転倒や誤嚥は全て介護現場の責任? 審議会で「防ぎきれない」と理解を求める声・・・という記事の紹介です。
今日は北見市の温根湯温泉から登別市までの帰路でございます。
途中、滝川市の自宅によって郵便物の確認をしてきました。
やはり滝川市は旭川市と同じくらいの雪ありましたね。
今日は雪も降らず道路状態もよかったので旭川から滝川、滝川から苫小牧まで高速道路を利用しました。
高速代はかかりますがやはり時間はかなり短縮できますね。
367kmかぁ、結構な距離を走りましたね。
調べてみると、367kmというのは、日本一の信濃川の長さと同じだそうです。
さてさて、今日はこちらのニュースの紹介です。
事故の分析や報告書の様式については、様々な種類がありますよね。
行政へ提出する事故報告書の様式も、まったく違う独自の様式を用意している行政もあったり様々ですので、こういうのが統一されるのは歓迎ですが、今でもローカルルールの問題は解決されていないので、様式の統一化も難しそうな気もします。
それこそ、ネット上で入力させて直接厚労省に提出するようなシステムにしない限りは無理なんじゃないかと思いました。
現状では、転倒すれば事故報告書の作成は当たり前のルーチン作業になっていると思いますし、それ自体は転倒が大なり小なりあったとしても、様々な気づきや対策をたてるための資料になるので大事な取り組みとは思っています。
事故報告書=始末書、というようなイメージが強いので、どうしても内容が介護職側に落ち度があるような内容になりがちですが、裁判の材料にされた場合、そういう落ち度を認めるような記載があれば、そこを根拠に裁判で負けてしまうという事はあり得ますので、防げる事故だったのが防げない事故だったのかをきちんと明記しておく必要はあると思います。
普通に考えて、高齢者=老人ですから、老人は歩けば転ぶのが当然ですよね。だから杖をついたりして転倒を防いでいるわけです。
加齢に伴い全身の機能が衰えていきます。
老いですから予防のしようがありませんし、個々の健康状態は個々の状況によって大きな差があるので、高齢になってふらつきが大きな人がいたり、高齢になっても足腰がしっかりしている人がいたり様々です。
今の自分の状態を考えてみてもらったら理解してもらいやすいかと思うのですが、将来足腰が弱る事を想定して生活をしている人って少ないと思います。
気が付いたら老いていて、気が付いたら足腰が思った以上に衰えていた。
実際はそんなもんだと思います。
それを、若いころに頑張ってなかったから悪いんだ、自己責任だ、というのはちょっと違うんでないか、と思います。
誰も老いたくないし、衰えたくはないんです。
でも、そうなってしまうのが当たり前なんです。
年をとったら転ぶ、当然の事ですが、転ぶからといって寝たきりにしておけば確かに転ばなくはなりますが、それは転倒しないというだけで他にもっと沢山の弊害が生まれます。
どんどん身体機能は衰えて精神的にも弱っていきます。
そもそも、歩かない生活や自分の意思で自由に行動・移動できない生活が人間らしい生活といえるか、という問題もあります。
ただでさえ衰える身体機能を少しでも維持する、少しでも衰えるスピードを弱めるには、若いころと同じような生活を続けるほかないと思っています。
当然、立ち歩く事はとても大事な要素です。
そして、そういう自立した生活を支えるのが本来の介護職の役割だと思っています。
事故が怖いから座らせておく、寝かせておく。
裁判になったら負けるかわ座らせておく、寝かせておく。
そういう介護手法が当たり前になったらどうなるでしょう。
つまんなくなると思うんですよね。
少なくとも、僕自身はそういう介護を受けたいとは思わないので、ここいらで誰だって立って歩いてたら転んで当たり前、という認識が広がって欲しいですね。
ただ、だからといって介護職がそういう前提で手を抜いてよいわけではなく、転倒予防の取り組みをした上でよりよいケアが提供できるような介護現場になっていけばいいな、と思いました。