょうどそのくらいの演出になっていると思います。該当のシーンは現実の人間の認識、認知過程にマッチしていると言っていいでしょう。
一般的なアニメの演出では、飛んでいく弾にカメラを当てることがかなり多いように思います。そうした演出は現実の認識とマッチせず、間延びして感じられ、テンポを悪くしてしまいます。
細かく言えば、実際には主人公の認識に合わせた演出をしています。弾に焦点を当てるカットのような無駄な作画コストを下げると同時に、テンポの良さと緊張感が同時に得られる優れた手法だと思います。
・効果的なBGMの使い方
BGMのないシーンがかなりあります。私的な印象ですが、他のアニメではBGMのないシーンはこのアニメほど多くはないように思います。この点でも情報量のコントロールが効いています。
ほとんど常にキャラクターが動き語っているので、喫茶店よろしくBGMで間を持たせる必要がないのでしょう。アクションシーンでも動きとBGMを合わせており、工夫がみられます。特に5話の、花火が炸裂する時のBGMの盛り上がり、花火を見たギレーヌが塔から飛び降りると同時に新たにBGMを鳴らすシーンは、巧妙な演出だと思います。BGMを不用意に使わないことで、アクションと合わせて効果的に使用することができています。
BGM自体も良い曲が多く、印象に残っています。OP曲とED曲のクオリティも高いです。
・目で見てわかりやすい対比
例えば5話から8話にかけて描写される主人公の部屋では、場面を追うごとにフィギュアが増えていく様が見て取れます。これはセリフで説明することなしに時間の経過を知らせることができる演出です。
11話ではエリスが白蛇と赤蛇に対し同じ攻撃を仕掛けますが、白蛇はワンパンできても赤蛇には通じません。前後のシーンの比較だけで赤蛇が強いことが直観的に理解できる対比になっています。
また同じく11話では、ルイジェルドのOP時の怖い顔とED時の笑顔の対比が効いていると思います。視聴した時は思わずにっこりしました。
基本的に横並びかビフォーアフターでの対比で、目で見てわかりやすい作りになっています。普通映像作品で「対比」と言うと、「作品を俯瞰して見た時に、あるアングルから見て取れる対比」といった間接的なものになります。こうした対比は頭を使わないと理解できず、見ている最中に気がつくのは難しいです。視聴中に考え事をしようとすると、画面に集中できないことになります。これでは何のためにアニメーションを作っているのかわかりません。本末転倒ではないかと思います。
このアニメでは(翻って原作では)、そうした意味での「対比」を作ろうという意図がほとんどありません。アニメ本編中にも、できそうな対比はなくはないでしょう。アングルを作ろうと思ったら、キャラクターの境遇を揃える必要があります。やろうと思えば演出や作劇を合わせ、対比のためのアングルを作ることはできるでしょう。しかしそうすると、コンテや脚本を対比のために作るという、手段と目的の逆転が起きてしまいます。描写を増やさなければならないので、結果的に冗長になり、テンポが悪化し、尺を圧迫します。成功すれば脚本上も構成上も美しいものになりますが、失敗した時のリスクは大きいでしょう。原作にそうした対比がなく、尺が限られている以上、リスクは避けるべきだと思います。
現実的に考えても、銘々が思い思いに生きている人々の境遇が揃う、ということはそうそう起こりません。自然なキャラクターを重視する作品として、あえて対比のためのアングルを排したのは英断だと思います。原作をよく理解し、出しゃばらずに(アニメとしての評価を高めようという欲をかかずに)、原作の良さを伝えようとする誠実な姿勢だと思います。
・回想シーンがほぼない
例外は前世のシーンとギレーヌが魔物のフンを食うシーンくらいでしょうか。回想シーンは過去に何が起こったかを説明するためのものですが、挿入すると基本的にテンポが悪化し冗長になります。キャラに説明させて済むならその方がよいです。ルイジェルドの昔話に回想を挿まなかったのは英断だと思います。回想を挿まないことによって、主人公の認識と視聴者の認識を共有できます。ルイジェルドの顔芸はやりすぎだった気はしますが。
余談ですが、洋ドラの『ゲーム・オブ・スローンズ』にも回想シーンはほとんどなく、それで十分話を理解できるように作られています。予算の規模が文字通り桁違いのドラマでも採用されていることを考えると、有効な手法なのではないでしょうか。
■自然な動作
11話で主人公とルイジェルドが握手をするシーンは、アニメ史に残る屈指の名シーンだと思います。このシーンでは、主人公とルイジェルドは握手する前に、それぞれが利き手に持った武器を、逆の手に持ち替えてから握手しています。私は2度目の視聴でこの事に気がつきましたが、気づいた時には今まで持っていたアニメに対する認識が完全に崩壊し、愕然となりました。考えてみれば当たり前のことではあるのです。武器は当然利き手に持つし、握手も利き手でするものです。武器を持っているなら、持ち替えて握手するのが自然なのです。あまりに自然だったため、初見では気がつかなかったほどです。
