軽はずみな結婚
そこであなたも泣いているの?
驚きと憧れと憂いと嫉妬
あなたのそこへ飛んでいきたい
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共通の知り合いからちょっと年上だけど、いい人がいるから食事でもどう?
半ば勝手にセッティングされ向かった焼き鳥屋。
親とうまく行かず実家の近くでオンボロアパートを借り一人暮らしをはじめた23歳夏のこと。そこには6歳年上のやさ男がいた。
当たり触らずの不器用な会話。
この人と結婚したら衣食住困らずそこそこ良い暮らしが出来るかもな。ちょっと幼稚っぽいし話し下手だけどまぁなんとかなるかな。
そんな打算的な思惑で彼と付き合いが始まった。
付き合いと言ってもやさ男は日勤夜勤が週交代で土日休みの工場勤務。
こちらは土日完全仕事で10時~21時の販売スタッフ。なかなか時間が合わない。
結婚までに4年半付き合ったけどぎゅとすると1年位の感覚だった。
付き合ってた4年半の間、何度も別れたいと思った。楽しくなかった。やさ男に正直飽き飽きしていた。話題はTVか車かパチンコ、あとブラックバス釣りの事。たまの休みの日はショッピングモールで買い物、釣り、パチンコと洗車の繰り返し。
2週間に一回は実家に呼ばれて食事して泊まり翌朝仕事場へ送ってもらうようなデート?だった。
若干マザコンだった。あとお父さんを崇めていて未だに怖いと言っていたのを聞いて興ざめしたのを覚えている。言いたいことも言えず絶対服従的な彼の実家の構図も好きじゃなかった。
でもやさ男父とは馬が合った。
誰でも楽しく話せるいわゆるコミュ力モンスターの私は話しやすかったのだろう。私が行くとやさ男父はいつもより喋ってお酒を飲んで大いに笑った。
やさ男母はそんな私にありがとうね、おかげでご機嫌だからこっちも清々するわといった具合だった。
互いに良い年ごろになり私が27歳適齢期で結婚。仕事を辞めて専業主婦になった。夫は変わらず日勤夜勤が続く。帰ってきたらすぐにお風呂に入りTVを観ながら食事。話して意見を求めても「そっちはどう思う?」と必ず聞き返された。
面倒な話になると決まってすぐに大イビキのうたた寝。こうして私はあっという間に飯炊き世話焼き女になった。
結婚ってこんなもんなのか?
互いに見つめ合って楽しい会話して毎日がハッピー!って感じじゃないのか?
仕事も辞めて第二の人生歩んで行くぞーって
これが私の人生なのか。。
まずい、やばい。
やっぱり婚約を破棄してほしいと言った夜に帰りたかった。
こんな生活も2年が過ぎたころ
私なりになんとかしようともがいていた
半分自分を奮い立たせては時々は自分からSexも誘った。子供がそろそろかなと周りに言われ始めた頃。子供を授かればこのつまらない結婚生活が一変するかもしれないと単純に思った。
先に結婚し出産をしてた義妹の子供を異常に可愛がる夫。
「子供が出来ないのはどこか悪いんじゃない?」と義母に言われた
夫も「結婚したら子供ってすぐ出来るもんでしょ?」と根拠のないこと当たり前みたいに言う。
子供って授かりものと思っていた。
それでも何とかもがいていた私は婦人科へ行った。
検査の結果は良いものではなかった。
卵管が詰まっている
ホルモンのバランスが異常に悪く安定していない。
排卵があっても着床するベットが作れない
要約するとこんな説明だった。
私、出来にくい体なんだ。初めて知った。
それから卵管の癒着部に空気を入れて通管させたり(ぺったんこの長い風船に息を吹き込んで膨らませるような)これが最強に痛かった。
ホルモン注射打ったりタイミング法計算してカレンダーに○されて「この日に仲良くしてくださいね~」なんて先生に言われて。お金はどんどん飛んで苦しい妊活が始まった。
その頃、夫の同僚夫婦と会うことになり妊活の話をしたら、実は7年も不妊治療していると奥さんが話し始めた。しかも3年目に旦那さんの無精子が判明。自分だけが悪いと思ってたから旦那さんの検査してなくてすごく後悔したのって。
だから旦那さんも最初に一緒に調べてもらった方がいい。あなただけが悪いとは限らないから絶対旦那さんを連れて行くべきよと言う。
夫は嫌がった。でも良い夫、理解有る夫を私や後輩夫婦に示すためいやいや病院に行くことにした。私が不妊治療を始めて1年経過した頃だった。
結果は無精子ではないけど奇形の精子がおり精液の中の精子の数が異常に少ないことがわかった。
相性を調べるテストもあった。簡単に言うと精子が泳ぎやすい川なのかどうか。どうも私の川では泳ぎにくい様子だった。こんなレベルでも相性が合わないと言われている様で苦笑した。
あーもうなんだか疲れてしまった。
それでも病院へ行ってこんな結果だったけれど無精子では無いと解った夫は病院から言われた○の日を気にして今度いつ?禁欲したほうがいいね?と妊活に前のめりになってきた。
治療で身体はしんどいばかり
愛のない子づくりsexがここまで苦しいとは。
結果はことごとく失敗
「今回もだめでしたね~旦那さんじゃなかったら出来るかもしれないくらいの状態ですが。こんな事言っても意味ないですね〜」と先生
夫が検査して1年、不妊治療始めて2年、結婚して丸4年目。
「今回もだめでしたね」と言われて
何処かで良かったと思う自分がいた。
あぁもうダメだ。自分の心と身体が逆行して虚しくて寂しくて崩れそうだった。
この人との子供ほしいと思わない自分が居た。
夫が夜勤の時は気持ちが落ち着いた。
夜な夜なPCの明かりをつけて掲示板を観たりチャット部屋に入って知らない人たちと他愛のない話をした。
日勤の時は夫を締め出すように本も読み始めた。
活字中毒になり本の世界に身をおいた。
夫も気が楽そうだった。豪快に食べて飲んでTVでバカ笑いしてお決まりのうたた寝。
私はTVに負けた女
子供も産めない30すぎのただの飯炊き女だ