その人の変化を見逃さず見続けるそれが愛すること
おはようございます。生命という器の中にある命
そちらを大切しそして、死とは
生きるとはを共に考え生き抜くことを実践してる
とある看護師です。
愛する事について考え生活する中で、
今日は愛することは見続ける、見守る事でもあると、気づき
そちらを書きたいと。
以前こんな記事を書きました。
このとき、私は職場で今年度入職してきくださった方のフォローをさせていただいていた。
業務のはざまで、小さく咳き込んでいる彼女のその兆候、
視線があわない表情が、少し引っ掛かりました。
明らかに仕事を挑戦する前の、その方自身の準備(体と心)が
まだ完全でないことを感じました。
そして、業務を本来任せるところも一緒に実践し、少し軽めにしました。
『大丈夫ですよ』
『ここは皆で実践するところですよ、一緒にやろう、大丈夫』
『最初は場が変わるのだから、それはできなくて当然ですよ、大丈夫』
そこを伝えるようにかかわりました。
その日の業務最後に、感情の堰を切ったように
今まで耐えていた涙を目にうるませていた。
そのときに
彼女が抱える不安、想いを表出してくれてもいた。
でも
そのとき私は自分の在り方を考えたのです。
~私は本当にその人の可能性を信じ、暖かくできているのだろうか~
~その大丈夫に込められている想いは本当に、真実か~
私の課題を、突きつけられた感もだいぶしました。
そして彼女だけでなく、皆なのですが、
私ができうる見守ることを、大切にしていきました。
私は、彼女との何気ない挨拶、遠くからみる表情、
何気ない業務での会話、そこに見守り、
『大丈夫なんだよ』その気持ちを送った。
その後、再びその彼女から、話しかけてくれ下記の内容を
伝えてくれました。
『今年度、4月職場が変わり、そこから継続的にのどが痛く、
いよいよ声がでなくなって、治療し、休暇をもらったこと』
『休んだけど、もう大丈夫なこと』
その視線の私への向け方と表情に、何か吹っ切れた感触があり
彼女が一つ段階を上がったことを感じました。
前回、
『咳が出続けてるし、しっかり休んでね』そう話しかけたたとき、
『大丈夫です。少し調子が悪いだけなんです』
そう話した時の表情と違い
その咳という体調変化に対して
何か自分の中で咀嚼した感触を感じたのでした。
だから、私は
『大丈夫だね!
ありがとうね、今日の勤務担当患者様 ~だから
よろしくお願いします』
と返しました。
(彼女はそこに何も感じていないかもしれませんが)
彼女が、最初に、耐えられず目にためた涙を、私がどれだけ
わかっているか。
それは、いまだに私は、何もわかることができてないと思ってます。
それでも
・私の信じるは、まだまだなのも十分わかったうえでの
見守る、みつめることを続け信じる事、
・そして見守ることで気づく、その変化を大切にし
その変化を暖かく伝え、皆で気づく、話す、共有しあう。
それが私達ができうる愛の一つだと、想ってます。
~今日も皆が、集団の中で
それぞれ、かけることができないかけがえのないメンバーで
相互の関わり、助け合いの中で
愛を送り、愛を受けていることが行われていると思います。
それが、表面上、何もなく
明らかに、皆が愛であると、認識してなくとも
確かにそこに関係性があると思うのです~
そしてなによりも
彼女が変化したのが、私の働く場の
メンバーのあの方の、あの方の、あの方の
すべての皆の相互作用。
そこを忘れず、今日も大切に働きたい。そう思います。~
今日も、あなたがあなたの家族
あなたが所属する働く場
あなたが所属する、集団、コミュニティの中の
相互作用の中で
あなたが暖かく見守られ、また見守り
あなたが変化し命を生き続けていることに
私は感謝したいです。そして私自身もそうであることを
胆に銘じて感謝を忘れずに。
今日もかけがえのない5月22日行ってらっしゃいませ!
私も行ってきます。