いまだかつて、これほど丁寧な描写をするアニメがあったでしょうか。私は寡聞にして知りません(※)。あるいは実写でなら、こうした演出は可能だったかもしれません。現実のよくできた実写作品でならあり得たかもしれないことを、アニメでやってのけたのです。この演出をするためには、現実で握手をする時に人がどうするかを考え、観察しなければなりません。ただ漫然と握手をイメージし描写するだけでは、絶対にできない演出です。
この演出がなかったとしても、大した差はないと思うかもしれません。確かに絵としては大差はないでしょう。例えば最初から武器を持っていないとか、左手に武器を持つとか、左手で握手をするとか、あえて持ち替えずに握手する方法はいくつかあると思います。その時に感じるのは小さな違和感です。あるいは何も感じないかもしれません。
このアニメを通して視聴した人は理解してくれるものと期待しますが、このシーンのような自然な動作の積み重ねがなければ、無職転生というアニメはここまで面白いアニメにはならなかったでしょう。不自然な動作とはすなわち違和感であり、視聴に伴うストレスなのです。制作陣がどれだけ頭を使い、どんなアニメーションなら違和感がないか模索し、視聴者へのストレスを無くそうと努力したか。それは視聴者への配慮であり、その配慮からは、制作陣が本気で『無職転生』という作品を楽しんでもらおうと思って、このアニメを作ったであろうことが伝わってきます。
持ち替えた直後の、星空を背景に手を握るカットも素晴らしいの一言に尽きます。ゆっくりと伸ばす主人公の小さな手をつかむ、ルイジェルドの力強い手。このカットだけで、ルイジェルドの頼もしさが伝わってきます。微妙に動く主人公の中指もリアルです。構図といい対比といい、最早文句のつけようがない、完璧な握手だと思います。これ以上の握手シーンをアニメで作ることは、恐らくできないでしょう。
私はこのアニメを通して、「自然なキャラクターとは、自然な動作である」と教えられたように思います。ルイジェルドに「わかったか?」された気分です。ある意味で、この記事は私なりの「わかったわ!」のつもりで書いています。
※ジブリはキャラクターの動作だけなら本作に伍すると思います。以下の記事を参照ください。
https://buzzmag.jp/archives/333283
このようにジブリ宮崎駿監督の絵に対する観察眼は優れています。ただ、ジブリのアニメーションは戯画的でこれ見よがしだと思います。本作の、普通に見ていて気がつかない、気づかれなくとも構わない、というさり気ない気配りには感動すら覚えます。
他にもこれは、と思った自然な動作を挙げておきます。
・1話2:45頃、主人公が鼻をほじり、指を毛布になすりつける。
・1話3:23頃、主人公が壁にかかった剣と盾を見つめる。
・5話10:10頃、人さらいのおっさんが唾を吐き捨てたあと額を拭う。
・5話16:47頃、「あなたも家庭教師になれば・・・」のセリフ部分で、主人公が人さらい側へ一瞬目配せする。
これらの動作は人が半ば無意識に行う動作です。意識的に行う動作よりも、無意識に行う動作の方が再現することは難しくなります。意識していないのだから、当然と言えば当然でしょう。やはり人がどういう仕草をするのかを考え、観察しなければこうしたシーンを作ることはできません。私は特に人さらいのおっさんが額を拭うのが好きです。おっさん仕草としての説得力がすごいので。
こうした描写は探せばもっとたくさん見つかることと思います。
細かい話ではありますが、このアニメにも瑕疵はあります。
特に気になったのは1話冒頭の母親のヒーリングシーンです。主人公を机の上に乗せて魔法を詠唱するわけですが、頭を打った赤ん坊を、再度落下の危険がある高所へ乗せるのはいただけないと思いました。頭が悪く見えてしまいます。私は頭の中でツッコミを入れていて、せっかく盛り上がるシーンなのに画面に集中できませんでした。
また、7話のエリスとのダンスは、フェイントの理屈が結局よくわからないまま終わってしまいました。原作どおりではあるものの、原作からしてアニメには向かないと思われます。原作にこだわらず改変した方が良かったかもしれません。あまり上手い方法は思いつきませんが。
ただこれらの瑕疵も、作品としての完成度に大きく影響するほどのものではないでしょう。
その他、原作に対する違和感のない良改変(スカートが捲れて無詠唱がバレるなど)、声優の好演(特に好きなのは人さらいのおっさん二人組のチンピラ感、サウロスの謎巻き舌、ブレイズのまさに豚という笑い声)、ギャグの面白さ(某格闘ゲームのネタ)など、褒められるポイントは枚挙に暇がありません。
ツイートもしましたが、私はこのアニメの制作陣は技術的に史上最高かつ世界最高のレベルにあると真面目に考えています。出来上がったものを見る限り、ほとんどすべての場面・演出に、なぜそうしたのかについて明確な理由があるはずです。それはつまり、このアニメの面白さには再現性があるということです。日本のアニメ業界の将来は暗いと思っていますが、このアニメの存在は一筋の光明なのではないでしょうか。
2クール目以降にも期待したく思います。
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