僕が障害者となった日
前回の記事と被るとこが多々ありますかご了承下さい。
2018年に突然心臓病になりその約1年後に障害者となりました。
障害名は【僧帽弁閉鎖不全症による心臓機能障害・人工弁置換】です。
僧帽弁の弁閉鎖機能の障害(僧帽弁の硬化、短縮など)により弁が完全に閉じなくなり、左心室収縮期に血液が左心室から左心房に逆流する疾患。僧帽弁領域において全収縮期逆流性雑音が発生する。軽度では臨床的な症状を示さないが、進行すると運動時の易疲労性を示す。重度では肺の鬱血、水腫が認められる。
(Wikipediaより)
2019年11月上旬に不正脈で苦しくなり救急車にて緊急搬送。
その少し前に僧帽弁が悪くて手術を早めに手術したほうがいいと言われていたがそんな急に、率直に思った。
病院に到着、すかさずICUへ。結構前なのであまり覚えてないが、点滴やらなんやら付けられた。これはすぐにでも手術が必要ですと告げられる。手術に関しては一応前もってわかってたことだし以前に経験(鼻の骨が曲がっててそれを治しました)もあるので、怖いとかはあまり思わなかった。
手術をしたら障害者になることになる。厳密に言えばこの時点で障害者3級で手術により人工弁となり障害者1級であった。
手術はすることにしたが、問題は身体障害手帳を持つかどうか。
しかし僕はそれを拒んだ、障害者と呼ばれたくないと。そんなことはないと思ってるが、無意味的に差別してたのかもしれない。やらしい話、持つことでのメリットも大きく、医療費の無償化(自治体によって違うとは思います)や減税などなど。それでも障害者と呼ばれるデメリットが僕の中で大きかったのです。今となっては現実を受け入れれないただの子供だと思いますが、最終的には持つことになりました。
しかもそれを緊急だったため、それを約3日でと迫られて頭がパンクしそうだった当時を思い出します。
もちろんなりたくてなる人はいません。すごく失礼で最低な自分、すごく反省してます申し訳ありませんでした。
そこからペースメーカーに多くの薬や治療、そうして現在に至ります。
あれから約2年、次に僕の前を立ち塞がる心臓移植という最終的な治療への決断。
こうして僕は今まで生きてきました。
最後に
かなり僕の主観が強かったかなと思います。そんなの悩む必要なんかないと思う人もいるかもしれません。参考になるかはわかりませんが、僕みたいな思いをしてる人に届けばと思います。読んで頂きありがとうございました。
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