先日、こちらの記事の中でニーチェが出てきまして、いつか調べようと思いましたが、きっとそのうち調べる事自体を忘れてしまいそうだったので早めに調べてみました。
本当は何か本なりを買って読んだ方がよいとは思うのですが、ちょっといろいろ時間的な余裕もないのでサクッとネット検索で。
名前だけは聞いた事あって、有名な人なんだなぁ・・・くらいで終わっていました。
うお!めっちゃ凄い人じゃないですか!
業界を180度変えるというのはとんでもない事ですよね。
あぁ・・・もう理解が追いつかなくなりつつある状況です。
哲学とかも良く知らないので余計でしょうけど、カタカナの人名がいっぱい出てくると脳が理解しようとするのをやめそうになるんですよね・・・これなんでだろう・・・。中国とか日本の人名だと全然大丈夫なんですけど・・・やはり漢字の威力というか、そういうのがあるのかもしれませんね。
とにかく、ニーチェ以前の哲学というのはプラトンの思想体系だった、という事でしょうか。
哲学という学問自体が”超自然的原理”を用いた思考体系という所でちょっとよくわからないんですけど、”イデア”とか”純粋形相”とかはさっぱり意味不明なんですけど”理性”というのは、人間が持っている理性の事なのかなぁ・・・。そうであれば、それを超自然的原理というのもどうなの?と思ってしまいました。
ただ、ニーチェという人が、そういう事に”なぜ?”と感じて別の角度から考えてみた、というのは昨日アップした記事のラテラルシンキングにも繋がるような感じですよね。
経済の分野でも同じような事が同時代に起こっていたようです。
歴史を振り返った時に、こうい同時期に同じような考え方で世の中を変えていく人たち、というのは結構出てくる気がするんですよね。
なので、個人の発想というよりかは、時代か何かが個人をそうさせている、というような気もしないではないです。
ニーチェという人は、ちゃんと批判する学問をまずは理解した上で批判しているという事ですよね。ちゃんとした人だなぁ、と思いました。
もともとは芸術を研究されていたようで、そこから哲学への考察を深めていったそうです。
まぁ、ちょっと良くわからないんですけどね・・・。
神の価値 = 超自然的原理、という理解でも良さそうですね。
これらが人間を支配するために作られたもの、という考え方自体が凄いというか、そんな事を思うのか、と感心しかないです。
今まで価値があると思っていた事が、もしかしたら本当は価値がないんじゃないか・・・、これって職場で業務改善や手順とかを変えるときに陥っている心理状態かもしれませんね。
これまで信じてやってきた事が、これから変わる = 価値がないといわれているような感覚・・・、こちらが合理的で正しいと思っていたとしても、そこにはそれを認められない理由があるんですよね。
ニヒリズムという単語が良く出てくるので調べましたが、そうかもしれないけどそれを認めてしまうと何だか悲しいな、と思ってしまいました。
生き生きと変化すること。
今あるものより大きくなろうとする事。
成長という言葉がぴったりはまりそうですけど、そんな進化したり発展する事が新しい価値になって現代に繋がっているという事なんでしょうか。
うーん、やっぱりよくわからんというか、もうちょっと僕にもなんとなくでもわかったかも?と思えるような記事はないかと探してみました。
超人って凄いですね、理想のリーダーっぽいですね。
こんな風になれたらよさそうですけど、さすがに・・・
何のために誰のために、というのは本当に重要ですよね。
目先の利益だけを考えているとダメですよね。
自然の恵みも見境なしに乱獲すれば無くなってしまいます。
種を植えるという事で考えると、やはり職場の環境改善というのは育成が重要だな、と改めて感じました。
物の伝え方とかもありますけど、普段の関係性も重要ですよね。
正しい事だからみんないう事を聞くという事ってほとんどないんですよね。
伝え方に気を配るというのは最低限の大前提ですよね。
ネガティブな感情は覚えていても仕方ないので一刻も早く忘れた方がいいですよね。忘れようとすると逆に余計にその感情に引っ張られたりするので、別の事に集中したり夢中になれる事に取り組んだり。
僕は、何か映画を観る事が多いかもしれません。
登場人物や映画の世界に入ってしまう事でうまく忘れる事ができる気がします。
ニーチェについて調べましたが、やっぱりというか哲学というのはそれ自体が難しい気がするので、こんなちょっと調べたくらいで何が理解できるという事ではありませんが、なんとなく新しい価値観とかに触れる事ができて成長できた気がします。
気のせいでもそういう実感って重要だと思います。