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安心してください死ぬときは死ぬからという父の言葉。

おはようございます
生命という器の中にある命
その命を生ききる、そしてよく死ぬ
そのために今
愛することを、考えるとある看護師です。


 私の住む地区では、最近
大きな揺れ地震がありました。
おおきな揺れは、地震だけではない。
日常の人間関係の中でのゆらぎ
まさかという現実が起こること
揺れは、物理で来てなく、
それはみえないところにもある
またやっかいなのが
人はその大きな揺れ、『まさか』というところに
さらに自らの心を、観ていず、
そのまま動揺すると
さらに、自分で自分を揺らし、
自らの心の地盤が崩れてしまうこともある。
自らを愛するということは、その心の地盤を
しっかりとするための日々の鍛錬につながるのかな。。
最近自らの様々を考えそう思っています。

~今回、自らではどうしようもない天災、
病、人間関係などの様々
そちらについて、どう自らの軸をぶらさないか
私なりの戒めも込めて記したいと。


 


1)死ぬときは、死ぬから安心してください

 表現が適切でないかもしれませんが
父が言っていた3.11のときに、
余震で揺れる家にいるときに
母へ言ったという言葉に、なるほど。。と思うものがあります。

そのとき、父は、パーキンソンに罹患して
自分の体も動かなくなり
エアーマット(床ずれ予防のベッド)に横たわる日々でした
おそらく、大きな地震がきたら、逃げることができない。
もう、彼の頭の中では、
いつ死がきてもと思っていたのかもしれません。
『大丈夫、死ぬときはもれなく死ぬから、安心してお母さん。』
どうしよう。。と、動揺する母を横目に
のらりくらりと言っていたとのこと。
 


 でもその通りだなと思うのです。
人の命は、自分で機械のように設定して
何時何分終了!と決められるわけではありません。
それはいつ来るかわからないというところが
現実なのはみなわかっている
それでも、不可逆性の現実を目の前にすると
今まで何も気にせずのほほんと生きてたのに
突然
人々が、束になって騒ぎ立ててしまうのは
やはり恐怖心なのでしょうか。
それとも、騒ぎ立てることで一人ではないという
ことを確認している不安感なのでしょうか。

でも、やはり死ぬときはもれなくだれもが死ぬのです。
そしたら、
どう、自らは今あるこの瞬間を過ごそうか?そう考えるのです。


 

2)只今に生きるつまり、中今の気持ちで

 こんなとき腹が座っている
冷静でいられるにはどうすればいいのだろう
いつも私はそれが課題です。
日常での、予期せぬ患者様の状態変化
特に仕事を中心とした、感情のもつれ、エネルギーの循環の
予定外の変化

やはりそのときに、
そこに動揺して
日々すべきことの質がかわることが、10年くらいは
日常でした。
お恥ずかしいことに。
家族とのやりとり
恋愛
今周りから言われた言動、態度などなど


 でもそんなことではいかんと思い
どうすれば今目の前に集中できうるか
それを考えたとき
最初は、いつも、日常に
今私はなぜここにいるの?
私がいま何のためにこれをしてるの?と
必死で、自分で自分に声をかけて
さらに、集中できず、、という状況でした。

そんなとき
こんな言葉に出会うわけです
『中今』

中今とはどういうことか、今自らの中では言葉にでききれない
かもしれませんが
私は、過去と未来の接点である今この瞬間
この瞬間に生きるということと解釈しております
イメージとしては、生まれて、間もない赤子が
目が見えてそして自らの手足を認識して
この世界を認識しだしたときに、繰り返し繰り返し
自らの手足を触る、そのただただ、
生き生きと、自然に
自らの世界を確認し、生きているその状況でしょうか。


 この中今に生きるとき
父の言葉が心にしみてくる。
『大丈夫、死ぬときはもれなく死ぬから、安心してお母さん。』
そうもれなく誰もが死ぬときはしぬ
だったら
今この瞬間できうることを
全力で、面白がって楽しんで
そして、生きてくしかないわけです。
そう思うんです。
もちろん、
危険予測、おこりうることに対するできうることの準備
そちらを自らのできる範疇で
実施することも絶対条件です。


3)そういっても中今にいきるためには?

そういわれても
中今という言葉、その存在を知っても
理想がイメージできても
まったくそれに届かない自らがおります。


それでも、
今、あのときこの瞬間になれたこと
という中今の自分が
いないわけではありません。

そんなときはどんな自分であったか
以下だなと思うんです

1)目指すところを執念にも似た、強い心で
事前に何度もイメージして臨んだ時
2)周囲との関係性がその瞬間
暖かく、お互いに信頼のもと挑んでいた時
3)これが絶対条件として
心のベクトルが、しっかりとしているとき
今何のためにそれをしているか、
何のために今自ら存在しているか
4)そして何よりもそのことを楽しんで
意欲をもって、苦しいんだけれど
挑んでいるとき。

以上かと。

今日はまだまだですが
自らの、
自らで調整できない現象
天災、病、周囲の大きな流れがある
この現実で
どうやって人は生きていけたらいいのか
記しました。
みなさんは
今この目の前の現実、今また台風もきており
地震なども頻発しているこの日本
(これも今はじまったことでなく大昔からですが)
でどう生き抜く工夫をしてますか
意見やアドバイスいただきたいです。
また中今という言葉は非常に深く
また、学び、生き、そして表現させてください
まだ稚拙であることを、謝罪いたします。

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