久津川車塚古墳の現地説明会に行ってきました
はじめに
前々から書きたいと思っていた古墳探訪シリーズ、重い腰を上げてスタートです。記念すべき第1回は京都府城陽市の久津川車塚古墳!
昨年10月上旬、Twitterを見ていると私が一方的にフォローしている古墳巡りスト(古墳を巡る人の意)である「ぺんさん」が
と紹介されていたのを見て、ここ1年で古墳熱が再燃したこともあり「せっかく隣県に住んでいるなら行くしかない!」と早速応募しました。約1週間後にメールで届いた応募の結果は……無事当選!
こうしておそらく小学生低学年以来の古墳現説参加が決まったのでした。(これに行く前に行った最後の現説はおそらく大阪府のシシヨツカ古墳かアカハゲ古墳の現説だと記憶しています)
久津川車塚古墳とは
久津川車塚古墳は近鉄久津川駅から徒歩約10分ほどの位置にあります。5世紀前半に建造された墳丘長約175m~180m、周濠(古墳の周りを囲む堀のこと)を含めた全長は約270mの大型前方後円墳です。
1894年(明治27年)の鉄道建設に際して土取のため後円部を崩していると土中から大型の長持形石棺が出土。
長持形石棺とは加工した板石を長持のような形に組み合わせた石棺で、当時のヤマト朝廷の支配者やそれに準ずる有力者などにしか使用が許されなかった特別な石棺です。主な例としては大阪府・大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)や同・津堂城山古墳(陵墓参考地)、兵庫県・雲部車塚古墳(陵墓参考地)、奈良県・室宮山古墳など。その性質から「王者の棺」とも呼ばれています。
未盗掘の石棺内部や石棺の外部に構築されていた小部屋からは三角縁神獣鏡を初めとする鏡7枚に刀剣、甲冑、勾玉などの装身具、人骨などが出土しました。
山城地域最大の規模を誇り、更に長持形石棺の使用や三角縁神獣鏡の副葬が確認された久津川車塚古墳はヤマト朝廷に大きな関わりのある大首長の墓であったと考えられています。
そんな久津川車塚古墳は将来の史跡整備にあたっての墳丘の調査を2013年から行なっています。そして2021年度は前方部とくびれ部の構造を明らかにするための調査が行なわれていました。
トレンチ①
古墳の前方部主軸上に設定されたトレンチ。写真を見てもわかる通り、後世にかなり改変されており保存状態は悪いですが斜面に葺かれた葺石やテラスに敷かれた礫などが一部遺存していました。
このトレンチでは前方部の上段斜面・中段テラス・中段斜面・下段テラス・下段斜面が検出されました。葺石のちょうど下辺りが中段斜面の裾であったと考えられています。
下段テラスには埴輪列が検出されました。埴輪というのは古墳時代に作られた素焼きの土器の一種で形も様々です。写真に写っている埴輪は円筒埴輪と朝顔形埴輪(の基底部分)。どちらも古墳時代では極めてポピュラーな埴輪で墳丘に隙間なく列を作って並べることで古墳内を聖域化する役割があったとされています。
特に写真奥側の個体は朝顔形埴輪で、赤色顔料によって朱色に彩色されてたとのことです。しかもその位置がちょうど古墳の主軸上にあることからその位置に意識的に朝顔形埴輪が設置されたと考えられます。
トレンチ②
古墳の前方部南東隅に設置されたトレンチ。葺石の下部に傾斜変換点が見られたことから上段斜面の裾がほぼ確定できたとのことです。円筒埴輪と朝顔形埴輪による埴輪列が検出され、甕と見られる須恵器片も出土しました。
トレンチ③
墳丘東側のくびれ部付近に設置されたトレンチ。上段斜面・中段テラス・中段斜面が検出されました。葺石の基礎である基底石が一部残存しており上段斜面の裾が確定したとのことです。
またなんと言ってもこのトレンチの目玉はくびれ部の埴輪列が検出されたことです。くびれ部とはその名の通り前方後円墳の前方部と後円部の境目で、人間で言うウエストの部分を差します。
上記写真の真ん中の埴輪を境に前方部と後円部が分かれることになります。そしてこのくびれ部の基準となる埴輪は赤色顔料で彩色された朝顔形埴輪でトレンチ①の朝顔形埴輪と同様に墳丘上の基準となる場所には朝顔形埴輪が意識的に設置されていたと考えられます。
このトレンチからの出土遺物としては家形埴輪や甲冑形・盾形・靫形・蓋形埴輪など形象埴輪の破片や土師器片が出土しています。蓋形埴輪以外の形象埴輪は断片的な破片で出土し、その多くが上段斜面で検出されたことから元々は墳頂にあったものが斜面に転落してきたと考えられています。一方で蓋形埴輪は中段テラスにまとまって出土していることから埴輪列の内側に蓋形埴輪が配置されていたと考えられています。
今回の調査の意義とこれから
今回の調査は前方部の段築構造と墳丘東側くびれ部の位置を確認するために行なわれたものです。特に上段斜面の裾や中段テラスは今回の調査で初めて確認できたとのことで、これにより墳丘の3段築成の構造を復元することができると言う成果が得られたとのことです。そして埴輪列において墳丘の主軸やくびれ部の屈曲点などの要所要所に円筒埴輪ではなく彩色された朝顔形埴輪を配置するという事例も明らかになり、今後の墳丘復元に大きく生かされそうです。
今後の調査の予定としては、墳丘の一部や周濠などが埋没していると考えられているJR奈良線によって分断された史跡地東側部分の調査が行なわれるとのことで是非これからの久津川車塚古墳の調査結果にも大きく期待したいところです。
感想
久しぶりに古墳の現地説明会に参加しました。朝露に濡れた草木の香りと掘り返されたばかりの土の香り、説明会開始まで配られた冊子を読み込む感覚全てが懐かしくて少し感動してしまいました。行く前は今回は埋葬施設の発掘ではなく墳丘の規模と構造を確認する調査だったので正直見所に欠けるかな~なんて思っていましたがいざトレンチの中の埴輪列を見ると気分が高ぶってきて非常に楽しかったです。説明会中に案内されて墳丘を歩いているだけでも凄く大きな古墳だなあと思っていましたが解散後に改めて1人で墳丘に登ってみたところその大きさをさらに実感できました。流石山城地域最大の前方後円墳だあ。
その後は事前にリサーチしていた周辺の古墳を巡ったのですが、そのいくつかが丘陵にあるため階段や坂の上り下りで足が棒に。結局17kmも歩きました。その様子はまた記事にしたいなと思っています。
最後に、記入したコロナ対策の来客情報シートを見て「どうしてわざわざ滋賀県からこんなところまで?」と聞かれたので「久津川車塚古墳の現説に参加してから来たんです」と答えたらご厚意でこれまでの久津川車塚古墳の発掘調査資料を全部下さった城陽市歴史民俗資料館のスタッフの方にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。