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共に命の終わりに寄り添うこと2)。


 人は死ぬ。いずれ必ず。それも容赦なく突然に。
それを危機的に実感せざるを得ないときがある。
それを突き付けられるのが突然死である。突然死とは以下の定義づけがされている。

通常の生活を営んでいた,健康にみえる人が急速に死に至ること。外因死(交通事故など)は含まれない。WHOの定義では,瞬間死あるいは発病後24時間以内の内因死とされている

https://www.jaam.jp/dictionary/dictionary/word/0216.html日本救急医学会 医学用語解説集

突然死では、ある事例に遭遇させていただいたことを思い出します。
搬送されたとき救急隊にて心臓マッサージを実施しながら搬送。
蘇生処置を継続している中で、看護師として御家族にすぐお会いした。

さっき、一緒に、お休みって皆で寝た。
いつも朝目覚ましをすぐ止めてすぐに起きるのに、ママがおきないから。
どうしたのかな?と思ったら、息がしてなくて。。。子供たちがまだ家なんですどうしましょうか。連れてきた方がいいのか。

初療室での患者のご主人の言葉

聴けば、お子様が3人まだ小学生、中学生とのこと。
川の字で寝ていてお母さんが搬送されているのは、目のあたりにしているとのことで、私達医療者は御家族全員が揃ったところで、死亡確認とする事を
同乗してきたお父様にお話しした。
お父様はご近所の方や友人と連携され、お子様をすぐに病院へ
集めてくれた。


 お子様とお父様が揃ったところで死亡確認を医師がしたのち、
私は聞いた。
「お母さんの、病院を出る最後の身支度をさせてもらうんだけど、
まだ途中で。髪を結んでみたんだけどみてもらえる?」
中学生の娘様がかすかにうなずいた。お父様と入ってもらった。
呆然と見つめる娘様を前に
私はだまって、病院で設置されている、
患者ごとで単発使用可能な、
エンゼルケアのセット(お亡くなりになったとき使用するメイクセット)
を使って、うっすらと頬に赤みをさし、
化粧をした。傍で娘様は黙ってみてくれていた。
傍にいてずっと見てくれていた。


 最後に家族がお帰りになるとき、私は、そのエンゼルケアのセットを
娘様にお渡しした。
「お母さんが最後に生きた時、使った化粧品になるから持って行ってほしい。私は、あなたにもっていってほしいと思う。」
普段なら、捨ててしまう物ですが、あえて私はそれをお渡ししました。
最後まで視線はあわせず、泣いていた彼女は、さっと手を伸ばし受け取ってくれた。


使用したエンゼルケアのセットはディスポーザブルで、普段なら廃棄する。手渡すことなどは決められていない。
ただ、私は、一人の人間として最後にしたエンゼルケアを、見てくれたこと
その見てくれたことを大事にしてほしいという思いを込めて
手渡した。
その母の死を見つめてくれたこと、
その後お母さんはいないけど、娘様の心に生きることを見つめて
その死のその先向こう側を看て、ご家族との時間を共にした。


死亡確認は明らかな身体の兆候サインをもとに、実践されますが
その死の先に、本当の死があると思う。
その死んだ人を覚えている、思い出す人がいなくなった時、その人が本当に
死ぬんだと私は思う。
だから、私は看護師として、死の先を見つめてまだ、御家族の中に生き続ける患者を思って看取りをするんだと思う。そう考えています。


でも究極的には、人間も自然の一部で
亡くなったのち
土にかえり、そして循環していくのかもしれません。。
本当の死のその先に、また自然の一部として循環される、、
そんなことも考えている昨今です。

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